第84話 永続的な相手
「遅いぞ」
通路の壁にもたれかかり腕組み姿勢で待機するラファエルは、ジュリエットが時間を浪費していることを指摘した。
「人の心はデリケートなんだ。おまえのようにバッサリとはいかないさ」
「おまえが私を壊れ物扱いしれくれると非常に助かるのだがね」ラファエルは端末を操作して閉ざされた隔壁の開放に着手する。「こう見えても私はデリケートでね」
「仲間に手をかけることを躊躇しない者がデリケートなわけないだろ」
「おまえは躊躇いという感情を美化しているようだな。躊躇いは意志の弱さの表れだとは思わないか」
人が往来できるスペースほどに隔壁が開放されると、ラファエルはついてくるよう身振りで示す。行き先はメインフレームだ。
「誤った行動への警告だと解釈しているよ」
「誤った行動など存在しない。あるのは誤った結果だけだ。その結果ですら次の行動で修正すればいい。すべての物事に最終的なものなど存在しないのだからな」
隔壁の外は無気味なほど静寂につつまれていた。
ラファエルはメインフレームまでの防御システムを一時停止させていたから、警備用アンドロイドが襲撃してくることはない。
残るひとつのハードルさえ越えればあとは地上に脱出するだけである。
しかしジュリエットにはそれが気に入らない。
高等弁務官の心を操作するのは気に入らないことであったが、これからやろうとしていることは心理操作の領域を遥かに越えたものである。
「おまえにとって仲間とは利用するだけの存在みたいだな」
「仲間という集団の社会学的定義をするつもりはないが、あえて言わせてもらえば自分の存在を確認するための手段ではないのかな。その集団に属するからこそ自分が自分でいられる。誰かが鏡の役割をしなければ自分の存在を確認できないからな」
「おまえはその鏡を自分の手で破壊しようとしているな」
「命を失えば自己の存在そのものが失われるからな。鏡が存在していたところで意味はなかろう。生き延びて別の鏡を探せばいいだけのことだ」
通路に響くラファエルの足音。
『…ラファエルと話していると俺が少しはまとまな人間に思えるのは、ラファエルが鏡の役割を果たしているからなのだろうか』
ジュリエットは先頭を歩く人工生命体の背中を複雑な思いで眺めた。
「おまえには永続的な相手は見つかりそうもないな」
「永続?」ラファエルは振り返らずに言う。「永遠の愛や永遠の友情などというものは幻想にしかすぎない。弱い人間がお互いの裏切りを防止するためにつくりだした方便だ。心を牢獄に閉じこめる真似は感心できないな。必要なときに必要な相手がいればいいだけのことだ」
「おまえがいまから手にかけようとしている相手は果たしてそう思うだろうか」
「リリスがどう思うおうと私の知ったことではない。感情で相手を縛りつけられると勘違いする者は盲目の罠に陥ればいい。裏切られるのが嫌ならば常に強くあることだ」
「いつかおまえ自身が誰かに裏切られるさ」
「それがおまえでないことを祈っているよ」ラファエルはピタリと足をとめた。「私の考えではおまえの裏切る確率がいちばん高いからな」
メインフレーム室までの道程はそれほど長いものではなかった。人工生命体とはいえ殺人の幇助をしなければいけないことにジュリエットは心のなかでその正当性を思い悩んでいた。
『本当にこれしか方法がないのだろうか…』
自分が殺すわけではない。実行するのはラファエルだ。しかしラファエルが対処しきれなければ自分の出番となるのだからどれほどの違いがあるというのだろうか。
「おまえが思い悩むようなことはない」メインフレーム室の前に立ち止まったラファエルは、ジュリエットの心を見通したかのごとく口を開いた。「リリスもまさか私に殺されようとは夢にも思ってもいないだろう。あの女に油断がある限り私の成すべきことはすぐに終わる。おまえの出番はない」
「そこまで言い切るのなら」ジュリエットはそっぽをむいた。「俺はここで待っているよ。お互いに殺しあえばいい。そんな現場に居合わせたくないし見たくもない」
「よかろう」ラファエルは同意した。「だが現実逃避も結構だが私のバックアップも忘れるな。手遅れにならないうちにいちどはメインフレーム室を覗いておくことだ。そうでなければこの扉から出てくるのは私ではなくリリスということもありえる」
「早く行けよ」
ジュリエットはぶっきらぼうに言い放った。
これ以上不快なことにつきあいたくなかったのだ。
「扉のロックは解除したままにしておく」
それだけを言い残してラファエルはメインフレーム室へと姿を消した。
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