第六章 変わる結果、変わらぬ運命

第一話 茶室にて

1856年9月、ロシアから水戸の視察団が帰ったとの知らせが入ると、暫くしてアッシは象山先生と一緒に阿部正弘様の下屋敷に呼び出されたのでございます。

象山先生が阿部様に呼び出された時に、アッシが中間してお供するのはよくあることなんですが、今回はどういう訳だか、いつもの中間の格好ではなく、象山先生のお古をお借りしている時点で、おかしいなとは思ったんですがね。

どうして、アッシまで阿部様の茶室に呼ばれているんでございましょう。

どう考えたって無宿人のアッシがお会い出来る様な身分の方ではないでしょう。


アッシまで茶室へ呼ばれていると聞いた時に、慌てて象山先生に聞いても


「阿部様が平八君に会いたいと言うから、連れてきたのだ。

僕の服を貸した時点でいつもと違うこと位、平八君なら解っていただろう」


「そりゃあ、何かあるかもしれないかと思いましたが」


「なーに、招かれたのは茶室。

本来、茶室は、亭主のもてなしを楽しむ場所。作法など気にせんで良い。

くつろいで、話をすれば良いんだよ」


と気楽に話してくれる。

建前はそうでも、本当にそんな風に出来るのは象山先生だけですよ。

まあ、呼び出した以上、まさか無礼打ちにすることはないでしょうが。

やっぱり、エライ人と会うのは緊張する訳で。

そんな重い気分で、象山先生に続いて、茶室のにじり口をくぐると、そこにいたのは、象山先生の他に身分の高そうなお武家様が二人。


お茶を点てる場所に座る恰幅の良いお武家様が筆頭老中の阿部正弘様かな。

アッシが見た夢だと、阿部様は去年の安政江戸地震の頃に、老中首座を退いて、堀田正睦ほったまさよし様にその座を譲っているはずなんだけど、この世界線では、まだ老中首座のままだ。


それで、床の間の手前、一番奥に座っているのは、確か、薩摩藩主の島津斉彬だよな。

夢の中の写真で見た程度だから、それほど、自信がある訳ではないけれど。


「其方が平八だな。よく来てくれた。

まずは、一服して寛いでくれ」


そう言うと、阿部様はアッシにも座る様に促し、お茶を点てて下さる。

もう、緊張でどんな風に振る舞ったかなんて、覚えていませんよ。

一体、阿部様はどうして、アッシなんかをお呼びになったのか。

それも、どうして、そこに島津様までお呼びになられたのか。

そんな風に考えていると、空気を読まない象山先生が早速声を上げる。


「ところで、阿部様、今回はどうして平八君をお呼びになったのでございますか。

理由も解らずに呼ばれては、平八君も、どうしたら良いかわからず、酷く緊張しているようですよ」


「おお、そうか。緊張させてしまったか。

それは、済まぬな。

太郎左衛門(江川英龍のこと)から、太郎左衛門がいない時に、佐久間殿を呼ぶ際には、平八も一緒に呼んでおいた方が良いと言われたものでな」


そう言われると、象山先生が少しムっとして呟く。


「別に平八君がいなくとも、僕だけでも、話ぐらい出来ますが」


象山先生が拗ねると面倒なので、アッシはいつもの習慣で、つい反射的に宥めてしまう。


「勿論でございますよ。江川先生やアッシがいなくても、象山先生お一人でも十分大丈夫でしょう。

…ですが、象山先生は賢すぎます。

象山先生のお考えを理解出来ない者がいるやもしれません」


「確かに、僕は天才だが、他の者にも解るように話すこと位出来るぞ」


「いえいえ、賢すぎて、つい他の方では、解らないことを言ってしまうやもしれません。

そんな時、お武家様には面子がございますから、聞くことが出来ぬ恐れがございます。

その辺、アッシの様な無学な者がいれば、遠慮なく、聞くことが出来ますから」


「なるほど、確かに平八君がいれば、解らないことは聞きやすいか。

それに、平八君の視点は独特で、良い考えを思いつく切っ掛けになりやすいからな」


アッシと象山先生が話していると島津様が苦笑しながら、口を挟む。


「それだけではございません。

これまでのことは、全て平八殿の夢から始まったことと聞き及んでおります。

それなのに、実際に夢を見たという平八殿のことを我らは知りません。

それならば、死ぬまでに、一度は夢を見たという平八に会ってみたいと思いまして。

私が、阿部様にお願いしたのですよ」


島津様の言葉に不穏な雰囲気を感じた象山先生が尋ねる。


「阿部様、島津様、何かございましたか?」


「藤田東湖殿が亡くなられたとのことだ」


その言葉に血の気が引くのを感じる。


やはり、運命は存在するのか。

結果は変えられないのか。

そんな風にアッシが動揺していると、象山先生が淡々と尋ねる。


「なるほど、それで藤田殿はどうして亡くなられたのですか」


象山先生が尋ねると阿部様が答える。


「水戸様によると、ロシアで風邪を拗らせて亡くなられたとのことだ」


風邪を拗らせたと言うと、インフルエンザの様なものなのだろうか。

確か、ロシア皇帝ニコライ1世もインフルエンザで崩御されたとも言うし。


「風邪を拗らせてですか。

それで、ロシア視察団の帰国が予定より半年も遅れたということですな」


「そうだ。

帰国を決めた直後に、藤田殿が倒れられ、その看病、葬儀、その後の情報収集で帰国を遅らせたと水戸様より伺っている」


阿部様がそう言うと、象山先生は腕を組み、頷いて話す。


「なるほど、それで平八君に会いたいと思われたのですな」


そう言われて、阿部様は頷く。


「うむ。平八の夢の通りなら、藤田殿は一昨年の江戸地震の時に亡くなられたはずの方だ。

その藤田殿が元気にロシア視察団に参加している。

太郎左衛門は病で倒れたが、隠居したおかげか、まだ生きておる。

昨今の地震で死ぬはずだった人々が、平八の予言のおかげで多く救われている。

だから、運命などなく、何とかなる、そう思っていたのだがな」


「それが病で死ぬはずではなかった藤田殿の死によって、揺らがれたということですか。

確かに、平八君の夢の通りなら、阿部様は来年、島津様は再来年、僕も8年後には死ぬはずですからな」


その通りですが、そんなことは死ぬ運命かもしれない人に面と向かって言うことではないのではないでしょうか、象山先生。


「その通りだ。私も武士もののふ。死など恐れるものではない。

どうせ、人はいつか死ぬものであるしな。

だが、成すべき事を成せずに、世を去ることを望むところではない。

特に、平八の夢での破滅を知っているならばな」


「既に、各藩から資金を徴収し、軍備縮小も実現する代わりに、国防軍を創設し、軍備を増強している。

私が死んだ後、薩摩藩の命運を握ることになるという西郷と大久保には私から釘を刺した上で、平八殿の予言も二人には伝えている。

これで、日ノ本が内乱を起こす危険は減っているとは思うのだが」


「まず、国防軍の主導権を誰が握るか。

そこが内戦が起きるかどうかの分水嶺となるでしょうな。

阿部様がご健在であるならば、問題はございませんが、主導権を握る方によっては幕府旗本と国防軍が対立する危険はあるでしょうな」


象山先生が確認した上で続ける。


「更に、内戦を防ぐことが出来たとしても、異国の侵略が運命である可能性も捨てられません。

西からイギリスが、北からロシアが攻めてきて、占領された場合、やはり平八君の夢通りになりますからな」


「確かに、その危険もある。

だからこそ、佐久間殿と平八に来て貰ったのだ。

どうやって、我らの死後、この国を守るのか、その策を聞きたくてな」


阿部様がそう言うと、象山先生が苦笑して応える。


「正直、阿部様に亡くなられると、その後継者が僕の献策を聞いてくれるか判りませんからな。

何とか、生き残って頂いた方が都合が良いのですが」


確かに、そうかもしれませんが、自分の都合で生き残って欲しいなんて、本人に言うことではありませんよ、象山先生。

無礼な象山先生の言葉に怒ることもなく、阿部様は苦笑して応える。


「まあ、死を覚悟しているとは言っても、生きることを諦めた訳ではない。

生き残る方法があるなら、出来る限りの努力はする。

いざという時に対処する為に、太郎左衛門の様に隠居することも考えよう。

だが、それにしても、後継者を選んでおく必要があるし、生き残れなかった場合の対策も練る必要があるであろう」


「仰せの通りでございますな。

策を練る時は、上手く行く場合、思い通りに行かない場合、それぞれの策を予め立てて置く事が肝要。

それで、平八君も呼ぶことにした訳ですな。

平八君の夢では、僕も八年後には死ぬことになっておりますから」


象山先生に言われて、思わずアッシは返事をしてしまう。


「江川先生も、同じ様なことを仰せでしたが、アッシはもう53になります。

8年もすれば61。日ノ本が分裂する12年後には、65になります。

生きているか、解らない身である上、只の無宿人でございますから」


「とりあえず、平八君は僕の弟子ということにしておけば良かろう。

まあ、僕ほどではないにせよ、僕の言葉を伝える弟子ということにしておけば、多少は耳を傾けてくれる者もいるだろう」


「それにしても、どうしてアッシなのですか。

生き残ると言えば、慶喜公も、大久保様も、勝さんだっております。

その方に頼んでおいた方が」


「一橋様も、勝殿も頼まずとも、日ノ本の為に働いてくれるだろう。

西郷や大久保には、直接、私からも頼んであるしな。

だが、平八殿はそうではないと聞き及んでおる。

だから、頼んでおきたいのだよ」


島津様が急に声を掛けて来るのでビックリする。

姿勢を変え、アッシの方をちゃんと見て、頼んでいる。

正直、その態度に驚きだ。

今の世の中は身分社会。

上の身分の者が下の身分の者を切り捨てるなんて、平然とやっていることだ。

実際、夢の中で起きた安政の大獄でも、例えば橋本左内様なんかは、福井藩主松平春嶽に簡単に切り捨てられているし。

だけど、島津斉彬様は違うんだよな。

本気で中浜万次郎様のことを心配しているし、身分の低い者アッシでさえ、殿と呼ぶのだものな。

本当に変わった人だよ。

西郷様が絶対の忠誠を抱いているのも納得の姿。

で、島津様の様な身分の高い方に、頼まれれば、お断りすることなんぞ、出来ないんですけどね。


「恐れ入ります。アッシの様な者では出来ることも限られておりますが、微力を尽くさせて頂きます」


「まあ、平八君、心配するな。

天才の僕が、皆が生き残る策を考え、万が一、助からなかったとしても、大丈夫なように万全の策を残しておいてやる」


いやぁ、本当に頼みますよ、象山先生。

アッシは、天下国家だの、おいえだの、ピンと来る話ではありませんがね。

ここまで、協力してやって来たんだ。

その努力が全て無駄になって終わるなんて事は望んでやしませんよ。

だけど、アッシなんぞに、何が出来るか。

慶喜公や、大久保様、小栗様、それに勝さんがいれば、アッシに出来ることなぞ、残っていない気がするのに。

あまり、変な期待をかけ、重荷は負わせないで頂きたいのですが。


そんな風に考えていると、象山先生が続ける。


「さて、生き残りの策を考える上でも、平八君へ渡す策を考える上でも情報は重要です。

そろそろ、ロシア視察団の報告を聞かせていただけませんでしょうか」


こうして、アッシは中間から象山先生の弟子という扱いに変わり、ロシア、アラスカを巡る検討に参加することになったのでございます。

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