CHAIN_55 真実の探求者
草壁は急いでいた。取材の時刻まであと少し。遅れるわけにはいかない。
今日の取材は極秘のもの。そこらの道端取材とはわけが違う。
待ち合わせ場所は古びたビルの三階。周辺の様子からして人目につかないので垂れ込み取材には打ってつけ。
なんとか約束の時刻に間に合った草壁は階段を駆け上がって指定された部屋へ。鍵はかけていないとのことなのでノックだけして中に入った。
まだ誰も来ておらず取材用に設置された机と椅子が目に入った。
「……どうにか間に合いましたよ」
草壁は息を整えて記者用の椅子に座った。
それから十分ほど遅れて今回の取材対象者が現れた。
「お待ちしていました。
「どうも。遅れてすまないね。取材と聞いて少し張り切ってしまったようだ」
袴田と呼ばれるスーツ姿の男は白い歯を見せて席に着いた。
「いえいえ。それではさっそく取材を始めてもよろしいでしょうか?」
「構わないよ。けどその前に一つ確認してもいいかな。今回の取材は完全オフラインということで間違いないよね」
「もちろん。ですからこうして旧時代的に手帳とペンを」
草壁は古臭い紙の手帳と万年筆型のペンを見せびらかした。
「準備万端のようだね。じゃあ先へ進もうか」
「ありがとうございます。ではまず簡単な確認から。袴田さんは日本ラジエイト社の元社員で退社後はパートナー企業の代表取締役を任されているそうですね。これは合っていますか?」
「ええ。合っていますよ」
「ありがとうございます。では質問のほうへ移らせてもらいます」
「よろしく」
「こちらこそよろしくお願いします」
それを皮切りに二人きりの取材が始まった。
「半世紀以上稼働を続ける電脳世界は今やこの世の中に必要不可欠なサービスとなり、国境のない第二の地球とも呼ばれています。しかしながらその規模ゆえに献金や隠蔽など悪の温床としての側面があることも事実です。このことについてはどう思われますか?」
「いきなり来るね。まあ、それが記者というものか。そうだね。悪用されるのは本意ではないし悲しいことだよ。どんな優れた道具でも結局は使い手次第というわけだ」
「つまり現状を把握しているということですか?」
「イタチごっこだけどね。こちらとしてはそうならないように逐一監視しているつもりなんだけど」
それを聞いて草壁はにやりとした。
「なるほど。でしたら近頃頻発しているロックダウン現象についても把握しているということですね」
「……君もしたたかだね。最初から聞きたかったのはそれなんだろう?」
袴田はふうと息を吐いて座り直した。
「いいだろう。そのために来たわけだからね」
「ご理解いただいたようで」
「ロックダウン現象についてだが、あれは異常を検知した際に自動でその空間を閉鎖・隔離する電脳世界の機能、自浄作用みたいなものだ。ほとんどの場合は勝手に修復して元の状態へ戻す」
「例外もあるということですね」
「その通りだ。自動で修復できない場合は我々のもとへレポートが送信される」
「私の見解ではその不測の事態が続いているのではと。取材した中で異形の化け物を見たという証言があります。これは人々の間で囁かれている未知のマルウェアではないでしょうか。おそらく以前からこうした出来事は何度もあった。それが何らかの理由によって抑えられなくなり、とうとう人目に触れるようになってしまった。違いますか?」
袴田の表情がより一層険しくなった。
「……よく調べているね。フリーランスのわりには」
「フリーランスだから、ですよ。私が前に所属していた報道機関では上部から強い圧力がかけられていましたからね」
「何が君をそこまで駆り立てる?」
「私はただ真実を探求したい。隠されたその先に何があるのかを」
「好奇心。ジャーナリストの性か」
そう言って袴田は懐からポータブル端末を取りだした。掌の上に載せてとある立体映像を宙に表示する。
それはツナグたちが見たあの化け物によく似ていた。
「そ、それは……」
「我々はこれらを総称して、知を喰らうもの『マインドイーター』と呼んでいる」
「マインド……イーター……」
「こいつらは際限なくデータを貪る害虫だ。情報集合体である人間も例外ではない」
「記憶の欠落や人格の破綻はつまりそのマインドイーターによるものだと」
「そこまで調べているのか」
「総称するところを見るに個体差もあるようですね。取材した中でも重傷を負ったという方がいる一方で退治したという方もいましたから」
「一般人がアレを退治だと……?」
袴田は眉間にしわを寄せた。
「おかしな発言でしょうか?」
「アレを気軽に退治できるなら我々は苦労しない。ぜひともその一般人とやらの顔を拝んでみたいものだね」
「申し訳ありませんが取材対象者の情報はプライバシーの保護により開示できません」
草壁の持つ情報袋の紐は堅い。
「わざわざ言わなくても分かっている。だが少なくともその一般人はデントプレイヤーである可能性が高い。違うかね?」
草壁はわずかにまぶたを動かした。脳裏に浮かんだのはツナグではなくユリカのほう。
「やはりね。そうだと思ったよ」
「ですがそれにどういった関係が?」
前のめりになった草壁に対して袴田は「知りたいかね?」と問うた。
草壁はこくりとうなずいた。
「君はそもそもデントのことをどれだけ知っている?」
「試合も見ますし人並みには知っているつもりですが」
「そうか。なら君もきっとこう思っているだろうね。デントにおいての特殊能力『アビリティ』は競技用に割り当てられた能力だと」
「違うんでしょうか?」
「間違ってはいない。が、主語が違う。我々が割り当てたのではなく、電脳世界そのものが割り当てたんだよ。人間の手の外で」
「それではまるで電脳世界そのものが意思を持っているかのような……」
「だから個々に割り当てられたその潜在能力をラジエイト社のマザーが超多角的演算でサルベージするのさ。特殊能力『アビリティ』として」
「……そんな事実、今までも誰も知らなかった……」
草壁は熱心に書き記している。
「たとえるなら古典的なカードゲームのトランプに似ているね。元から存在するカードにルールという枠組みを作って新しいゲームとして提供する。それがデントというわけさ」
「袴田さん。これはもはや重要機密レベルでは」
「確かに。流出すれば私だけでなく関係者全ての首が飛ぶだろう」
「……それほどの覚悟でこの取材に。その熱い意志、痛み入ります」
草壁は身を削った袴田の密告に感服した。
そのあと本来の主旨であるラジエイト社およびその関連企業の労働環境問題について触れ、短くも長かった取材は終わって草壁は帰り支度をした。
「袴田さん。今日は本当にありがとうございました。この告発によって社内の過酷な労働環境が変わるといいですね」
今すぐ記事にしたいというはやる気持ちを抑えて立ち上がった草壁。そんな彼に袴田が声をかける。
「草壁さん。……実はそれ、嘘なんですよ」
「え……?」
驚く草壁。続けるようにして扉の向こうから屈強な男たちが現れた。彼らはずかずかと中に入ってきて草壁を拘束した。
「は、袴田さんっ! こ、これはいったい……!」
「本当は今の環境に満足している。むしろ隷属していると言っても過言ではない」
「ど、どうしてこんなことを……!」
組み伏せられた草壁を無視して袴田は言葉を続ける。
「できれば私も手を汚したくない。君がただのゴシップ好きなら見逃すつもりだった。けれどこのまま野放しにするのは危険だと判断した。ちなみに気づいていたよ。そのペンに盗聴器が内蔵されていることは」
それを聞かされて草壁はハッとした。取り巻きの一人が奪い取って強引に折ってみると中から極小の盗聴器が飛びだした。
「欲張ったね。集音マイクの小さな穴が絶好の位置に来るようにわざわざ何度も握り直すからさ。それにこの部屋は完全に電波が遮断されている。送受信はできないよ」
袴田は満足げに見下ろす。
「で、ではっ、これまでの情報は全て……!」
「いや、それは本当だよ。いわゆる冥土の土産というやつだ」
「は、袴田……! こんなことをしてただで済むとは……!」
「悪戯に晒された真実がいつも人々を幸せにするとは限らないんだよ、草壁記者」
その言葉を最後に記者草壁の視界は真っ暗になった。
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