第六話 神の見えざる手
俺が町を出ることを告げると、セーラは泣きながら俺に抱き着いてきた。
セーラは俺についてきたいと言ってきたが、彼女にはこの国の経済を任せたいと伝え、何とか引っぺがしてきた。そのまま泣きつかれたら、自分ももらい泣きしそうだったからというのは内緒である。
「あーあ、こんなに大きな家が手に入ったのに、こんなにあっさり手放さないといけないなんて、残念です」
俺はメルルと一緒に旅支度をする。これからどこへ行くか定まっていないため、荷物は多めに準備したいところだ。二人旅に馬に二匹分の馬車は大げさかもしれないが、慎重に旅をしたいのであればこれぐらい荷物が多くなっても、差し支えないだろう。
「アルメザークから選別として、パレッタへ戻るための指輪はもらっている。何かあったらいつでも戻れるから安心したまえ」
雇用の縛りがあるから、ある意味当たり前といえば当たり前だ。この指輪で呼ばれたらいつでも帰ってこなければならないので、パレッタと永久の別れになるわけではない。
「そうとはいってもなあ、旅って野宿とかするんですよ? 死ぬまでふかふかのベッドで眠りたかったんだけどなあ」
「町で宿屋を見つけたら最もいい部屋に泊まらせてやる。それで我慢してくれ、メルル君」
「ほ、本当ですか!? す、スイートルームですか!?」
メルルは直視するのがまぶしいほど期待で目を輝かせている。
パレッタを離れるとはいえ、工場から出る利益は多少懐に入るのだ。旅路で、金銭的な面でそれほど苦しい思いをすることはないだろう。流石に毎泊スイートルームだと破産一直線だろうが。
「でもなんで、突然旅になんて出ようと? 確かに王から国外へ出るように命令されましたが、パレッタはもう独立国なので国外です。第一、そもそも旅に出ないためにこの拠点を確保したのでは?」
俺は荷造りの手を止め、空を見上げる。
「君の言う通りだ、メルル君。……本来であれば、外に出るつもりなどなかったのだがな」
晴天だ。これほどよい旅立ち日和はないだろう。
「パレッタが変わっていくのを見て思ったんだ。……この世界にはどんな国があって、どう変わるのだろう、とな」
転生したばかりの自分ではありえない発言だと、自分でも思った。
メルルは楽しそうな表情を浮かべながら、俺の顔を覗き込む。
「ふふっ、もう学者じゃなくて、れっきとした商人ですね!!」
「……ああ、そうだな。前世でも商人をやっていればよかったのかもな」
もちろん前世での俺の人生にさほど選択肢はなかったから、同じく商人になれたとは言えない。この世界に降り立ち、メルルと出会い、セーラと出会い、アルメザークと出会ったからこそ、俺の商人の俺がいるのだ。
だが、旅立つ前にはっきりさせておかなければならないことがある。
今言わなければもう言うタイミングを失ってしまうだろう。
「……なあ、メルル君、こっちに来てくれないか」
「え、え? なんですか、突然!? ま、ままままま、まさか告白ですか!? あの牢屋での夜を忘れられずに……!」
「そ、そんなことはしない! しかも君、牢屋では何もなかっただろう……変な妄想に浸らないでくれ……」
相変わらず頭がお花畑なメルルに翻弄されながらも、俺は本題を忘れない。
「……メルル君。契約不履行だ」
「……へ?」
俺はある日メルルと最初にかわした契約書を後ろポケットから抜き出し、メルルに見せつける。
「これは君と、『パレッタに鉱山を取り戻す』と約束したときの契約書だ。ここには俺にパレッタでの拠点と市民権を与えることが契約の完了条件になっている。……そして君は俺に市民権を与えることが出来なかった」
「そ、そうですけど、私のせいじゃないですよ!!」
「……俺に市民権を与えなかったのはニーダだ。……だが契約したのは君だ。商談で契約は絶対だ。契約を違反した罰を与えないといけない」
「ば、ばつって何ですか……。わ、私、どんなエッチなことされちゃうんですか……!? いやだー、やめてーごしゅじんさまー」
このちびっ子にエッチなことをしても、恐らく大した罰にはならないだろう。
最後の『いやだー』とか棒読みだったし、逆に喜ばせてしまうかもしれない。そんなものが罰にならないことは知っている。
「契約不履行に伴い、追加の要求をさせてもらう。……決してエロいことではない」
「じゃ、じゃあ何ですか」
「簡単なことさ」
俺はニヤリと微笑む。
「これから30分間、君には真実を話してもらう。嘘偽りない事実を」
「……それはどういうことですか、リュウ様?」
「メルル、もう正体を明かしてくれてもいいんじゃないか。メルル……」
メルルは今まで見せたことがない、疑いの目で俺をにらんだ。
いつもの天真爛漫な雰囲気が嘘であるかのようだ。
「……じゃないな。――久しぶり、エレナ。そして、天使ルナ」
どこからともなく、俺らの服をたなびかせるように風が吹く。
***
「……バレていたのですね」
メルルは真顔で俺の顔を睨みながら、答える。
「流石は天才です。一生をもって欺くつもりでしたが、まさか数か月足らずでばれてしまうとは思いませんでした。……いつからそれを知っていたのですか?」
「君を買った時から少し疑いを持っていた。奴隷店で君を買った時に店主は君のことを鞭で叩いていたといったのに、その夜に君が服をまくり上げたときに傷はなくなっていた。その時から君はただのエルフではないと悟ったよ。異世界によくある変な能力を使っているのではないかとね」
その時はエルフの特徴すら知らなかったから、もしかしたらエルフはとてつもない治癒能力を持っているのかと悟ったものだ。実際はエルフの副族長であるニーダですら傷を負えば気絶するし、強力な自然治癒なんてなかった
「君が確実に俺に嘘をついていると確信に変わったのはパレッタの町についた時だ。君はパレッタの町の出身だと言ったが、唯一大きい商店ですら君は知らなかった。店主も君のことを知らなかったからな。ここで君がパレッタの町で働き、奴隷とした雇われたことが作り話だとわかった……なぜ嘘をつくのか、理由がわからなかったから今まで黙ってはいたけどな」
「はあ……。そんなに前から……、不覚でしたね」
メルルはまさかといった表情で、ため息をつく。
「君は縁もゆかりもないパレッタを、俺を使ってまでなぜ助けようとするのか、不思議でならなかった。その結果、君が天使ルナ、俺を転生させた当事者である君しか動機がないことに気づいたよ。ただ単にこの世界で悠々自適に暮らせばよいという契約は、君がそばにいるからという条件付きだったというわけだ」
「ふふっ、流石です。私は天界のものとして、あなたを導き、あなたは自由に活動をすればいい。非常にウィンウィンな関係でしょう?」
「……そもそも俺を騙していた時点で、俺は被害者なのだがな」
俺を無理に強制するよりかは自由に泳がせておいたほうが都合が良かったのだろう。
もちろん、下手な要求をされれば俺は天界を彷徨う霊体になることを選択していた可能性すらある。
「しかし、まさか加えて君がエレナだったとはな! はっはっは、笑ってしまうよ」
「……っ!」
俺が妹の名を口にすると、メルルはあからさまに動揺していた。
「司令官との商談後に食事をしたときも、お前は『ピーマン』が嫌いといってを避けていたな? この世界でのピーマンの正しい名称は『ホラミの実』。……『ピーマン』という名を知っているのはあくまでも日本を知っている人間だ。不思議に思ったさ、なんで君が異世界の固有名詞を知っているのか、と」
「そ、それは、私が天使だからです! 思わずあちらの世界の固有名詞が出てきてしまったんです!」
「そうかもしれないな。君と牢屋にいたとき、エレナの死因について俺が『車に轢かれて』としか言っていないのに、君は『トラックに轢かれた』といっていたのも、君が天使だからといってしまえば、話は通るだろう」
「そ、そうです! 天使であれば人間の死因なんて当たり前に知ることが出来ちゃうんです!」
「……ああ、そうかもしれないな」
俺はメルルを見つめる。
「……エレナ、でも俺は君を知っている。……君の底なしに明るい性格も、大食いだったことも、ピーマンが大嫌いだったことも。……俺は全部知っている。全部前世の唯一楽しい思い出として、記憶の奥底でしまってある」
「……」
メルルは黙り込む。
「……そうだ、君は俺と喧嘩するといつも呼び捨てになるよな、『リュウ』って。全く、死んでも性格は変わらないみたいだな」
「だって……だって……!」
俺はメルルの頭をなでる。
「それも全部天使のいたずらだって言えば、それで終わりなのかもしれない。天使のいたずらでエレナの容姿に生まれ、エレナらしく俺と接していたのかもしれない。……でもな、わかるんだ、エレナ。お前は間違いなくエレナだって。……俺を対等に扱ってくれた、そして常にそばにいてくれた、唯一の人間だったから」
メルルは涙をこらえる。俺は近づくと、そっと抱いた。
「さあ、約束だ。……真実を話してくれ、エレナ」
俺がそっとエレナの耳元でつぶやくと、エレナは溜まっていた感情があふれ出すかのように泣き出した。
「……ごめんね、お兄ちゃん……!」
エレナを抱きしめる腕に力が入る。
「お兄ちゃんよりも早く死んじゃって、ごめんね……! もっともっとお兄ちゃんのそばにいたかった、もっともっとお兄ちゃんはすごい人なんだって皆に知ってほしかった! それなのに……、それなのに……!」
「いいんだ、エレナ。……お兄ちゃんはこうやってエレナといれるだけで、幸せだ」
俺はようやく取り戻せた気がした。
前世でつかむことが出来なかった周りの人の信頼も。大切な人と過ごす時間も。
俺は転生することで全てリセットされると思っていた。
でも、その逆だったのだ。
神は全てを整えてくれていたのである。
***
かなりの時間を要したが、流石に夕暮れになるとエレナは泣き止んだ。荷造りも済ませたので、そろそろ出発しなければ隣町につく前に夜が来てしまうだろう。
「……等価交換です」
今までしっとりとしていたエレナから、聞きなれた単語をぽつりと発せられた。
「……なんだいきなり?」
「ディールです! 私のディールはこうです!!」
ようやく大人しくなったかと思った途端、突然俺の顔に向けて指をさす。
「天界の命令通り、お兄ちゃんはこの異世界の文明を発展させること。世界一かっこよくて、頭が良くて、やさしい、誰からも尊敬されるような人になってください。この世界の歴史に名を刻む経済学者になってください! ……あと浮気しないでください!!」
「浮気って……」
確かにエレナとは血がつながっていないので、やろうと思えばやれる関係にあるのだが……。いつの間に浮気判定されるような関係になったのだろうか。
エレナは顔を膨らませながら、続ける。
「その代わり、私はエレナとしてお兄ちゃんのそばにずっといることを誓います!!」
「なんだ、その契約は……」
俺にとって非常に不利な契約だ。俺には膨大な負担と成果を強いるくせして、エレナは成果ではなく行動で評価しろという。そもそも転生当初でも言ったが、文明を発展させるという依頼自体がおかしい。
文明の発展とは何か? 何をすれば契約の履行が完了したと言えるのか?
極めて非合理的で、穴だらけの提案だ。
バカバカしい。
どこの世界にこんな契約に頭を立てに振る生き物がいるのだ。
「この世の中は等価交換ですよね?」
エレナは俺の顔を笑顔で覗き込む。
「……ああ、そうだな」
丸くキラキラとした笑顔。
柔らかく、守りたくなる華奢な体。
俺が前世で守りたくて、守れなかったもの。
裏切りに満ちた俺の人生を輝かせていたもの。
ああ、これは反則だな。
――俺の負けだよ。
「――商談成立だ」
そう答えると、エレナは思い切り俺の腕に抱き着く。
俺はさりげなく、右手薬指にはめた奴隷の指輪を、左手の薬指に付け替える。
こいつさえそばにいてくれたら、それで十分だ。
俺は馬車を走らせる。
――神の見えざる手に導かれながら。
エルフと学ぶ異世界経済学 もぐら @mogura_level16
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