第三話 ライ麦パンの味
「ま、まさか……。大金貨15枚をたった3か月で……!?」
ニーダは鉱山の利用権に関する紙を眺めながら震えていた。
「これで契約は完遂だ。約束通り俺はこの町の鉱山利用権を全て手放し、パレッタに戻す」
「あ、ありがとうございました!!」
ニーダは深く頭を下げる。
「ただし、採掘場も、工場も、セーラ君に経営を任せることが条件だ。今働いているエルフの中でまだマネジメント能力があるのは彼女しかいない。彼女以外に経営を任せるのは危険だ」
「そ、そうですか。あの娘にそんな才能があったとは……。承知いたしました、セーラに経営を任せることにいたしましょう」
老いぼれたエルフはセーラに経営を任せることに少し嬉しそうに見えた。
ビジネスセンスがどうであれ、この町の人々をこよなく愛しているのだろう。パレッタの人々の雇用を保証すると言ったときも目が輝いていた。
「しかし、大金貨15枚とは……。このような大金あなた様がいなければ得ることはできませんでした」
「いや、俺は単に工場を立て、人を配置しただけだ。パレッタの住人の適切な努力あってこその結果だ」
「いや、それでも、あなた様がいなければ、この町はこれほどにぎわう事はありませんでした! あなたはこの町を救うために神に使わされたものに違いありません!!」
近からずも遠からずといったところか。
天使は何も具体的なプランを与えてくれないので、俺は本来スローライフとやらを満喫する予定だったのだが、まさかこんな大事に巻き込まれることになるとはな。全く想定外である。
「給料も上がり、住人もより豊かな生活をすることが出来るようになりました……。これほど嬉しいと感じた日はございません」
採掘作業しかなかったパレッタの住人も、下手をしたら職を失う恐れがあるという切羽詰まっていた状況を理解していたため、工場ではかなり勤勉に働いてくれた。彼らの働きがなければ、これほど早く俺への借金を完遂することもなかっただろう。
労働し、しっかり価値を提供してくれる人には適切な給与が支払われるべきだ。事業の業績が悪くない限り、働いているものへ還元するのは当たり前ともいえる。
「経済はなるべくしてなる。適切な人間を充て、適切な商品を作り、適切な売り方をすればおのずと結果がついてくる。それは別に俺でなくてもよかった。……たまたま俺がそこに携わっていただけで、この町を発展させたのは経済だ。俺ではない」
メルルはにやけながら俺のことを肘でつつく。
「リュウ様、全く正直じゃないですねえ。そこはもう少し自分を売り込こんでもいいのに!……ニーダ様、リュウ様はこういうひとなんです。恥ずかしがり屋さんなんです。褒められなれてないんです。可愛い人なんですよ!!」
「……! め、メルル君!! な、なにを……!」
「だーって本当のことじゃないですかあ!! そんなに焦らなくてもいいんですよ、ほれ、ほれ!!」
「はっはっは!! なるほど、なるほど。あなたは生粋な商人のようですね。でも間違いなくこの町の発展はあなたの助言があってこそ。メルル君から聞いたが、あなたは拠点となる土地を探しているのでしょう? それぐらいであればもちろん準備させて頂きます。金は要りません。土地ならいくらでもありますからね」
相変わらず行動力があるメルルは既に町長に根回し済みだったということだ。一体こいつは俺の見ていないところでどんなことまでやっているのだ。食わせれば食わせるほど走り回る、まるでネジまきロボットみたいな構造しているのだろうか。
「だが、市民権は残念ですが提供できません。……ここはあくまでもエルフの町ですから」
「そうか……。それは仕方ないな」
市民権は大事だ。
身分がしっかり証明できない人を信頼することは極めて困難である。『無職です』というのと、『〇×企業に勤めてます』という差だ。くだらないと思うかもしれないが、第一印象で信頼を勝ち取るためには名刺を渡せること、そして名刺の肩書の内容、この二つは割と大事なのである。
ただし、俺はこの異世界で身分を証明するものがない。町で生まれ、町で育ったのであれば、町役場やらで身分証明できるかもしれないが、突然異世界に放り込まれた俺にはそれがない。
そのため、自分の存在を証明してくれる共同体を自分で探さなくてはならない。必ずしも町である必要はないが、やはりある程度認知度があるところに自分の所属を置きたいものである。
残念だが他を当たるしかない。俺のために町のルールを曲げるのは非合理的だ。
「その代わり、といっては何ですが……」
そういうとニーダは皮の巻物を取り出し、俺に渡した。
皮にはエルフ族の象徴である紋章が焼き印してあった。
「この私のお墨付きの推薦状をお渡しいたしましょう。私はこう見えてもエルフの中では割と偉いほうでしてな。その推薦状があれば大抵のエルフであれば、あなたのことを信じてくれるでしょう。エルフは長寿でな、割とどこの町に行っても誰かしらいるものです。必ずやリュウ様のお力になることでしょう」
俺はおもむろに巻物を広げる。中身を読むと、地位が記載されている欄が目に入った。
「す、すごいですよ、リュウ様。エルフ族の副族長じゃないですか!!」
今までパレッタの町長としてやり取りをしてきたから気づかなかったが、まさかこれほど偉い人物だったとは。契約書で何度も名前を見ていたが、そこでは『パレッタ町長』としか記載がなかった。まさか位が二つあるとはな。
「ほっほっほ、長生きしすぎましたからね、ぜひ活用してください」
身分証明にはならないが、エルフ族に対する良い名刺を得ることが出来た。
これはこれで悪いリターンではない。市民権は他のところで獲得することにしよう。
「……ああ、これは助かる。感謝する」
***
「ライ麦パンはどうかい? ほら、今回は俺の自信作さ!! 試食してみてくれ」
段ボールを食べたくなるほど、俺は飢えてはいない。ニーダからの推薦状をもらって俺は気分がいいのだ、俺の口を汚さないでくれ。
俺はそのまま素通りしようとしたが、メルルがそのままくぎ付けになった。まさか奴隷のせいで、主人の俺が足止めを食らうとは……。
「おいしそう……!! これタダで食べていいの!?」
「おう、いいぜ!! ただ一切れだけだ、もっと食べたければ買ってもらうぜ。買いたくなると思うけどな!! 俺の自信作だからよ!! お兄さんもどうだ?」
「リュウ様も食べましょうよ!! ほら、一切れ!」
メルルに無理やりライ麦パンの切れ端を手渡される。
渡されてしまったものは仕方あるまい。恐る恐る俺はライ麦パンの切れはしを口に運ぶ。
「……!!」
以前にはなかった柔らかな食感と、鼻を抜けていくほんのりとしたミルクの香り。噛めば噛むほど旨味が強くなっていく。シュテールの町のライ麦パンよりも、はるかにおいしい。
「どうだ、旨いだろう。最近ここら辺の人のはぶりが良くてな、バターを増やして牛乳も入れてみたんだ。どうだ? うまいだろ?」
「……ああ、悪くない」
俺は不覚にも表情が緩む。こんな気持ちを味わったのはいつぶりだろうか。もしかしたら人生で初めてかもしれない。
「おじさん!! これすっごくおいしい!! 前のライ麦パンよりもこっちのほうが好きかも!!」
「ありがとよ、ちょっと値上げしちゃったけど……。そこは美味しさでカバーよ!!」
「カバーできます!! 出来ちゃいます!!」
俺は単に冷蔵庫を作って売っただけなんだけどな。まさかライ麦パンまで旨くなるとは。
これだから経済は面白い。
「このライ麦パンを4つもらおう。1つは私の分で、もう3つはこのちびっこエルフに渡してやってくれ」
「え、いいんですか!! やったー!!」
「毎度あり! 今袋に入れるからな!」
メルルは俺よりも一回り大きい紙袋を店主から受け取ると、大事そうに抱きしめる。
まだできたてのパンは香りがかすかに空気の中に漂う。
俺はライ麦パンを一口かじった。
「……うん」
試食したパンの欠片と比べて、一層食べ応えがある。
目が涙で湿る。メルルに悟られまいと、顔を見られないように空を向く。
「……おいしいな」
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