第二十一話 父島上陸

小笠原諸島父島にアメリカの日本視察団を乗せた軍艦が近づく。

山がちの島で、望遠鏡で見ると父島の山の上に日の丸がはためくのが見える。

マッキーン艦長は、福沢諭吉の案内で指定された港に船を向ける。

石畳で整備された港。その外には、黒い煙を立てる煙突が何本も並んでいる。

港の奥には、軍艦のドックの様な物が見え、日の丸の旗を付けた蒸気船が何艘かあり、その他にオランダ国旗の蒸気船も停泊しているようだ。


アメリカ軍艦が近づくと、港内から二十一発の礼砲が一斉に放たれる。

二十一発の礼砲は本来、国家元首に対して行うもの。礼儀としては、申し分ない。

軍艦の艦長マッキーン大佐と日本視察団団長タウンゼント・ハリスは、礼砲を返しながらも、聞いていた以上の光景に驚きを隠せないでいた。


アメリカ出発前に、日本のアメリカ視察団を迎えに行ったアダムス特使から日本についてのブリーフィングを受けていた。

日本人は、規律正しく、勤勉で真面目、優秀だと聞いていた。

街が破壊される様な巨大な津波が起きても、暴動など起こさず、整然と数か月で港を作り上げた話も聞いていた。

だが、何処か大げさに話していると思っていたのだ。


「この島は、もともと漁村に過ぎなかったと聞いたが」


目の前に広がる光景はアメリカやヨーロッパと変わらない港街の風景ではないか。

他のアジアの都市を知るハリスから見ても、信じられない光景だ。


「ええ、2年でやっと、ここまで、作ることが出来たようです。

もっとも、この島は山が多く、平地が少ないので、ここはあくまでも要塞と交易所が主な役割。

ここでは、先端技術の実験と技術者の訓練を中心に行っております」


諭吉の言葉にハリスは驚く。


「ここ以外にも、日本には溶鉱炉や軍事施設があるのですか」


「まあ、多少は。

しかし、まだまだ、軍事工場も、溶鉱炉も、作り始めたばかり。

サンフランシスコの海軍基地などの足元にも及びませんよ。

だから、いつかアメリカに追いつけ、追い越せと頑張っているところです」


諭吉は見学してきたアメリカ海軍基地を思い出しながら話す。

諭吉の中では、日本という国とアメリカという国の間に上下関係はない。

だから、努力すれば追いつける存在であると本気で信じているのだ。


それに対し、この当時の欧米人の感覚には、白人と有色人種の間には、明確な上下関係が存在する。

日本人を珍しい存在であると持て囃したところで、自分達よりも劣った存在であるとは思っている者がほとんどなのだ。

白人がいるから、未開の有色人種達も文明を享受出来る。

それ故、日本を開国することは、未開の日本を教育し、文明を齎してやろうという気持ちでもあったのだ。

だから、もし、この街の光景を見なければ、アメリカ人達は諭吉の言葉をジョークだと思い笑ったのかもしれない。

だが、目の前に広がる光景は本物だ。

あるいは、その言葉がいつか実現することもあるのではないかという思うほどに。


その印象は、船が港に近づいて行っても変わらない。

ユキに聞いていた通り、ゴミ一つない清潔な港。

そこに綺麗に整列した兵が並んでいる。

兵の規律正しさは、そのまま、軍の練度を示すものだ。

私語一つなく、微動だにしない軍を見て、マッキーン大佐はその指揮官が羨ましくなる程だった。


軍艦が桟橋に着き、乗員が船から降りていく。

ハリスとマッキーン大佐という使節団の首脳部が降りるのは一番最後。

アメリカの日本使節団が船を降りて整列すると、その先頭にハリスとマッキーン大佐が並ぶ。


その様子を見て、日本軍の整列が綺麗に左右に分かれ、そこから数人の侍が現れる。


「初めまして、閣下。お会い出来て光栄です。

私は、一橋慶喜。ヨーロッパでは、プリンス・ケーキと呼ばれていました」


プリンス・ケーキがフランス語で挨拶して、握手の手を伸ばしてくるのを見て、ハリスは呆気に取られる。


「私のフランス語の発音はおかしいでしょうか?

外交で使う言語は、フランス語だとヨーロッパで聞いたのですが、私の発音が悪いなら英語に切り替えますが」


慶喜にそう言われて、ハリスは我に返り手を握り、握手を返す。


「いえ、ちゃんと通じています。

ただ、ヨーロッパにいらっしゃると聞いていたプリンスがここにいて、フランス語を話せるとは思わず、驚いてしまいまして」


「フランスには1年以上いましたからな。日常会話程度なら。

ただ、難しい外交交渉までこなす自信はありませんので、場合によれば通訳を使わせて頂きますよ。

英語とフランス語、どちらで話した方が良いですか?」


「それでは、英語で。

フランス語では、私以外、解らない者が多いので。

それで、閣下はいつヨーロッパから戻られたのですか」


ハリスが英語でそう答えると、慶喜も英語に切り替えて話す。


「私も、丁度、ヨーロッパから日本に帰ったばかりですよ。

だから、これから半月は、この島に滞在しなければならないと聞いています」


「プリンス・ケーキもですか?」


「そうです。これが、この国の法となります。

民草を病から守る為には、仕方のないことです。

ご不自由とは思いますが、私どもと、こちらでお待ち下さい」


プリンス・ケーキと言えば、この国の支配者階級、公爵に匹敵する地位の人物だと言う。

その様な人物でさえ、半月、この島に滞在してからでないと日本に入国出来ないと聞けば、ハリスも文句を言う事が出来ない。


「喜んで。アメリカは、法治国家。約束したことは守る、信頼に値する国です。

しかし、半月も待たねばならないとは、中々大変なものですな」


ハリスが肩を竦めると慶喜が答える。


「一応、退屈せずとも済む様、様々な催しを用意していると聞きますがな。

日本のオペラの様な歌舞伎踊り、大道芸など、庶民が喜ぶ様な催しが色々用意されていると聞いております」


慶喜がそう言うと、ハリスは興味深げに尋ねる。


「ほう、日本ではオペラが庶民の娯楽なのですか?

ヨーロッパではオペラは元々貴族の娯楽ですよ」


「我ら、武士は戦うことが本職。芝居の様な派手なものは、あまり好みません。

ですが、民草は禁止しなければ、勝手に色々始めるようでしてな」


慶喜の言葉にハリスは日本という国の豊かさを知らされる。

開拓途上にあるアメリカには芸術に振り向ける余裕があまりない。

ヨーロッパだって、貴族や最近登場した資本家達がパトロンとなって芸術は保護されているのだ。

それにも関わらず、日本という国は芸術が庶民の娯楽として存在するという。


「皆さんがいらっしゃると言うので、パンも焼き、牛も連れて来ているので、牛乳、バター、チーズも用意出来るとのことですよ」


「ほう、牛乳がありますか」

大の牛乳好きのハリスは、嬉しそうに微笑む。


「そして、半月ほど、この島で時間を潰して頂き、その後、我らの船に乗り換えて、江戸に向かって頂きます。

そこで江戸で歓迎の宴を催させて頂いた後、日本各地、大阪、薩摩、琉球、長崎、加賀、蝦夷などを回って頂きます。

各地で土地土地の産物をお見せし、その土地それぞれの歓迎をさせて頂くとのことです」


そう言うと、慶喜は微笑んで見せる。

実のところ、慶喜は、ヨーロッパから真っ直ぐに父島に来た訳ではない。

ヨーロッパから帰る途中、最初に寄港したのは対馬だ。

その対馬で、慶喜はアメリカの視察団の来航と対応方針を聞いているのだ。


その方針とは、第一に、日本は文化、芸術に優れた国であり、いくさで失われてはいけないと思わせること。

その為に、日本各地の名品を見せつけることを勧められている。


そして、第二には、侵略しようとして攻撃すれば、侵略者が少なからず被害を受けることを覚悟させること。

その為に、現在、新規開発中の甲鉄艦以外は、希望があればアメリカ人達に見せることが許可されている。


手の内を全て晒して腹を割っている様に見せながら、アメリカを通して世界中の好意と警戒を同時に手に入れる。

困難なミッションが始まろうとしていた。


*****************


新聞記者サムの『日本遊覧記』より


島に上陸すると、ビシッと整列する兵隊たちがいる。

皆、本当は侍らしいんだけど、それが兵隊の格好をして、同時に一糸乱れずに動くんだ。

こんな風に動ける兵隊っていうのは、沢山訓練をした兵隊だけ。

日本の侍は、見掛け倒しの弱い兵じゃなくて、本当に強い兵隊ってことなんだろうね。


そして、そこで、僕たちは2週間ほど、休んでから日本本土に向かうことになる。

だけど、島にいるだけでも、凄く快適なんだぜ。

毎朝、焼き立てのパンに、チーズと鯨のベーコンが食べられるしね。

そう、意外なことに鯨が美味しいんだよ。

それに魚も美味しいしね。


この島には、何人かアメリカから技術者として呼ばれた人がいるんだけどさ、その中のケリーさんなんかは言ってたよ。

このまま、日本に住んでも良い位だって。

日本は、食事も美味くて、治安が良くて、清潔で、住みやすい。

おまけに、技術者には敬意と大金を払ってくれる技術者の天国みたいな国だそうなんだぜ。

日本のおかげで、凄い技術の開発に成功したって、ケリーさんは自慢していたよ。


まあ、島に滞在している間、特別に色々なショーを開いてくれるみたいなんで退屈はしないで済むんだけどね。

日本本土に渡るのが楽しみで仕方ないよ。

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