第五話 アメリカ視察の裏目的

アメリカ視察団が帰ってきて暫くすると、勝麟太郎さんも父島から象山書院に戻ってくる。


阿部正弘様から聞いたところによると、アラスカ購入に関しては、幕府の予算を使わないのならということで許可が下りたとのことだ。

これは、阿部正弘様がうまく井伊直弼様を説得出来たと看做すべきか。

それとも、井伊様の側に何か意図があるのか。

少なくとも、株式会社設立を提案し、日本の資金を集めることを可能にした井伊様の功績は大きい。

一方、アラスカ購入によってクリミア戦争を長引かせた一橋慶喜様の功績はあまり幕閣に理解されていないみたいだ。

その為、国防軍と日本商社の人事について、色々考えなければならないのだけれど。


でも、先日の茶室以来、阿部様も、島津様も、アッシを象山先生と一緒に茶室に呼ぶのは止めてくれないかな。

緊張して仕方ないのですよ。

アッシにお武家様の権力争いのことをされたって、何を言ったら良いのやら。

そんな毎日だったから、約1年ぶりに会う変わらない勝さんは気楽で安心する。


「いやあ、久々に食える寿司や蕎麦は本当に良いねぇ。

アメリカのパンや肉も嫌いじゃねぇが、毎日だと飽きちまうんだよな」


「アメリカに行って、最初の感想がそれかね。

勝君は、アメリカに行っても、相変わらずだな」


象山先生が苦笑すると、勝さんは足を崩して胡坐に変える。


「すみません。先生、正座も久しぶりで足が痺れちまいそうなんで、足を崩させて貰いますよ」


「全く、僕相手に、その様な態度を取れるのは君だけなのだぞ」


勝さんは象山先生の弟子の一人ではあるが、勝さんの妹のお順さんが象山先生に嫁いでいるから、象山先生は勝さんの義理の弟でもある。

複雑な関係ではあるのだよな。


「平八君も、足を崩してくれ。

それで、アメリカ視察の報告を聞かせて貰おうか」


そう言われて、アッシも象山先生と一緒に胡坐に座り直す。

勝さんは、暫く考えてから話始める。


「まあ、表立った話は既に阿部様から聞いていると思いますが。

予定通りに日米修好通商条約が締結され、日本商社サンフランシスコ支店が開設されましたぜ」


「うむ、それは聞いている。

だが、日本商社を株式会社にすることについては、僕は提案していないぞ」


象山先生が不機嫌そうに言うと、勝さんが笑って答える。


「こいつは、ご直参の小栗又一(忠順)様のご提案でね。

まあ、象山先生は、自分が提案していないことを別の奴が提案するのは気に喰わねぇとは思いますが。

中々に良い提案だとオイラは思いますよ」


勝さんにズバリ本心を突かれて、益々不機嫌そうな顔をして象山先生は答える。


「僕にだって、良い提案は良いという位の度量はある。

問題は集めた資金を誰がどう運用するかということなのだ。

対策として、権力の集中を避ける為に日本商社の運用は小栗様、井伊様に任せ、国防軍の方は一橋様に任せる方向で話を進めるよう阿部様に提案はしている」


アッシの夢で井伊様は権力に酔い暴走していた様に思える。

だから、井伊様に武力を渡さず、資金力だけを与えておくというのは落しどころとして悪くないとは思う。

株式会社設立を提案した褒美として、その運用を任せるのは自然であるし、株式会社の会長が、徳川家第一として動いても内乱にはなりにくいだろうからね。


「そいつは、上手い手を打たれましたね。

さすがは、天下の佐久間象山先生だ」


「当然だ。僕は天才だからな」


勝さんが褒めると象山先生は簡単に上機嫌になる。

面倒くさい人ではあるが、天才として敬意を示せば、意外に扱い易いんだよな。


「でね、日本商社サンフランシスコ支店の方は、開店以来、毎日盛況。

商品を買わない人間も集まって来る感じなので、早い所、咸臨丸に商品を乗せて運んだ方が良いでしょうな」


「もう、日ノ本の人間だけで、アメリカまで往復は可能なのかね」


「ブルック大尉の話だと、万次郎さんにキャプテンを頼めば、おそらく大丈夫だろうってことですぜ。

出来れば、オイラも船を動かしたかったんですが、こうも船酔いにしやすいとどうしようもねぇですからね」


「そうか。中浜君が船長か。それで、坂本君はどうしている?」


「龍馬ですか?あいつは、アメリカと肌があったみたいで、日本商社サンフランシスコ支店に残って、小栗様の連れてきた三野村利左衛門(三井)という商人と一緒に店の切り盛りをしてますよ」


「そうか、坂本君はアメリカを拠点にすることを選んだか。

しかし、日本からの品がなければ、店を開いても、商いにならんだろう」


「いや、商品が最後の一個になった時点で、販売を止めて、注文を取るように変えているみたいですよ。

おかげで、すぐにでも咸臨丸は商品を買い込んでアメリカに戻ってくれって頼まれているようでして。

その上で、龍馬の奴は、商い以外にも、アメリカの商いの状況を調べたり、人材を探したりと、忙しく走り回っているみたいですよ」


その言葉に思わず口元が綻ぶ。

実に龍馬さんらしい行動だ。

まあ、船で日本との往復することも考えられたけど、龍馬さんのことだから、アメリカで多くの人と交流して仲間を作ったりしているんだろうな。


「なるほど、で、人材の話だが、平八君の言っていた人々は見つけて連れてこられたのかね」


象山先生がそう言うと、勝さんがニヤリと笑い頷く。


「まずは、元々いたブルック大尉にはアメリカ政府から正式に承認を貰い、海軍の軍事指導及び蒸気船開発で来て頂いております」


「うん、彼には甲鉄船の開発を頼まねばならぬからな」


象山先生が満足そうに頷く。


「田中久重様とも息がピッタリのようで、嬉々として甲鉄船の開発をしていますよ。

で、その甲鉄船に使う鉄の開発者として、発明家のウィリアム・ケリー殿にも来て頂きました」


「ほう、ケリー殿を見つけられたのか。

平八君によると、反射炉よりも効率的な鋼の作り方を研究されているとか」


アッシの夢で見た世界だと、ウィリアム・ケリーはベッセマー法という特別な製鉄方法を開発した人物の一人。

この方法での製鉄によって、鋼の生産が飛躍的に増大したという。

夢では、大金を払って、10年後位に、出来上がった溶鉱炉をフランスから高額で買ったはずだ。

それが、反射炉もロクにない、この時代の日本に最先端の鋼の製造を始める技術を導入出来るのは、非常に未来への影響が大きいと思う。

まあ、アメリカにいた場合同様に、ケリーさんがベッセマー法による製鉄の開発に成功してくれればの話ではあるけれど。

そんなことを考えていると勝さんが答える。


「はい。ケリー殿の希望通りの工具を買い、鉄鉱石や石炭を大量に買ってきましたよ。

その上で、福沢君が通訳に入り、江川先生のところの門下生たちが、協力して実験炉を作ると言って集まっているみたいですぜ」


「鋼の生産については、僕も興味があるところではあるので、時間があれば、見に行ってみよう。

ところで、軍事教練の教官は見つけられたのか?」


「本当に、この人で良いか自信はありませんがね。

ユリシーズ・グラント元中佐に教官を引き受けて来て貰いましたよ。

陸軍の教官であるから、父島で暫く待って、病気が起きなければ、幕府に許可を貰い、江戸に来て頂くことになると思いますがね」


その言葉を聞いて、象山先生が目を輝かす。


「そうか。グラント中佐に来て貰えたか」


それこそが、象山先生が勝さんと龍馬さんに与えた訪米の最大の裏目的の一つ。


夢の通りなら、これから4年後、次の大統領選挙の後に、アメリカ南北戦争が起きる。

その時、北軍で大活躍するのが、ユリシーズ・グラント中佐なのだ。

奴隷制に反対する大統領アブラハム・リンカーンが誕生し、奴隷が必要な南部の州が奴隷禁止にされるのを警戒して、アメリカ連合国(南軍)を名乗って戦争になる。

この時、アメリカ合衆国(北軍)の方が人数が多いんだけど、多くの指揮官が軍を辞めて、南軍に協力してしまう。

そうやって、優秀な司令官を失っていた北軍を助けたのが、酒の飲み過ぎで退役していたグラント中佐だった訳だ。


ちなみに、ブルック大尉も南軍として立ち上がり、そこで甲鉄船を開発するのですけどね。

そう言う意味では、南北両方から有能な将軍を引き抜いたとも言えるが象山先生の考えているのは、そんな甘い話ではない。


「だけど、本当に、あのグラント中佐が、平八つぁんの言うグラント中佐なんですかね。

只の気の良い飲んべのアメリカ人にしか思えませんが」


「平八君の言うグラント中佐かどうかは、村田蔵六(大村益次郎)君に判断して貰うと良い。

グラント将軍は、戦術的な能力だけでなく、戦略的な能力も有能だと言うからな。

村田君なら、真贋を判断出来るだろう。

いや、それなら、僕が会いに行くのもありだな。

優秀な人間に会えるのは僕も楽しい」


そう言われて、勝さんは暫く考えてから尋ねる。


「…そうですか。村田君だけでなく、象山先生まで行って判断されるおつもりですか。

だけどなぁ、象山先生、本当にやるおつもりですかい?

オイラとしては、アメリカで随分色んな人に会っちまったから、あの国が火の海になるのは、どうも気が引けちまうんですが」


「さて、勘違いしては困るが、平八君の夢によると、あの国が内乱を起こすのは、彼らの判断によるものだ。

その事に関して、僕らには何の責任もない。

それが、運命というものなのかも僕にも解らない。

もしかしたら、何をしても内乱が起き、人は死に、結果は変わらないかもしれない。

だから、北軍の勝利を決定的なものとしたとされるグラント将軍がいなくなっても、運命が歴史を修正し、グラント将軍の代わりに、他の有能な将軍が北軍に現れる可能性を僕は捨てることは出来ない。

だが、何もしなければ、南軍が破れ、多くの南軍の兵が死ぬことになるのだ。

その南軍の被害の代わりに、北軍側が被害を受けることになったところで、勝君が気に病むことはないだろう」


「そりゃぁ、そうかもしれやせんが」


「日ノ本の為には、他の国から攻められない位置に巨大な統一国家があることは、それだけで危険なのだよ」


「やはり、日ノ本の為にアメリカを割れたままにするおつもりですか。

まったく、先生は、おっそろしいことを考えられますね」


「勝君はアメリカに行って、少々、アメリカに感情移入しているようだが、あの国は原住民から土地を奪って生まれた国であることを忘れてはいかん。

その様な国が力を持ち、何をするか。

そもそも、原住民を虐げたのに、自分は攻撃されたくないなどと、都合の良い話だとは思わぬかね。

そういう意味では、コロニーを地球のアチコチに持っている国も同様だな。

他人を傷つけるなら、自分が傷つけられることがあっても、それは受け入れて欲しいものだよ」


海舟会の主導の下、アメリカ分裂作戦が静かに進行していた。

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