第50話 エレベーターの罠
「…きみにとっては自分の安全よりも下に行くことの方が大切なのかな?」
「その…何だか他人を見捨てて自分だけが助かるように思えるから」
「それは仕方ないことだよ。この機体を下に移動させたところでこれ以上は誰も乗れないのだから。気にしない方がいいよ」
エレベーターを上の階へと移動させるためにジュリエットは機外作業用の小型アームを要領よく操作する。
ふと顔をあげれば依然としてレティシアが後ろを振り向いたままであり、そこには何か切羽詰まったものを瞳で訴えているようだった。
「きみは他人を見捨てたわけじゃない」このときのジュリエットは大いなる勘違いにとりつかれていた。「そういう心は立派だと思うよ」
エレベーターの稼働が震動という形で伝わってくるとレティシアの挙動に気をとられていたジュリエットの顔が一瞬にして硬直する。
『なんてことだ…エレベーターが下に移動している』
なぜ、という疑問がつきない。
たしかに機外作業用小型アームで上にいくボタンを押した。
「………」
疑問よりも先に心配しなければいけないことがある。
シャフトのどこかに爆発性トラップが仕掛けられていれば資材搬入エレベーターとともに運命をともにしなければいけないのだ。
トラップ程度の爆発力で機動歩兵が破壊されるとも思えないが、最下層の床へと落下すれば機体の重みで破壊されることになる。
ジュリエットは機外アームを再度操作して上へのボタンを押した。
だが一向に上昇する気配はない。
「…何かを見落としているのか?」
ボタンの押し間違いは絶対にありえない。故障の二文字がジュリエットの脳裏を横切るがそういうものとは違うように思える。
だが決断しなければいけない。
いますぐにでも上に行く方法はある。
機動歩兵を乗り捨ててエレベーター天井の作業点検口から超能力で脱出すればすむ。つまりサイコキネシスの力で空中浮遊するのだ。それほど距離があるわけでもなさそうだから、レティシアを伴って空中浮遊するのは能力的に問題はない。
そして地上に到達したところでジュリエットの超能力はレティシアに通報されることになるだろう。いつぞやの深夜番組みたいに委員の前に連行されて「おまえは何人の心を透視した?」というお決まりの質問を受けることになる。
あるいは委員会による聴聞抜きで軍法裁判の死刑判決がくだるかもしれない。
銃殺刑の執行…あのときの悪夢のように。
「………」
まだ他に助かる道はある。
レティシアを見殺しにすればいいのだ。
死人に口なしとはいったものである。超能力で助ければその行為自体がレティシアに破滅へのキーワードを与えることになるのだ。「彼は超能力者です」という一言がジュリエットに破滅をもたらす。
『見殺しにするのは…問題外だ』
偉大な力には偉大な義務が伴う。
見殺しにするのは超能力で彼女を殺すのと同じくらい罪深い行為であることをジュリエットは自覚していた。
だがこれ以上悩む必要はなかった。
くよくよ悩んでいるうちにエレベーターは何事もなく地下第三層に到着したからである。
「………」
優柔不断がいつか自分の命取りになるように思えた。
ジュリエットは火器管制システムに視線を注ぎ高出力レーザーとパルスレーザーの発射ボタンに指をかけてエレベーターの扉が開くのを待つ。
「ひょっとして何かの罠なのか…」
扉が開いた瞬間に待ち伏せ攻撃があれば罠確実だと彼は思っていた。もちろんそういう映画じみた攻撃が単なる被害妄想で終わればそれにこしたことはない。
罠という言葉に前席のレティシアが表情を硬くしたのをジュリエットには知る由もない。
扉が左右の二つに分かれて開きはじめるとジュリエットの緊張はピークに達した。少しでも敵だと思わしきものが存在すれば攻撃される前に発砲しようと考えていたのだ。
しかしエレベーターという限定された空間にいる限りにおいては、物理的に敵の攻撃を回避するというのは至難の技なのは明らかである。もし本当に敵が待ち伏せしているのなら機動歩兵を敵中に突入させて死地を切り開くしかない。
だが敵とは何であろうか?
暴走したアンドロイドはともかくとして、レティシアが言うところの人工生命体というのはいまいち現実感がわからない。
「…待ち伏せはない、か」
完全に開ききった扉の向こう側に何者も存在しないことにジュリエットは安堵の独り言を漏らした。
「それにしてもなぜエレベーターは下に降りたのだろう…」武器の発射ボタンから指を離した。「…きみなら上に戻る方法がわかるのかな?」
ひょっとするとレティシアなら何かわかるかと思い彼は訊ねてみた。ここの研究員なのだから自分よりは施設に通じているはずだ。
「施設のコントロール系統が反乱のときにダメージを受けたのかも…私は施設管理が担当ではないから何とも言えないけど」
「上に戻る方法がなければ」ジュリエットは困惑と苦笑が混合した表情になり「俺自身も救出を待つ身になるのだけどね」と言った。
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