第二十三話 パリのサムライたち

一橋慶喜が日蘭通商条約を締結して、日本商社ロッテルダム支社の設立を決めると、オランダはこれまでとは打って変わって、欧州各国へ日本の紹介を積極的にするようになった。


これまでのオランダは日本を囲い込み、日本との貿易利益を独占することを望んでいた。

だから、日本が他の欧州諸国と関係を持つことを望んでいなかったのだ。

だが、日本が日本商社をロッテルダムに設立したことにより、オランダの目的は、日本との間での貿易で利益を上げてその利益を独占することから、日本の商品目当ての商人をオランダに迎え、そこで利益を得ることにシフトしたのだ。

つまり、日本からオランダが日本商品を直接買い、オランダ自身で日本商品をヨーロッパに販売することにより利益を上げて、その差額から利益を得ることから、日本商品をエサにヨーロッパ中から商人を集め、オランダでの貿易そのものを活性化させ、商人の滞在費、交通費、関税などで利益を上げる方向へと方針を変えたという訳だ。

この様に方針を変えた以上、オランダが日本を囲い込むことに意味はなくなっていた。

むしろ、オランダは日本の良さ、価値をヨーロッパ中に喧伝し、多くの商人が集まるようにすることを望むようになったのだ。


それは、慶喜の期待通りの動きであった。

その成果は、オランダの次の訪問地フランスで早くも花開くこととなる。


神秘の国日本の王子様一行が欧州視察に来ていることをフランスに告げたオランダは、フランス側に、三つの提案を行う。

日本視察団のフランス全土視察、フランス皇帝ナポレオン三世との謁見及びパリにおける日本展の開催の三つである。

その提案は、日本側の用意した一枚の浮世絵と共にナポレオン三世に提出された。


この浮世絵が何であったのか。実のところ、明確にはなっていない。

一枚ではなく、数点であったという説もあるし、浮世絵ではなく、有田焼の陶器であるとの説も存在する。

いずれにせよ、日本の展示品に、新しい芸術を求めていたナポレオン三世が飛びついたのだ。

ナポレオン三世は、自らの権威の高揚の為、芸術分野でも賞賛されることを求めていた為、当時のフランスの芸術の権威であった芸術アカデミーと対立していたのだ。

そこで、ナポレオン三世は、日本の芸術を芸術アカデミーへの武器としての利用を考えたと言われている。


通常、芸術アカデミーは自分達が認めた以外の芸術には酷評しか与えない。

その結果、芸術としての売り上げが落ちてしまうのだ。

だから、ナポレオン三世がどんな新しい芸術を作り上げようとしても、なかなかうまく行かない状況があった。

これに対し、今回、日本展で展示される日本の美は国家の賓客の用意した物。

さすがの芸術アカデミーも酷評することなど出来ず、日本の芸術に関しては沈黙を保つこととなるだろうと考えたのだ。

その結果、多くの人が新たな芸術を体験すれば、フランスに芸術アカデミーの価値観に捕らわれない新たな芸術が誕生することとなるだろうとナポレオン三世は考えたのだ。


そこで、ナポレオン三世は、昨年1855年にシャンゼリゼ通りで、フランス万国博覧会が行われたばかりの水晶宮で日本展を一か月に渡って開催したいとの希望を日本側に提出した。

この要請に対し、日本側は快諾。

その日本展の間、日本の視察団がフランス各地を視察することを条件に、世界で初の『神秘の国日本の美と伝統展』がパリで開催されることになったのである。


この日本展には、パリ万博の為にフランスに来て、まだ帰っていなかった人々が多く見学にやってくることとなる。

その中には、パリ万博を取材していた記者も多く含まれており、日本の情報がヨーロッパ中を駆け巡ることとなるのである。

記者たちは、日本の持ち込んだ新たな芸術は、これまでのアジアの国々がヨーロッパに齎した、どの芸術とも異なっており、多くの人々を魅了するものであると伝えている。

その結果、記事を読んだ多くの人がパリに集まり、パリの日本展は前年のパリ万博にも劣らない程の観光客を呼び込み、大好評を博すこととなる。


ヨーロッパにジャポニズムのブームが誕生したのである。


特に、日本の浮世絵はフランスの芸術家たちに大きな影響を与え、ナポレオン三世の期待通り、新たな芸術、印象派誕生の切っ掛けになったとも伝えられている。


この日本展の間、日本視察団はフランス各地の軍施設、工場、海軍基地などを視察するだけでなく、慶喜などは、パリに滞在している間は日本展に顔を出し、ヨーロッパで更なる人気を博すこととなる。


特に、プリンス・ケーキのフランス人気がフランスで最高潮に達したのは、ナポレオン三世との謁見の際の逸話であろう。


ナポレオン三世は、もともと無口な人物である。

事前にその話をシーボルトとオランダから聞いていた慶喜は、謁見の場での交渉は早々に諦め、ナポレオン三世には言葉でなく、行動で好意を得て、後の交渉を有利に進めようと考えたのだ。

そこで、日本側は謁見の前にフランス側に密かに接触。

日本展でナポレオン三世が最も気に入っていたという展示品を確認した上で、彼が最も気に入っていたという葛飾北斎作、富嶽三十六景より神奈川沖浪裏を謁見の際にプレゼントしたのである。


ナポレオン三世は大層感動し、日本がパリ万博に間に合わなかったことを残念に思い、次回の万博には是非、日本にも参加して欲しいと要請したという。

当時のフランスの新聞も、この日本側の心遣いを絶賛している。


そんな会談の裏で、日仏通商条約の交渉が進んでいく。


一方、軍需工場、海軍基地には、図面を見れば、その構造が正確に理解出来る天才、嘉蔵と船大工上田寅吉の弟子たちが見学に行き技術を習得していく。

フランス人達は自分達より劣ったアジア人などに高度な技術である蒸気機関やライフリング、大砲技術など理解出来るなどと夢にも思わず、自慢げに最新の技術を教えてくれたというのだ。

後に、日本人が欧米の技術を理解し、模倣し、改良出来ることをフランス人が知るようになると、この様な見学は許されなくなる。

しかし、当時のフランス人は、親切に、誇らしげに、聞いたことには何でも答えてくれ、聞いた人が解らなければ、解る人を呼んで説明してくれたので楽で良かったと、嘉蔵は後に述べている。


この様に、慶喜を中心とする交渉団、嘉蔵を中心とする技術者たちが様々な活動をする中、フランスでの活動に適合出来る者もいれば、適合出来ない者もいる。


「慶喜公は何をしゆーのだ。商人でもあるまいし。異人に媚びを売ってどうする?」


しゃくれた顎の大男、土佐の武市半平太は不満げに呟く。


「そうは言っても、慶喜公に拝謁出来ると言うので、異人たちが熱狂していることも事実ですから」


近藤勇が困ったような顔をして武市を宥める。

近藤勇と武市半平太は共に剣客であり、道場主でもあったところから話があったようで、ヨーロッパへの航海中に互いに剣の稽古をするなど、交流を深めていたのだ。

この時点で、武市は27歳。近藤は22歳。

二人の間には、年齢を超えた友誼が芽生え、既に同志という様な関係であった。


近藤が宥めるのに武市が反論しようとすると土方歳三が横から口を出す。

和服を着て丁髷のままの近藤や武市と違って、土方は髪を伸ばし洋服を着込んでいる。

そんな土方に声を掛けられて、あからさまに嫌な顔をする武市。


「まずは、交易で儲け、その金で異国の優れた武器を手に入れることが第一。

武市さんも、高島平での砲術試しをご覧になったのでしょう。

ならば、日ノ本の武器では、異国の武器にかなわないこともわかったはずだ」


「それは、わかっちゅー。やき、商人あきんども連れてきたのであろう。商人のことは商人に任せちょけばええがじゃ」


「だが、慶喜公を一目見たいということで、パリの日本展はいつも以上に盛況だ。

結果が出ている以上、文句を言っても仕方なぇんじゃないか。

文句を言うなら、慶喜公があの様なことをなさらずとも、交易条件を良くする策を出してからにしたらどうだい」


商売あきないなど商人あきんどのすること。

そう思っている武市に対案などあるはずもない。

だが、慶喜のやりようは、日本や武士の権威や矜持を傷つけるような気がして、どうしても武市の癇に障るのだ。

反論が出来ないから、武市の非難は土方の格好に向けられる。


「結果が出れば、何でもええというものじゃないろう。

だいたい、その恰好はなんや。異人の真似などしおって。日ノ本の人間として恥ずかしい思わんのか」


「何度も言ってますが、この格好の方が暖かく、動きやすいんですよ。

郷に入っては郷に従え。

慶喜公の様な衣装持ちなら、着替えも沢山あるでしょうが、こっちはたいして着替えもない。

それなら汚れた服を着るよりは、大事な場所以外は、異人の服でも着た方が良いでしょう」


2月のパリはかなり寒い。和服ではかなり着込んでいたとしても隙間から風が入り寒いのだ。

その点、洋服はピシッとしまるので、寒さには圧倒的に強い。

剣を振るにも、和服よりも布が纏わりつかないので、振りやすい。

暖かい上に、戦うにも便利なのだ。

歳三から見れば、便利な物を忌避する武市の方が解らない。


土方がそう答えると、今度は高杉晋作が横から口を挟む。

彼は当時17歳。身体は小柄だが、態度はでかい。

元々国防軍に参加していたのだが、同時に国防軍に入った久坂玄瑞よりも語学に才があったことから、陸軍から海軍へと異動。

欧州視察団には海兵として参加していたのだ。

その高杉だが、長州の身分的には家老級の桂小五郎と並ぶ高位の身分であり、下士からの参加が多かった海兵隊の中では、かなり身分の高い存在であった点も態度のデカさの理由であろう。


「異人どもは、日ノ本の格好は着流しじゃろうと紋付き袴じゃろうと区別はつかんよ。

珍しい道化の衣装じゃとでも思うちょるんじゃろう。

それなら、連中の格好で正装しちゃった方が、ずっと礼に叶うちょるいるたぁ思わんか」


そういう高杉も洋装で丁髷を結っていない。

実のところ、土方と高杉は意外にも気が合った。

和歌や俳諧を嗜む土方と、三味線、都都逸どどいつなどを嗜む高杉。

二人とも、本質的には芸術家気質でもあったのだろう。

その上、二人は夜な夜な連れ立ってパリの色町に通う仲でもあったのだ。


ヨーロッパにおいても、土方は色男に映るようで日本と変わらずフランスの高級娼婦にモテ、三味線を弾ける高杉と二人のコンビはパリの色町でも有名となりつつあったのだ。

そんな二人を、女房富子一筋で、江戸にいた時も吉原に近づきもしなかった武市が良く思うはずもない。


「われらは異人の女と乳繰り合いたいだけやろうが。その為に、髪を伸ばして、異人の格好などしおって」


「フランスの高級娼婦には英語を話せる奴もいて、そんな奴の一人にフランス皇帝の弟と寝ている女もいるんだよ」


土方がニヤリと笑うと武市が驚いて問い詰める。


「それは本当か?どんな話が聞けたんや?」


「もうすぐ、このパリでロシアとの講和会議が開かれるが、フランスはいくさを続ける気がないらしいな。

まあ、所詮は寝物語。どこまで本当かはわからんが、遊んでいれば手に入る情報ってもんもあるんだよ」


「その女は、パリの色町でも有名な娼婦らしゅうてな。

評判のトシさんに興味を持ってチョッカイを出してきたみたいだが、今はすっかりトシさんに夢中みたいじゃよ」


「あの女は男を憎み、自分を娼婦に落とした男たちから復讐で金を奪っているんだよ。

だから、俺にも何処まで本気で、本当のことを話しているかはわからねぇよ」


そう言うと、土方はパリの色町の様子を話し始める。

その話を聞き入る一同。


そんな様子を見ながら、大久保一蔵(利通)は感心していた。


勝麟太郎に見せられた予言書によれば、幕府に敵対するはずだった武市と高杉が、佐幕のはずの近藤、土方とそれぞれ友誼を結んでいる。

異国の地で呉越同舟。

仲良くなるには持って来いの環境だろう。

既に、単純で暴発しそうな連中の多くは国防軍の中に組み入れられ、勝手に異人を攻撃出来ないようにされている。


その上で、自分の様に海外視察団に組み込まれた連中は、嫌でも異国と日ノ本の力の差を思い知らされる。

これで、日ノ本分裂の可能性は減り、攘夷などと言う連中は、ほとんどいなくなるだろう。

その策を考えた佐久間象山という男はたいしたものだ。


あと、日ノ本で気を付けるべきは朝廷と譜代大名の動きのみ。

だが、そちらは日本に残った連中が対応してくれているだろう。


となれば、今、欧州に来ている自分達が気を付けるべきは、この地球の最大勢力、イギリスの対応だろう。


この欧州に来るまでの間、世界中の何処に行っても存在したイギリスのコロニー(植民地)。

余程の阿呆でも、イギリスの力の強さは理解出来るだろう。

イギリスは世界中に植民地を持ち太陽の沈まない帝国と名乗り、世界で初めて産業革命というのに成功し、世界の工場とさえ言われているという。

その上で、イギリスは軍艦の多い海軍国。


もし、イギリスが本気で日ノ本を攻めるようなことがあれば、日ノ本は予言にあるように占領されてしまうだろう。


予言通りなら、イギリスは間もなく、ロシアとの戦を終わらせ、再び、清への侵略を進めるはず。

それを利用して、どうやって日本に有利な条約を結ぶべきか。

慶喜公は想像以上に優秀で、欧州人の好意を稼ぎ、イギリスが日本を攻め難い環境を作っているが、

イギリスは清でご禁制の阿片を売り込み、それを取り締まるといくさを仕掛けるような野蛮な国。

果たして、どうやって、日ノ本への阿片流入を防ぎ、イギリスの侵略を防ぐことが出来るのか。


大久保一蔵は深く考え込む。


そして、日仏通商条約が結ばれた数日後、クリミア戦争を終わらせる講和会議の為にロシアの交渉団が到着する。


そこには驚くべきことに、その交渉団に同行する日本人の姿があった。

水戸斉昭のロシア交渉の報告を携えた吉田寅次郎と桂小五郎である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る