第三話 アメリカ視察団の報告

アメリカ視察団が帰ってくると早速、阿部正弘は茶室にアメリカ視察団団長、井伊直弼を呼び寄せる。


勿論、この後、江戸城でも正式な報告会が行われるのだが、その前に面談を行い、情報を掴み、落しどころを考えて、根回しを行うのが阿部正弘のやり方だ。

実のところ、水戸斉昭のロシア視察報告も、まだ正式には江戸城で行われておらず、アラスカ購入の話も、まだ他の人間には知らせていない。

今日と同じ様に、阿部正弘は、水戸斉昭を茶室に招き、報告を受けた上で、対策を考えていたのだ。

この様な心遣いの出来る老中は、実に稀な存在である。


通常は、老中らがズラっと並ぶところに呼び出し、老中の聞くことに答えさせるだけである。

それが、身分の差が重要である江戸時代のやり方なのだ。

何しろ、身分の低い者は、自分から話してはいけないのだから。

だが、その様な方法で、きちんとした情報収集など出来るはずがない。

老中側が、既にある程度の情報を掴んだ上で、内容を確認するだけなら、それでも多少は有効性があるかもしれない。

しかし、何も知らない状態で質問をすれば、似たり寄ったりの実りのない質問ばかりが並ぶことになるに決まっているではないか。


だから、平八の夢で見た世界線においては、その、あまりにも馬鹿らしい質問が並ぶ報告会において、頭に来た勝麟太郎が、アメリカと日本の最大の違いは何かと聞かれて、

『アメリカと日本の最大の違いは、アメリカでは、身分の高い人ほど、思慮深く、頭の良い人たちであったことです』などと言う暴言を放ってしまうことになるのである。


もっとも、今回の視察団の団長は、最初から身分の高い人から選ばれているので、身分の差から来る、その様に重苦しい空気の中での報告会にならずに済んでいる。

だが、どんな情報が流れるか解らない以上、事前に話を聞き、根回しを進めることは重要だと阿部正弘は考えていた。


井伊直弼に茶を点てると、直弼は茶を飲み、一息入れる。


「心遣い感謝いたします。こうして、茶を頂くと日ノ本に帰って来た実感が湧きますな」


「1年半に及ぶ、アメリカ視察の旅、ご苦労様でございました。

予定よりも、大分長い旅となりましたが、何かございましたか」


阿部正弘が尋ねると、井伊直弼が答える。


「アメリカでは、君主プレジデントを決める、入れ札(選挙)が丁度、ございましてな。

君主が変わる可能性があるならば、とアメリカに残り、アメリカ君主と友誼を結んで参りました」


アメリカを回ってきた井伊直弼は、アメリカの国力、強大さを十分に理解している。

それ故、ピアース大統領と親交を結ぶだけでは満足せず、そのままアメリカに残って、大統領選挙の結果まで確認してきたのだ。

全ては徳川の世を守る為に。

いざとなれば、徳川家の為に、アメリカの力を利用し、反対勢力と対立することにも躊躇しないつもりの直弼だった。


「なるほど、それで、帰りが遅れたということは、アメリカの君主は」


「はい。我らが条約を調印したプレジデント・ピアースは入れ札で敗れ、ブキャナン殿が新たなアメリカ君主になりました」


「そうですか。それで、日米修好通商条約の方は」


「問題ございません。

君主が変わろうとも、結んだ条約の効力は変わらないというのが、彼らの常識とのことです。

条約で我らが最初に提案した通り、アメリカが日ノ本の領土保全を認めること、アメリカが我が国には武装して入ることを許さないこと、我が国にいる間はアメリカ人も我が国の法に従うこと、交易するのは父島のみであるということ、アメリカの技術者を教師として我が国に招き入れること、アメリカに日本商社ニッポンカンパニーを開設すること等、全て同意を貰っております」


持って行った条約案が全て同意を受けていることを確認し、阿部正弘は頷く。


「安心しました。それで、アメリカ相手に特に気を付けるべき点は何かございますか」


「アメリカは民草で出来た国と言っても、決して侮るべき相手ではございません。

領地は広大で、多くの民が銃を持っており、資源も豊富、産業も盛ん。

しかも、いざとなれば民草、全てが兵となる国であると聞き及んでおります」


「やはり、当分は敵対せぬよう気を付けねばならぬ相手ということでございますか」


「そうです。ですから、アメリカの視察団の歓迎は、水戸様が反対しようと入念にする必要がございます」


直弼がそう言うと、阿部正弘は苦笑交じりに答える。


「心配はいりません。

水戸様も、ロシアを廻り、その力を理解された様でしてな。

ロシアでは大変な歓迎を受けたのに、異国の視察団を粗末な扱いをすれば、我が国はその程度の歓迎しか出来ない野蛮な国と侮られるかもしれない。

そんなことにならない様、最上級の歓待をしなければならないと強く主張され、既に準備を始めておりますよ」


水戸斉昭の変貌ぶりに驚きを隠せない井伊直弼を見ながら、阿部正弘は続ける。


「それで、アメリカの視察団の方は、いつ頃に来る約束なのですか」


「来年になります。視察団には春頃に父島に来て頂き、そこから視察団の者を、我が国の船に乗せて、案内、歓待すればよろしいかと」


「歓待の方法については、実際にアメリカに行った者も呼んで検討することと致しましょう。

ところで、他には、何か気を付けるべきことはございませんか」


阿部正弘が尋ねると、直弼は暫く考えた後、話始める。


「アメリカに設立した日本商社について、一つ提案がございます」


「ほう、どの様な提案でございますか」


「これまで日本商社の資金は国防軍の予算を流用しておりました。

それを止め、アメリカでやっている様に、日本商社を株式会社とし、その株を外様大名や市井の商人たちにも売り出すことを提案したいのです」


これは、実のところ、アメリカを見てきた小栗忠順おぐりただまさの提案であるのだが、井伊直弼の手柄にする為、小栗合意の下、直弼の提案として、阿部正弘に話しているのである。


「…株を売り出す?

それで、一体どうなるのでしょうか」


阿部正弘が尋ねると直弼は小栗から教わった株式会社の仕組みを説明する。


「株はアメリカではストックと呼ぶのですが、まず、この過半数は幕府の物とします。

そして、会社の方針は過半数を持っている者が決められる仕組みと致します」


「それならば、いくら株を売ったところで、日本商社の方針を幕府が決めることには変わらないということですな」


「そうです。外様大名に株を売ろうとも、市井の豪商に株を売ろうとも、日本商社の方針に口を挟まれることはございません」


直弼がそう言うと、阿部正弘は考えながら尋ねる。


「それで、過半数以外の部分の株を売り出す訳でございますか。

しかし、その様な株を買ったところで何になるのでしょうか。

株を売り出したところで、買う者がいるのでしょうか」


阿部正弘の問いに直弼が答える。


「会社の方針は株の過半数を持つ幕府が決めます。

ですが、異国との交易は日本商社が独占するのです。

従って、異国との交易に参加したいならば、幕府から株を買う以外に方法はございません。

言い換えれば、異国から直接物を買いたい場合も、異国に物を売りたい場合も、株を買った者だけが日本商社に依頼することが許可される物とするのです」


「なるほど、そうすれば、異国と取引をしたい大名や大店は株を欲しがるか」


「そうです。

更に、株を持っていれば、直接の自分の売買以外でも、会社の利潤の一部を配当として受け取れるようにします。

少々やり過ぎではないかと、私などは思いますが、それがアメリカの株式会社の仕組みですからな」


直弼がそう説明すると、阿部正弘は感心したように答える。


「いやいや、それだけやれば、多くの資金が日本商社に流れ込むことになりましょう。

そして、日本商社の株を買った者は外様大名であろうと、市井の豪商であろうと、日本商社、ひいては幕府の安定を望むことになるでしょうな。

実にお見事。

なるべく早く、幕府に提案させて頂きましょう」


阿部正弘の反応を見て、直弼は満足気に頷く。

これで、日本商社が株式会社となり、大量の資金が日本商社に流れ込めば、幕府が安定するだろう。

それは、全て提案した直弼の手柄なのだ。

その手柄を持って、国防軍の主導権を直弼が握り、日本商社の初代取締役としては株式会社を日本で最も理解している小栗忠順に就任させる。

視察団に参加する為に家を捨て、幕府から離れようとも、軍事面では国防軍を井伊直弼が抑え、交易、外交面では小栗が予算を握って采配を振るい徳川家を守る。

それこそが、井伊直弼が小栗と話し合って決めてきた策であったのだ。


だが、直弼が全く予想していなかった提案が、阿部正弘からなされる。


「それでですな、株式を売り出し、資金が集まりましたら、その資金で購入したい物が丁度、ございましてな」


アラスカ購入を巡る攻防が始まる。

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