第二話 江川英龍

齋藤さんに連れられ、江戸の江川邸に向かう。

服装は、象山先生に用意されたお仕着せの中間の恰好。

象山先生のところに住み込みで働き出してからは、さすがに今までの着た切り雀じゃ外聞が悪いとかで、服を貸して貰い、長年住んだ長屋も引き払って、ここにいたりする。


ただ、この格好、斎藤さんのお伴に見えるみたいで、江川邸の入口で一緒に入ろうとしたら、怖い門番に止められたのだけどね。


まあ、この江川の家というのは、鎌倉時代から続く名門の武士の家。

江川家は700年前から、下田を支配していたというのだから、警備がしっかりしているのも当然だろう。


そんな名門の出のはずなのに、江川英龍は、かなり気さくなお人柄のようだ。

若い頃は治安の悪い地域を、身分を隠して、斎藤さんと町民に変装して下田の視察をちょくちょくしていたというしね。

その上、高野長英ら、町民も多く所属していた科学技術交流会、尚歯会しょうしかいにも参加して、仲良くやっていたらしい。

だから、恰好なんか気にしないで大丈夫と齋藤さんがおっしゃったから、この格好で来たのですよ。


それなのに、門番が斉藤さんと一緒に入ろうとしたあっしを止めて、怖い顔で睨んでいるのですが。

まあ、斎藤さんが声を掛けてくれれば、ああ、そういう訳ありですか、みたいな顔をして、急に礼儀正しく通してくれたから良いのですけどね。

別に、門番が怖かったとか、そういうことじゃありませんが、少し、驚いたのは本当なので、斎藤さん、苦笑いで済まさずに、スマンの一言位、欲しいなと正直思うのですが。

まあ、お武家さんが、アッシみたいなのに、謝ったりしませんよね。分かっています。


そんな感じで、江川英龍のいる座敷に通されると、巨大な目玉が待っていた。

いや、夢の中の絵で見た時は、誇張だと思っていたのだけれど、本当にデカイ目玉だ。

一族代々、皆、こんな大きな目玉の持ち主だったようで、変装するにも、目を隠さなきゃ、意味がないのではないかと思う位に大きな目のおっさんだ。


だけど、彼が、優秀な人であることは間違いない。

今から、僅か4年前、下田に来て測量を始めたイギリス軍艦を撃退とかしているからね。

アヘン戦争等の無法な戦を吹っ掛ける、あの世界に冠たる大英帝国の海軍を、だ。

もちろん、実際に戦った訳じゃない。

オランダ語で交渉して、追い払ったのだ。

すげえだろ?


実際、ここ数年、長崎だけでなく、江戸近辺にやってくる異国の船は増えてきている。

ペリーは初めて蒸気船で、攻撃を仄めかし幕府を脅迫した艦長というだけで、特別な存在でも何でもない。

異国の船が来れば、庶民のいい見世物。

アッシも仕事を止めて、見に行っていた位だしな。


だけど、もしも、ペリーが浦賀でなく、下田に行っていたら、江川英龍なら、何とか出来たのではないかと思えるくらい優秀な人なのだ。

というか、何で、幕府はペリーとの交渉も、この人にやらせなかったのだろう。

実績は十分だったって言うのに。

下田だから、下田の代官の江川英龍。浦賀だから浦賀奉行ってだけなのかな?

いや、浦賀奉行も決して無能な人ではなかったのだけど、部署に拘らずに実績のある江川先生が行っていれば、違う結果があったかもしれないと思える話だ。


部屋に通され、齋藤さんの紹介で、江川先生に挨拶をすると、この間、海舟会の皆に話したように、夢の話を伝えることにする。

黒船の話、幕府の衰退、日本の分裂と属国化、その後の地球の運命。

江川先生は、時には頷き、時にはその大きな目を更に真ん丸に見開いて、話を聞いていく。


「なるほどのう。不思議な話だが、只の夢とは言い切れない現実感がある」


「私も、同意見だよ。だから、お前のところに来た。

公方様のご様子、白旗の話、黒船の情報公開、ロシア船の襲来。

お前なら、平八君の話、どこまで当たっているのか。

何が本当で、何が間違っているのかを確認することが出来るだろう」


「確認させてどうする?

その男、平八君だったかな、彼の言う通り、夢が途中まで当たっていたとしても、最後まで当たっている保証はどこにもないのだぞ」


「だとしても、参考にはなるだろう。

彼の夢で、お前は、あと一年半したら、働き過ぎで死ぬと言われているのだぞ」


「それだって、当たるとは限らぬだろう。

わしには、のんびりする時間も、余裕もない。やらねばならぬことが山ほどあるのだ」

まあ、そうだよな。

江川先生に死んで欲しくはないけど、アッシの話が、どんなに本物のように見えても、卜占ぼくせんに頼って道を変えるような人ではないか。


「おっしゃる通りです。アッシの見た夢が本当になる保証はどこにもございません。

ですが、参考にして頂くことは出来ませんか?

江川様にやるべきことが多いのは、重々承知ですが、先生が夢の通りに倒れれば、より多くの害が生まれます。

仕事に優先順位を付け、重要度の低い仕事を後回しにすることは出来ませんか?」


「お主にとって、優先順位の低い仕事とは、どんなもののことだ」

やるべき仕事を否定されたようで、少し不機嫌そうに江川先生が聞く。


「例えば、江戸湾に作ろうとするお台場。

あれを全部、作るだけの予算が幕府にありますか?

夢の中で、お台場建設は、予算不足で中途半端で終わることになっておりました」


「そんなことも知っちょるのか。

だが、作るなら、ちゃんと予算をとってからやるぞ。当たり前だろ」


「夢でも、予算は一旦確保したようですが、ペリーが再来した後に、取ったはずの予算が削られたのです。

それに、考えてみて頂けますか?

日ノ本を守る為に、台場を作るなら、どれだけの台場を作らなければならないのか。

江戸湾だけでは足りず、莫大な予算が必要となるはずです。

そんなことが可能でしょうか」

そう言うと、江川先生は大きい目を見開いて睨みつける。


「台場を作ることが、そもそも無駄だと言うのか」


「いえ、完全に無駄という訳ではないでしょう。

夢の中でも、ペリーを驚かせることは出来たようですし。

でも、江川先生の命を縮めてまで、やるべきことではないでしょう」


「な、面白いだろ、但庵。彼の視点は、何か私らと違う。

黒船が来ると聞けば、誰もが、その対策で頭が一杯になるところ、彼の頭では、命を縮める価値もない些事となる。

だから、彼の夢が当たろうと外れようと、聞く価値はあると思うのだよ」


「だがなあ、わしらはいい年だ。

平八君の夢が当たらなかったとしても、何十年も生きられるとは、とても思えん」


「だから、何だ?」


「わしはな、残された時間で、出来る限りのことをやっておきたいのだ。

それに、彼の予言が当たるのなら、逆に、わしの死は避けられないものなのかもしれないではないか」


「どういうことだ?」


「彼の夢が変えられない未来という可能性はないのか?

わしの知る限り、彼は、彼が知るはずもないことまで、良く知っている。

彼の予言は、本当に当たるのかもしれない。わしは、そう考え始めておるよ。

だが、だからこそ、思うのだ。彼の予言は変えられることなのか?

変えられない未来を伝えているだけの可能性はないのか?

そんな気もしてくるのだよ」


「全く、変えられないということはないことは確認出来ております。

既に、まだ、会うはずでなかった人の出会いがあり、行動を変えた方もいらっしゃいます」


「なるほど。

では、寿命はどうだ?それは変えられるものなのか?

わしが死ぬことは運命ではないのか?

ならば、わしは、たとえ一年半だったとしても、その時間を精一杯有効に使いたいのだ」


確かに、見た夢が本当になる保証はないが、その夢を変えられる保証もないのだ。

運命は存在するのか?歴史は変革する力を修正しようとするのか。

それも、また、わからないことなのだ。


「江川先生、少し、あっしの夢に縛られ過ぎではございませんか?

当たるか、当たらないか、わからないのに、当たることを前提に、寿命を残り一年半と考えて行動されては、あっしが困ります。

確かに、夢の通り、江川先生の寿命は残り一年半かもしれません。

ですが、それでも、身体を壊さないよう、無理しないように気を付けて、何をやるべきか、考えながら、行動して頂くことは出来ませんか?」


「だが、それで、やるべきことを出来ずに、本当に死んでしまえば、わしは後悔することになるのではないか?

それなら、わしは、出来ることを全力でやっておきたいのだ」


「残念ながら、夢の中の江川先生も、満足いく最後とはなりませんでした。

仕事を抱え、江戸に登城しようとして、病に倒れ、このお屋敷で、馬を呼べと叫んだのを最後に、絶命されております」


「そうか、全力でやっても、そんな最後になるやもしれぬのか」


「なあ、但庵、私たちは、お前に働くなと言っている訳ではないのだ。

ただ、少しだけ、効率を考え、身体を壊さないようにうまくやれと言っているのだ」

齋藤さんがそう言うと、江川先生は少し考えてから答える。


「日ノ本全体を台場で囲んで守れないなら、結局、異国に負けないような水軍を作るしかないということになるな」


「ああ、それで手が空いた分、休み、別の仕事をすればいい」


「まあ、考えておくだけだ。

それで、お前たちは、そんな話をしに、ここまで来たのか?」

そう江川先生が言うと、斎藤さんは満足そうに頷き答える。


「とりあえず、考えてくれるなら、それでいい。

その上で、今日、ここに来た理由だがな。

実は、平八君の夢の話を聞いたのは、私だけではないのだ。

その話を聞いた仲間で話し合い、建白書を書いたのだ。

それを、お前に見て貰いたくてな」


その言葉を聞いて、アッシは風呂敷から、海舟会の建白書を出して、江川先生に渡すことにする。


そして、この日から、実際にアッシらは歴史に立ち向かうこととなる。

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