第49話 救助を優先すべきは少女? 高等弁務官?
「あまり下を見ない方がいい」
コクピットから身をのりだしたジュリエットは、上昇するウィンチを見下ろしながら声をかけた。
お世辞にも安定しているとは言い難いウィンチに掴まるレティシアは、端から見ていてそれとわかる程おどおどしていた。
「足元に気をつけて」コクピットと同じ高さまで移動したレティシアに注意する。「この高さから落ちれば大怪我するからね」
手を差し出してコクピットのなかに誘導すると、前席に着座するようジュリエットは指示し、自身は後部座席に腰をおろす。
「機動歩兵の操縦はすべてこちらでおこなうから、きみが何かをする必要はない。操縦桿やボタン類には手を触れないで欲しい」
ハッチの閉鎖ボタンを押しながらジュリエットは同乗者のいらぬ行為を防止するために釘を刺す。
レティシアは「はい」と一言答えると両手を膝の上に置いて置物のように動かなくなる。
その仕草がどこかおかしく感じられたのでジュリエットの口元は自然と緩んだ。
「緊張しなくてもいいよ」
彼は操縦桿を操作してアミュコスをその場で180度回転させると資材搬入用エレベーターへと前進を初めた。
「暴走アンドロイドに遭遇しなければすぐに地上へ出られるよ。あとは人工生命体と戦闘にならないことを祈るだけかな」
少女は消え入りそうな小さな声で「地上…」と呟くがその声はジュリエットの耳には届いていない。
「あの…」レティシアはおずおずと後部座席に振り返った。「…他にも生存者がいるのですけど助けてはいただけないのでしょうか?」
「え?」ジュリエットの操縦桿を握る手が一瞬硬直した。「きみだけじゃなかったの?」
「下の階に二人います。一人は私と同じここの研究員ですが、もう一人は外から来られた人で…」レティシアは何やら気まずそうな表情になる。「お名前をミレア・ヴァレニウスと仰られていましたが」
少女が口にした人物名にジュリエットの目は見開かれるが、ヘルメットのバイザー越しではレティシアにその変化がわかるはずもなかった。
「高等弁務官がきみの同僚と一緒に?」
レティシアは黙って頷いた。
「さて…これは案外難しい問題かな」
資材搬入用エレベーター前まで到着したジュリエットは、自分が選択しなければいけない行動について頭を悩ませていた。
前席の少女は下の階に同僚と高等弁務官の二名が生存しているという。人命救助を最優先とするならば悩むことなく下へ移動しなければいけないだろう。
しかしここに一つ問題がある。
アミュコスは複座式機動歩兵であり当然ながら二名まで搭乗できる。そしてパイロットであるジュリエットの分を差し引けば収納人員は一名ということになる。そして現在搭乗しているレティシアを含めれば三名の人員を収納しなければならない。
これはどう考えても無理だ。
二人のうち一人は置き去りにしなければいけない。
むろんジュリエットは作戦部長が口にしていた「高等弁務官の救出は何よりも優先される」という命令を忘れたわけではない。それに従うならば高等弁務官の安全を確保した後はレティシアに機体からの退去を命じることになる。
納得がいかない、とジュリエットは思った。
ラザフォードの統治者とはいえ高等弁務官も市民の奉仕者であることには変わりがない。そして高位にあるからこそ公人としての義務がより一層求められることになる。
一度救出したレティシアを再び危険の渦中に放り出すだけの正当性をジュリエットは見いだせない。
彼はアミュコスをエレベーター内へと移動させた。
「一度地上に戻るよ」決心のついたジュリエットはレティシアにその旨を告げた。「きみを地上に送り届けてから他の機動歩兵と一緒にまた戻ってくる。それほど時間はかからないはずだから、きみの同僚も高等弁務官も無事に救出できるよ」
後ろを振り向いたレティシアの顔には困惑の表情がなみなみと浮かんでいた。
「あの…下の階へ行くのに何か問題でもありますか?」
その言葉にジュリエットは少しばかり奇妙なものを感じた。普通なら危険な場所から少しでも遠ざかることに関心がいくはずだ。
「この機体は二人乗りだよ。すでにきみが乗っているのだからこれ以上は誰も乗れないよ」
「それは…そうですけど」
レティシアの返答のぎこちなさはジュリエットの心に芽生えた奇異な感触をさらに増進させた。
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