遠い夜明け(改題しました)―戊辰戦争で徳川慶喜が大阪城から逃げなかった結果、最悪の未来を辿った世界を知る何の力もない老人が、黒船来航直後から、幕末の英雄たちと一緒に歴史の再改変に挑みます
第二十六話 大久保一蔵の策とロスチャイルド男爵
第二十六話 大久保一蔵の策とロスチャイルド男爵
大久保一蔵がジェームズ・ロチルド男爵(ロスチャイルドは英語読み)を呼んできたのは偶然でも何でもない。
勝麟太郎に渡された予言の書を基に論理的に考えて、一蔵が行動した結果である。
まず、日本の基本戦略は、日本を異国の侵略から守ることとされている。
そして、その為に実施すべき基本戦術が、時間稼ぎである。
今の日本の軍事力ではどうやっても、イギリス、ロシアなどの異国には
だから、時間を稼ぎ、その間に交易で利益を上げ、異国が侵略に来ても撃退出来るだけでの戦力を蓄える。
それは、一蔵でも容易に納得出来る基本戦術だ。
そして、このヨーロッパで各国が互いに争うクリミア戦争というのは日本にとって有利な状況である。
確かに、ヨーロッパがアジアに手を出せないという隙を突いてアメリカのペリーが武力で日本を脅迫する様なことも起きた訳だが。
それでも、ヨーロッパで争いが起き、日本に目を向ける余裕をなくすこと、日本にとって利益になるはずなのだ。
では、どうやってクリミア戦争を長引かせるのか。
そこで、一蔵が考えたのが、ロシアが戦争を続けられなくなる理由である。
専制君主国家であるロシアは、畑で兵士が取れると言われるほど、人口と比較しても莫大な兵力を有している。
だから、88万もの兵力を出し、55万近い犠牲を出しても戦争を続けられたのだろう。
全てはロシア皇帝が絶対権力者であるから。
その点、民草の声に左右されて撤兵を考えるフランス皇帝とは大きく異なる。
では、ロシアが戦いを続けられなくなった理由は何か?
一蔵の醒めた頭脳は、それが資金にあること可能性に思い当っていた。
剣を振り回していただけの昔の
勝に示された予言書には、イギリス、フランス、オスマン帝国も資金不足に苦しみ、
もちろん、一蔵としてもこの予言書を妄信するつもりはない。
だから、一蔵は予言書にある通りに、借金が事実であるかを確認したのだが、どうも事実の様なのだ。
そして、予言書では、ロシアもクリミア戦争後に資金不足に苦しんだとされている。
これを、この後、始めた改革で資金不足になったという意見もあるが、戦争が金食い虫であるということを考えれば、このクリミア戦争の頃から資金不足に苦しんでいたと考える方が自然であろう。
その結果、ロシアは、広大な土地を二束三文でアメリカに売り渡すという。
更に、それでも足りず、今度はクリミア戦争の時にイギリスらに金を貸していた金貸しから、石油という鉱山の様な物を担保として、金を借りるようなのだ。
これは、改革の為だけに資金が足りなくなった訳ではなく、クリミア戦争の時から資金が足りなくなっていた証拠なのではないか。
そして、もし、クリミア戦争後に金を貸す金貸しが、今、ロシアにも金を貸せば?
少なくとも、その可能性があれば、ロシアは再戦を検討するのではないか。
それが、一蔵の推論の結果であった。
イギリス、フランス、トルコに対し、資金を貸していた金貸しロチルド男爵に会うことは然程困難なことではなかった。
ロチルド男爵は伊達男でパリ社交界の華、彼の邸宅はパリ有数の社交場であり、慶喜一行も何度も招かれ訪問していたのだ。
また、ロチルド男爵は芸術を愛し、作曲家、小説家、詩人と親しく付き合い、画家のドラクロワに頼まれ、乞食の格好でモデルを引き受けるような男であったのだ。
そんなロチルド男爵であるから、日本展にも興味を持ち、以前から慶喜だけではなく、英語を話せる一蔵とも交流があったのだ。
むしろ、一蔵にとって困難だったのは、慶喜にロチルド男爵の事を伝え提案をすることであった。
慶喜は気まぐれに、身分が下の人間のところにも顔を出し、気さくに話を聞く。
だが、通詞としての役割がある訳でもなく、訪欧視察団の一員に過ぎない一蔵から、積極的に策を伝えられるほど、身分の壁は薄くなかったのだ。
そこで、一蔵が考えたのは、英語の通詞である渋沢栄二郎を通じて提案することであった。
一蔵から見ても、渋沢栄二郎は優秀な男だ。
アメリカ人の世話係に任命されていたことから、アメリカの間諜になっているのではないかと疑っている者もいるようではある。
だが、一蔵が見る限り、栄二郎は損得勘定、計算をちゃんと出来る人間のようだ。
無意味な裏切り、売国行為をするとは思えない。
更に、万が一、栄二郎が本当にアメリカの間諜になっていたところで、イギリスとロシアの争いが続くことは日本だけでなく、アメリカの国益にも反しない。
それならば、万が一栄二郎がアメリカの間諜であったとしても、一蔵の策を栄二郎が邪魔をする理由はないと考えていた。
ただ、一蔵にとって計算外だったのは、ロチルド男爵の判断が想像以上に早かったことである。
栄二郎が慶喜に一蔵の提案書を渡す前に同行に同意してしまったのだ。
通常、武士、役人や貴族であるならば、まず先触れで約束を行い、それから面会を行うものである。
だから、一蔵としては、今回の訪問は、あくまでもロチルド男爵と慶喜との面会を調整する為の先触れとして行っただけのつもりであったのだ。
しかし、儲け話と聞いたロチルド男爵の行動は、早かった。
幸運の女神には前髪しかないと言って、慶喜の都合が悪いかもしれない、待たされることになるかもしれないと言っても気にせずに、慶喜の滞在するホテルまで面会に来てしまったのである。
この点、予め詳しく商人である渋沢栄二郎に相談していれば、その様な可能性があることを指摘されていたのかもしれないが。
一蔵は、そこまで栄二郎に腹を割っている訳でもなかったので、この様なことになってしまったのだ。
逆に、一蔵にとって幸運だったのは、慶喜が一蔵の想像以上に聡明であったことだろう。
慶喜は、大久保一蔵がロチルド男爵を招いてきたと聞くと、すぐさまロシアに資金を与えて戦争を継続させようとしている一蔵の意図を理解し、口元を緩める。
慶喜は、突然現れたロチルド男爵を待たせて、一蔵に事情を確認すると、ロチルド男爵を招き入れることにしたのである。
「よく来て下さった、ロチルド男爵。
パリ社交界の華が、突然来て下さるとは思っていなかったので、ろくな歓迎の準備など出来ていないのですが、歓迎いたします」
慶喜がそう話すと一蔵が訳してロチルド男爵に伝える。
「いえいえ、こちらこそ、突然の訪問申し訳ございません。
大久保様から儲け話があると伺いまして、丁度時間がありましたので訪問させて頂きました」
「ほう、儲け話ですか?」
「はい。儲け話は機を逃せば、誰かに取られてしまいます。
今、パリでも評判のプリンス・ケーキがお呼びであると伺えば、商人なら誰でも飛んで参りますよ」
「機を見るに敏。商いも
「はい。その通りでございます。
私も男爵などという爵位を貰っておりますが、所詮は父の代で商売に成功しただけの成り上がり者。
儲け話があると聞けば、貪欲に駆けつける次第でございます」
慶喜はロチルド男爵が口元に笑みを浮かべながらも目が笑っていないことを確認しながら尋ねる。
「そうですか。確かに、儲け話はあります。だが、その前に男爵の覚悟をお伺いしたい」
「覚悟ですか?」
「そうです。
男爵は、金貸しをされているとのことですが、儲けが出るのならば、誰にでも貸されるのでしょうか」
慶喜が尋ねるとロチルド男爵はにこやかに答える。
「金に善悪はありません。
決して貧乏は恥ではありませんが、誇るものでもないのです。
金はあれば、様々な機会を与えてくれるのです。
機会が欲しいという人がいて、返して貰える保証があるならば、私は喜んで、その手助けをさせて頂きます」
その言葉を聞いて、慶喜は頷く。
さて、ロチルド男爵は日本への資金提供と誤解してくれたようで、一応の言質は取らせてもらった。
これなら、ロシアに金を貸してくれと言っても断りにくいはずではある。
とは言え、どうやって話を持って行けば良いか。
一蔵に聞いていたところによると、ロチルド男爵の所属するユダヤ人という民族は、2000年前に国を失い各国を彷徨う流浪の民。
2000年もの間、耶蘇教(キリスト教)との宗門の違いから、各地で迫害されてきたという。
そして、ロシア帝国はユダヤ人の迫害を推進してきた存在。
ユダヤの同胞を迫害するロシア帝国は、ロスチルド家にとっても敵でしかないのだ。
加えて、もし今回のクリミア戦争で、ロシアの勢力が広がれば。
万が一、ロチルド家がロシアの勢力圏となれば、自分達に危険が及ぶかもしれない。
だから、ロチルド家は、ロシアと敵対するイギリス、フランス、トルコに莫大な戦争資金を提供していると言うのだ。
今回のロシアへの資金提供への提案は、そのロチルド家の基本方針を変えさせることになる。
それは決して簡単なことではない。
正直、日本としては、戦争が長引き、被害が広がってくれれば、どちらが勝とうが構わない。
日本が武力増強するまでの時間さえ稼げれば良いのだ。
だが、ロチルド家としてはロシアに勝って貰っては困るのだろう。
まず、これまでの分析を見る限り、ロシアが時代遅れの武器を持っていることは間違いない。
だから、このまま戦争を続けたとしても、勝つことが難しいだろう。
しかし、フランスでは厭戦気分が広がっている。
もし、ロシアに資金提供をしてして戦争が続いたのに、フランスが撤兵してしまえば。
あるいは、ロシアが逆転勝利を手にしてしまうかもしれない。
ロシアに戦争を続けさせる為には、ロシアに勝てるかもしれないと信じさせる必要がある。
その点、ロシアへの資金提供の提案は間違ってはいない。
ヨーロッパでの戦争を継続させ、アジアに目を向けさせたくない日本。
ロシアの勢力拡大を防ぎ、安全を確保したいロチルド家。
南下政策を成功させて不凍港を確保したいロシア。
妥協点を探りながら、会談は続いていく。
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