第十五話 北の国の皇帝

1855年10月になると、クリミア戦争には、明確な勝者が存在しないことが明確になってくる。


ロシアも、英仏も予想以上に長引く戦争の戦費に苦しめられ始めた中、互いの重要拠点である要塞が陥落してしまった為に、どちらかが勝利を主張出来る状況ではなくなってしまったのである。


いくら戦っても勝ちの見えない状況で命を賭けるのは、戦闘狂か狂信者だ。

そして、戦闘狂でも、狂信者でもなければ、命の危険を冒してまで攻撃などしないものである。

その結果、クリミア戦争は膠着状態に陥るのである。


戦いが膠着状態に陥ると、戦争の趨勢を握るのは外交交渉となる。

だが、外交交渉を始めようにも、特使が敵国と接触し、交渉をするにも時間が掛かる。

全権代理として外務大臣を送り込むにしても、移動に時間が掛かるし、交渉にも時間が必要だ。

その為、外交団を送り出した後のロシア皇帝アレクサンドル2世には、多少なりとも時間に余裕が出来ることとなる。


そこで気になってくるのが、彼の亡き父ニコライ1世が招いた日本の視察団の噂である。

既にロシア社交界で、大変な噂となっている日本のサムライ達。

もともと、日本との交易は、初代ロシア皇帝ピョートル大帝の時代から、ロシア100年の宿願。

クリミア戦争で忙しかったとは言え、新皇帝アレクサンドル2世も日本に興味はあったのだ。

そんな中、流れてくる噂は興味深いものばかり。


曰く、日本のサムライは、礼儀正しく、規律正しい、ロシアでは失われた真の騎士道を知る人々。

曰く、ロシアも勝てなかったモンゴルを撃退した勇猛な人々。

その剣は、黄金などの飾り気はないが、刃の模様さえ美しく、鉄すら断ち切れるサムライの魂。

見せて貰うことは出来ても、誰にも譲られることのない至高の一品であるということ。

だが、日本人たちは決してケチという訳ではなく、晩餐に招かれた礼として、譲渡されたという土産も、どれも美しい至高の品ばかり。

見たこともない色鮮やかな美しい絵画。

清のものと異なる白と美しい絵柄の有田焼という陶器。

黒い漆塗りに金で美しく描かれた蒔絵の様々な小道具等々。

宮廷でどこの貴族が日本人から土産を貰ったと聞くたびに、日本のサムライを招いた貴族たちが社交界で自慢するのを聞くたびに、アレクサンドル2世は悔しい想いをしてきたのだ。

あれらは、全てロシア皇帝である自分のものであるはずなのにと。


それが、アレクサンドル2世が日本の視察団と謁見してみようと思った理由だ。


ちなみに、ニコライ1世が締結しようとした日本との通商条約であるが、こちらは正直締結に乗り気ではない。

日本との通商はロシアの悲願ではあるが、ロシアは、サハリン(樺太)の日本帰属を認めること、日本に入国する場合、ロシアは武装解除をした上で、日本の法に従わなければならないなど、ロシアから見て条件が厳し過ぎるのだ。

だから、無理に条約を結ぶ必要がないという声も宮廷にはあり、アレクサンドル2世自身も、今回の条約締結は見送っても構わないかもしれないと思っていた。


だが、彼らが来たのは、アレクサンドル2世の父、前ロシア皇帝ニコライ1世の弔問であるという。


ニコライ1世は、歴代ロシア皇帝同様に、ペトロパヴロフスキー大聖堂に霊廟を作り埋葬される予定ではあるが、まだ霊廟は完成しておらず、ニコライ1世の遺体を入れた棺桶は、礼拝堂に安置されている。

弔問が目的であるならば、そこで会うことは問題ないだろうとアレクサンドル2世と考え、日本のロシア視察団は、アレクサンドル2世との謁見が許されることとなったのである。


ちなみに、この当時の日本ではキリスト教布教は禁止である。

だから、キリスト教徒になってしまえば、日本に帰ることは出来ないと教会を忌避する漂流民も多かった。

その上、ロシア正教会の日曜の礼拝は、本当に日曜日一日を神に捧げる為に過ごす程の大仕事。

ちょっと覗いてみるということが出来るものでもなかった。

まして、水戸学徒ならば、異国の習俗は野蛮な物と見下す傾向がある。

そんな訳で、弔問に来たと言いつつ、日本のロシア視察団一行が教会を視察したことはまだなかった。

そんな日本のロシア視察団が、初めてロシアの大聖堂に足を踏み入れるのだ。


ペトロパヴロフスキー大聖堂は、ネヴァ川の中の高い壁に囲まれた人工島、ペトロパブロフスク要塞の中にある石造りの100メートル以上の巨大な尖塔のある建物である。

その中をプチャーチン提督に案内され、水戸斉昭、藤田東湖、松前崇宏、吉田寅次郎、桂小五郎、高田屋嘉兵衛が進み、その後ろを荷物を持った視察団の面々が整列して続く。


皆、見慣れない黒装束であるが、絹で作られた上等な服であることがわかる。

ロシア貴族たちに言わせると、一度として同じ服装を見たことがないと言われる程、様々な服を持ってきた日本人たちだ。

おそらく、今回の服は弔問用の服なのであろう。

見たこともない形ではあるが、黒目、黒髪で直毛の彼らには、黒づくめの喪服が良く似合う。


アジア人らしく小柄ではあるが、背筋をピンと張り、堂々と歩く姿は中々様になっている。

何より、一糸乱れず歩む、その姿が美しい。

ロシアに来た今までの日本人(漂流民)たちは、例外なく、偉大なるロシア帝国の威光に触れ、恐縮したものであるが、彼らには恐れ入る様子すら見られない。

これは、彼らの身分が違うのが原因なのだろうか。

事前にプチャーチンから聞いた話によれば、この視察団の団長となっているのは日本の皇帝の叔父、公爵に当たるという。

極東の小国とは言え、その様な身分の者を相手ぞんざいに扱えば、こちらが野蛮人だと侮られる可能性もある。

精々、礼儀正しく扱ってやろうとアレクサンドル2世は考える。


プチャーチン提督の案内でアレクサンドル2世の前に立つのは髭の小男、水戸斉昭だ。

プチャーチンの紹介を受けた後、斉昭は頭を下げ、ロシア語で弔辞を始める。


その言葉は、非常にたどたどしく、発音もおかしな点が多い。

だが、鎖国している日本で、閉鎖的な日本の公爵がロシア語を弔辞を始めたのだ。

その驚きは大きかった。


斉昭の言葉はたどたどしいながらも、日本との友好関係を望みながら、その想いを果たせなかった父ニコライ1世の死を心から悼むものであり、父の急な死で皇帝の後を継ぐという重責を担わねばならないアレクサンドル2世を思いやるもの。

それは、言葉が拙いながらも、相手に気持ちを伝えようとする思いを伝えるものであった。


斉昭は弔辞を終えるとニコライ1世の棺の前で頭を下げる。

深く、深く、死者を心から悼むように。

初めて見る異国の所作ではあるが、その所作には静謐な美しさがあった。


斉昭が頭を上げ、再びアレクサンドル2世の方を向くと、アレクサンドル2世が声を掛ける。


「ようこそ、こんな遠くまでお越しくださいました。

心に沁みる弔辞を感謝いたします。

それにしても、日本の公爵がロシア語を話せるとは知りませんでしたぞ」


アレクサンドル2世がそう言うと、斉昭の横に控える痘痕面の男が斉昭に何かを囁くと、斉昭が今度は意味の判らない言葉で答えるのを、痘痕面の男が答える。


「申し訳ありません。

水戸斉昭様はロシア語を判る訳ではございません。

ただ、弔辞だけは、ご自分の言葉でお伝えしたいとプチャーチン提督と相談し、弔辞の言葉を考え、それを訳したものを覚えただけなのです」


今度は流暢なロシア語で通訳の男にそう言われて、

アレクサンドル2世を始めとするロシア貴族たちは感心する。

アジア系の人間の年はわかりにくいとはいえ、日本の皇帝の叔父にあたるなら決して若くはないだろう。

言葉を覚えるのも大変だったはずだ。

それにも関わらず、発音を覚えて、ロシア語で弔辞を述べてくれたことは、心から今は亡き皇帝ニコライ1世の死を悼んでくれることが感じられる。

東の果てに、真の騎士道を守るサムライが住むという噂は本当かもしれないとロシア人達は思い始めていた。


斉昭が再び何かを話すと痘痕面の男が通訳をして話す。


「さて、続いてはニコライ1世陛下にお供えをさせて頂きたい。

本来は、お元気な陛下へのお土産として用意した物であるから、故人へのお供えの品としては相応しくないかもしれませんが、どれも我が国の名人と呼ばれる職人たちがニコライ1世陛下のことを思い、心を込めて作り上げたもの。

日本との交易を望まれておられた陛下には、何よりの手向けの花になるかと」


そう言われて、アレクサンドル2世は鷹揚に頷き、


「それは、ありがたい。父も喜ぶことだろう」


と言って、棺の前の祭壇に日本からの土産を置くように指示をする。


その指示を受けると、斉昭が指示を出し、斉昭の後に控えていた荷物持ちの一団がアレクサンドル2世の前に列を作り、土産物を見せた上で、その内容、由来を高田屋嘉平が解説した後、祭壇へと並べていく。


日本人を晩餐会に招いた貴族たちが土産として貰えた品は、1回につき、一つだけなのだ。

それでも、ホストの欲しい物を調べ、準備する、その手腕が話題となっていたほどのこと。

それが、次々にアレクサンドル2世の前に提示され、祭壇へと並べられていく。


おまけに、ニコライ1世へのお供えとして用意されたのは、これまでの貴族に渡された物と一線を画す超一流の品ばかり。

目の肥えた皇帝陛下なら、お判りでしょうと高田屋嘉平は言うが、無学な庶民でもわからないはずはない極上の品ばかりなのだ。


次々とアレクサンドル2世の前に献上される品の説明をする高田屋嘉平。

他の品が版画である中、肉筆でわざわざニコライ1世の為に書かれたという安藤広重の風景画。

何と200年以上前に作られたという骨董的価値を持つ古伊万里の大皿。

どれも、息の飲むほど美しい物ばかり。


そのあまりの土産の豪華絢爛さに、アレクサンドル2世らが呆気に取られていると最後に斉昭が現れ、腰から鞘と一緒に刀を抜くと、アレクサンドル2世に捧げて見せる。


「そして、最後にお渡しするのは、斉昭公が、ご自身で打たれた刀でございます。

ロシアでは、鋭い物は不幸を招くと贈り物に相応しくないとのご指摘がプチャーチン提督よりありましたが、ロシア貴族の方々より、贈り物として何度も請われましたので、もし言い伝えをお気になさらないのであれば、お納めください。

刀は我らが魂であり、誇りでございます。

決して、見かけの華美な派手さはございませんが、研ぎ澄まされ、鍛えられた姿は、我が国の姿そのものでございます」


ズシリと重い日本刀を受け取るとアレクサンドル2世は尋ねる。


「抜いてみても、構わないか」


その言葉に斉昭が頷くので、アレクサンドル2世は静かに刀を抜き、その刃を見詰める。

美しい刀だ。

鞘や鍔などの装飾品ではない。

人を斬る刃の部分が美しいのだ。

一通り見惚れた後、その力を自分の物にしたいとの誘惑にかられ、アレクサンドル2世は刀を鞘に戻して尋ねる。


「実に美しく繊細だ。

この様に美しい刀で、本当に鉄を斬ることが出来るのでしょうか」


「誰が振るっても鉄を斬れるという物ではありません。

刀は持つべき者が持ち、振るうからこそ、その真価を発揮出来るのです」


斉昭がそう言った後、刀は、日々の手入れが必要であり、その手入れ方法は人を送ってくれれば教えることを約束する。


その姿を見て、思わずアレクサンドル2世の言葉が漏れる。


「まるで、あなたはピョートル大帝の様だ」


「ピョートル大帝?」


「我がロシア帝国の初代皇帝です。

ロシアを帝国にまで押し上げた第一人者でありながら、海軍の必要があると判れば海軍を創設し、自らもオランダの造船所に身分を隠して、船大工として働き、様々な技術を習得したと申します」


アレクサンドル2世がそう言うと、この様な巨大な帝国の基礎を築いた英雄のようだと言われ斉昭も

悪い気はせず微笑み、謙遜して見せる。

日本とロシアの間に、何処か暖かな空気が流れる。


そんな中、東湖に促され、斉昭は最後の土産物として、美しい蒔絵に彩られた書箱を取り出す。


「そして、これが最後のお供えとなります。

故人、ロシア皇帝ニコライ1世陛下が望まれ、ご署名された、日露通商条約に我らも署名をして参りました。

どうぞ、お納めください」


斉昭は満面の笑みで、アレクサンドル2世に日露通商条約の書面を手渡した。

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