第二話 天才の妹

 窓一つもない地下室。それがエリオット王国の牢屋である。


 厚く閉ざされた扉は、二人がかりでなければ開くことができないほど重く、何重にもかけられた鍵が犯罪者の逃亡を不可能にしていた。簡易的なトイレとベッドはあるが、それ以外は何もない。排水設備もしっかり整えられていないこの世界だ。入った途端異臭で吐き気がしたが、数時間経てばなんとか慣れることができた。


 城内の牢屋はそれほど広くはない。それはほとんどの囚人がここへ閉じ込められた翌日には処刑され、いなくなっているからなのだろう。


「……ごめんなさい、リュウ様」


 この牢屋では男女別という分け方はしていない。あくまでも処刑前の一時待機場所なので、長く共同生活を行うことを想定していないからだ。


「全く、メルル君……もう少し冷静になることを学んだらどうだね……」


「……本当にごめんなさい」


 メルルは牢屋の隅で体育座りをしながらシュンっとしていた。

 わかりやすく落ち込んでいる。


「……リュウ様、私たち処刑されちゃうんですか?」


「ああ、これまでの噂を聞くと、そうだろうな」


 俺は兵士に渡された水筒に入った水を飲みながら呟く。


「なんで、そんな冷静でいられるんですか! 死んじゃうかもしれないんですよ!!」


「差し迫った問題の前で、感情的になっても何も解決はしない。俺たちがやれるのは、数ある選択肢の中からやれる最善のことをやるだけだ」


「あの時身を差し出すのが最善だって言いたいんですか!!」


「ああ、最善だ。俺が一人処刑されれば数百人いるパレッタの住人は助かる。全体幸福を考えたときに、俺は最善の選択肢をとった」


「でも……。それじゃリュウ様が可哀想じゃないですか!!」


「……俺が可哀想だったら、パレッタの人々は助かるのか?」


「そ、そんなわけじゃ……ないですが……」


 この子も内心ではわかっているのだろう。

 俺のとった行動には一定の合理性があるということを。だけど、この子はそれを認めたくないのだ。


「今日が最後の夜になるかもしれない。もっと楽しい話をしたらどうだ。今は気を紛らわすことが先決だろう」


 メルルは少し考えたあと、ふと呟く。


「……じゃあ、リュウ様の昔の話を聞かせてください」


「俺の昔話か……」


 ここでいう昔話は俺が小さい頃の話をして欲しいというわけではないとは察しがついた。転生前の話をして欲しいという意図なのだろう。


「……大した人生じゃあなかったさ。話してもつまらないだろう。君の方がいろんなところへ商売へ出向き、いろんな話を聞いている。君の楽しい話を聞かせて貰った方が気が紛れる」


「いえ、リュウ様の話が聞きたいんです。……お願いします」


 メルルの目は真剣そのものだった。威圧感すら感じるほどの眼光。


「……本当に、空っぽな人生だったさ」


 俺はそれに圧倒され、やむを得ず語らざるを得なかった。


「アルメザークのところでも言ったが、俺は元々経済学者だった。……自分で言うのも恥ずかしいが、世間が言う天才だった。当たり前の様に勉強していれば当たり前の様に飛び級し、あっという間に学者になった」


「……なんで空っぽなんですか?」


「……それは」


 昔を思い出せば思い出すほど胸が苦しめられる。

 喉から鉛玉を吐き出そうとしている様な、異常な重量感のある気持ちを抑えながら一言一言ずつ、俺は話すことにした。


「……俺には誰もいなかったからだ」


「……誰も、ですか」


「ああ、誰も、いなかった」


 俺は自分の心の中を見透かされるのが怖くて、メルルと目を合わせることができなかった。


「俺は不気味な存在だったんだろう。世間は俺のことを褒め称えると同時に嫉妬で俺と距離を置く人間ばかりだった。母親は俺のことを気味悪がって、どっかに行ってしまったよ。父親もそのせいで、俺のことを『疫病神』と呼ぶ様になった。……俺も小さかったからな、訳がわからなかったさ。なんでこんなに俺の元から人がどんどん離れて行くのかって」


「……酷い、ですね」


「それでも人を理解しようと、俺なりに頑張ったんだ。それで出会ったのが経済学だった。人々の感情がお金という単位で数値化され、理論化されたところに魅力を感じたのさ。これを学べばもっと人の行動がわかるかもしれないってな。……まあ、結局最後までわからなかった。人間のことなんて、これっぽっちもわからない。……これっぽっちもな」


 俺は自分の拳が小刻みに震えていることを感じていた。

 何とかして抑えようとするが、収まらない。


「俺には友達もいなかったしな。最後は信頼していた助手にナイフで刺されて死んだんだ。でも、自分でも驚くほど、助手のことは恨んでいないんだ。『ああ、やっと終われる』と思ったぐらいさ。……俺らしい終わり方だったよ」


「……そんな……そんなことって……」


 メルルは俺の話を聞いて行くうちに頬が涙で湿っていた。


「……リュウ様にとって大切な人は、いなかったんですか?」


「――一人、いた」


 メルルの質問に、俺は一人の女の子を思い出す。


「俺には一人妹がいてな。まあ義妹なんだが。父親が再婚したときに義母が連れてきた女の子だった。彼女は底なしに明るくて……唯一俺を常に普通の人として扱ってくれた人間だった。名前はエレナだ。最も忘れたくない名前の一つさ」


「そうですか……。楽しかったですか?」


「ああ、その子との時間はいつも楽しかった。公園に遊びに行ったり、買い物に行ったり、冗談を言い合ったり……。普通に同年代の人がたちがやっていることを経験させてくれたんだ。父親に殴られても、家に帰ればエレナがいる……。今まで家出しなかったのは彼女がいたからと言っても過言ではないぐらい俺の心の支えだったさ。なのに……なのに俺は……」


 今まで抑えていた気持ちが洪水したかの様に俺は堪えていた涙が溢れ出す。記憶とともに忘れようとしていた感情が流れ込む。


「あいつを守れなかった……! 俺が海外の大学へ進学することになったその日の夜にあいつを食事に誘っていなければ……! あいつは車に轢かれて死ぬことはなかった!」


 今でも覚えている。遺体の安置所でエレナの顔が原型も残さず破壊されていたことに。丁度顔がタイヤに轢かれる形でぶつかったのだ。

 度々夢に見るぐらい俺の脳裏に焼き付いている。いつその夢をまた見てしまうのか怖くて眠れなくなることも、まれにある。


「……実はそれ以来の記憶は正直あまりないんだ。論文をいくつか書いて、学者になっていたが、まるで夢の中にいた様な感覚であまり覚えていない。あの時から俺の時間は止まってるんだ。……あいつは俺のことを恨んでいるだろうな。俺のせいで死んだんだから」


「そんなことないはずです!!」


 今まで黙っていたメルルが牢屋に響き渡るぐらいの大声で叫んだ。


「彼女は……。エレナさんはきっと、リュウ様といれて幸せだったはずです。仮に彼女が最後トラックに轢かれて死んだとしても、リュウ様といれた時間はきっと忘れられない日々だったはずです!!」


 メルルは俺をそっと抱きしめる。

 それは暖かく、いつの日か忘れていた温もり。


「大丈夫です、リュウ様。……もう私があなたを一人にはさせません。その代わり、次死ぬときは、私も一緒ですから」


「……ああ、ありがとう。メルル」


 俺はメルルの腰に手を回すと強く抱きしめた。


 強く締め付けると今にでも脆く崩れ去ってしまいそうな。


 誰かが守らなかればすぐに消えてしまいそうな、そんな存在。


「へへ……! 商談成立ですね!!」

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