第三十五話 変わりゆく日本

あっという間に、この国は大きく変わった。

まさか、僅か数年で刀を持っているだけで白眼視されるようになるとは。

男は、変わり果てた江戸を見てそう思った。


最初に黒船が来た時、幕府は醜態を晒したと男は思った。

黒船を追い返すことも出来ず、上陸まで許して何やら受け取っていたという噂が流れた時、徳川の世も、もう長くはないのではないかと思ったものだった。


その流れが変わったのが、翌年の二回目の黒船の来訪の際のこと。


今度は準備万端整えて待ち構えていたであろう幕府は迅速に、そして力強く対応した。

黒船を追い返した上に、その武器を取り上げて見せたのだ。

かわら版では、元寇を追い返した鎌倉武士に譬えて、幕府の対応を絶賛。

続いて行われた砲術大会では、薩摩などの大藩よりも遥かに遠くまで届き、的を撃ちぬく幕府の鉄砲に大砲が見せつけられる。

特に、着弾と同時に爆発する大砲の弾丸は江戸っ子の度肝を抜くものだった。

これらのことで、幕府の威光が増すと、幕府は矢継ぎ早に、策を打ち出す。


異国から日ノ本を守る為に、身分を問わず戦う者を募集し、国防軍を創設することを高札で日本中に宣言。

幕府は、国防軍に参加するのならば、何処の藩に属していても、藩に禄を返すならば、国防軍に受け入れることを宣言。

それに応えて各藩は国防軍に参加するならば、藩を離れても脱藩扱いとして罰したりしないことを約束。

その結果、日本各地から攘夷の志に燃える者達が江戸に集まってくることになる。


更に、幕府は国防軍募集と並行して、献刀令を出す。


曰く、刀とは主を守り、国を守る為にある者であって、己が立身出世の為にある物ではない。

国防の為に鉄が不足しているので、刀を持っても戦いたくない者からは幕府が刀を買い取ろう。

刀を献じた者は、戦う武士であることを辞め、幕府が刀を買い取ったその資金で、新たな生き方を考えるが良い。

刀を持ち、異国と戦うことを恐れない者は、国防軍に参加せよ、と。


この献刀令の後、国防軍に参加せず、主を持たないのに刀を持つ者に向けられる目が徐々に厳しいものと変わるのは当然だったのかもしれない。

この時代の江戸の識字率は世界的に見ても異常と呼べる程、高水準にある。

だから、皆が理解出来るのだ。

国防軍に参加せず、主を持たない侍は、戦うのが怖い臆病者か、己の立身出世の為に刀を持ち続ける無法者であると。

その目に耐えられない者は、国防軍に参加するか、刀を幕府に献じて、新たな仕事を始めるようになっていく。


だから、男の様に剣術修行をしている者にも、冷たい目が向けられるようになっていた。

まるで犯罪者予備軍の様な扱いだ。

ヤクザ者も、ダンビラを取り上げられる。

男も、江戸を歩いているだけで、何処の家に仕える者か、何度も警備にあたる町方に誰何すいかを受けるのだ。

もう慣れてしまったが、それでも男にとって、面白くない状況。


そのように、男が江戸の町を歩いていると、軍服と呼ばれる奇妙な服を着た連中とすれ違う。

国防軍の中で、陸軍と呼ばれる連中だ。

軍服は身体にピッタリした服で、袖も筒袖で幅がなく、袴も幅がなく、動きやすいようになっている。

寒い時は良さそうだが、暑い時期は暑苦しそうな服だ。

その国防軍を見る江戸っ子達の目は暖かい。

声援を送る者もいる位だ。

刀を持つ自分を見る目とはエライ違いだ。

国防軍が江戸に来始めた頃には、こんなことはなかったはずなのに。


国防軍が江戸に集まりだした当時、江戸っ子は国防軍に入った者達をどちらかと言うと田舎者とバカにしていた様に思う。

最初に国防軍に参加していた者達の多くは、田舎の藩士、浪人、それに商家や農家の次男三男だった。

江戸に慣れない者も多く、江戸っ子達は奇妙な格好をした国防軍を冷ややかな目で見ていたものだ。

それが一変したのが、去年の秋の安政江戸地震の頃。

バカにしていた国防軍が江戸中を走り回り、江戸の英雄である火消したちと共に、火を消し、瓦礫の下から多くの命を救いだしたのだ。

命を助けられた者、その家族が国防軍に感謝するようになった。

そして、その規律正しい動きに賞賛が向けられるようになっていったのだ。


日本は変わった。

国防軍募集の影響は全国に広がっており、国防軍の人数が増えるのに比例して、各藩の武士が減っている。

昨年、男が全国を回った時にも、何処でも藩士が減り、軍備が減っていく様子に驚かされたものだ。


神田にある於玉ヶ池に向かう途中、海を見ると黒い煙を出す蒸気船に日の丸が翻るのが目に入る。

国防軍に所属する海軍と呼ばれる連中が作り、動かしているという軍艦だろう。

嘘か本当か、一昨年の冬に来たアメリカの軍艦を参考に、去年位から国防軍でも蒸気船を作れるようになり、今は何隻かは異国にまで行っていると言う。

高札では、異国が攻めてきた場合は、日本中の何処へでも駆けつけるとされている。

蒸気船の他にも、多くの今まで見たこともない形の船(西洋帆船:スループ船)が行き交い、操船訓練を行っていると言う。


国防軍は銃と大筒、それに蒸気船などの武器を中心に戦うのだと言う。

献刀令で集められた刀を潰して、銃にしているとも聞く。

もう、刀の時代は終わったと言われるようで、剣術修行中の自分としては寂しいものだと男は思う。


男は、於玉ヶ池の玄武館に着くと日課の剣術修行を行う。

ここ玄武館は江戸の三大道場の一つ。

技の千葉と呼ばれる北辰一刀流を伝授する場所であり、これまでの型中心の稽古と異なり、防具と竹刀を用いて打ち合う形の剣術修行を始めた場所でもあった。

男が一通りの稽古を終えると、半年前に今は亡き千葉周作より道場を継いだばかりの千葉道三郎が声を掛ける。


「清河殿は、お心は決められましたかな」


「はい。おらも師範だぢど一緒さ国防軍さ参加さしぇで頂ぐべど考えでおります」


北辰一刀流は水戸藩に多くの門弟を持つが、水戸藩士の多くは国防軍に参加するか、海外視察に同行してしまったので、江戸には、ほとんど、いなくなってしまっている。

その上、刀を持つ人間に対する目が厳しくなる中、剣術を学ぼうという人間も減っているのだ。

一方、同じ江戸三大道場の一つとされていた斎藤弥九郎率いる神道無念流の練兵館は道場全員で国防軍に参加していると言う。

そこで、ここ玄武館にも、道場ごと、国防軍に参加しないかという勧誘が幕府から出ていたのだ。


「それが良いでしょう。

父から引き継いだ玄武館ですが、剣術を学ぶ者が減った今となっては、今の状況を維持することは困難。

国防軍に参加すれば、練兵館と並んで剣術修行を受け持つことが提案されております。

清河殿も参加して頂ければ、このまま剣術修行を続けられるかと」


そう言われて頷きながら、清河八郎は考える。

彼は庄内藩出身(山形県辺り)。

そこでは、剣術だけでなく、学問も治める英才と呼ばれ、一旗揚げようと江戸に出てきた身。

その彼の目から見て、今の幕府の体制は盤石だ。

国防軍には今まで参加していた者に、幕府の直参旗本も次々に幕府に禄を返上し参加し始めている。

その上、諸国を巡って思ったが、国防軍参加の為に、各藩の武士の数も減っている。

もう、この国防軍に対抗出来る戦力は日本中、何処にもないだろう。


だが、国防軍は誰でも参加出来、実力主義であると聞く。

ならば、国防軍に入り、そこで立身出世すれば、主導権を握ることは可能なのではないか。

そして、主導権を握れたならば、国防軍を天子様の軍隊として、日本を本来のあるべき姿に戻す。

それこそが、正義ではないのか。

それが、平八の見た世界線で、幕府の為に集めたはずの浪士組を天子様の軍としようとした清河八郎の出した結論であった。


それは、ある意味、国際情勢を知らされていない当時の日本人の限界であったのかもしれない。

これに対し、国防軍参加を認める側は、まず軍事教練と同時に現在の世界情勢を叩き込むことにしていた。

迫りくる西欧列強の脅威。

今は、日本国内で争っている余裕などはないと。


人間、自分で見て、感じなければ実感は中々難しいものである。

そこへ、異国の脅威と力をその目で見て、触れて、感じて実感した者たちが日本へ帰ってくる。


1856年10月、水戸斉昭一行がロシアから帰国するのである。

そして、水戸斉昭一行の帰国の報に含まれた一つの情報が、海舟会ら平八の見た未来を知る人々に衝撃を与えることとなる。


藤田東湖死す。


日本の未来を巡る戦いは、新たな局面を迎えることとなる。

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