第8話 首なし死体
「頭が…」
猛烈な頭痛と嘔吐感
右手で額を覆いながらミレアは立ち上がった。
自身が通路に倒れていたのは理解できたが、なぜ通路で意識を失っていたのかは思い出せない。
気を失う直前の記憶といえば響き渡る何かの警報音と必死の形相で通路を行き来する研究所員の男女。そのなかには武器を持った警備員が複数いたような気がする。待てど暮らせど戻ってこないスタブロフの業を煮やしていたところに突然の警報音だった。
事情を訊ねるべく通りがかりの者に話しかけるものの、皆が彼女の声に何ら反応を示さず、何かに追い立てられるように慌てふためいていた。
記憶はそこまでだった。
いったい何が起こったというのだろうか。
ミレアが通路の壁にもたれかかると病人のように苦しげな呼吸音が口元から漏れてきた。沈黙の通路に彼女の息が静かに響き渡る。
「何が…」
上半身を前向きに屈めると彼女は激しい嘔吐感に耐えた。
応接室の端末機能は停止していた。
高等弁務官府に連絡を行おうと思い応接室に戻ったものの、肝心の通信端末は何の反応も示さずその機能を停止させていた。外部への連絡はおろか研究所内のどこにも接続することはできない。
ミレアは再び通路へと移動しエレベーターを目指して足を進めた。頭痛と嘔吐感は先程よりも少しばかり自然回復していたものの依然として彼女を責めたてる。
靴の音がコツコツと静かに響き渡るなかミレアの頭にはある疑問が浮かび上がっていた。
…研究所員はどこに消えてしまったのか?
警報のなか通路を慌ただしく移動していた者たちはどこに消えたのだろうか。
通路のどこにも会話の声はおろか人の気配がまったく感じられない。全員が地上へ避難したということだろうか。彼女だけが取り残されて…。
エレベーター前に到着するとボタンを押して待機するものの、これもまた応接室の端末と同じくウンともスンとも反応がない。あたかもそれが唯一の解決策であるかのように彼女は何度もボタンを押すが結果は同じだった。
エレベーターも端末もどうして作動しないのだろうか。通路の照明装置が作動しているのだからエネルギー系統の故障は考えられない。
こうなってくるとミレアの頭は恐るべき事実を認識せざるえなかった。
『誰もいない研究所に閉じこめられた!』
『しかも外部との通信機能が途絶した状況下で!』
背筋にゾクッと寒気が走るのを感じると彼女は無意識のうちに両腕で自身を抱きしめた。ささいな気まぐれで研究所に来るべきではなかった。
自分はいままさに不可解な事故に巻き込まれ、先の見えない状況に陥っている。その不安感は急速に膨張をはじめ、自分のそばに誰かいてもらいたいという本能的な要求を醸し出していた。
『まだ誰かいるかもしれない…』
ミレアは自分にそう言い聞かせて応接室のある方向とは別の通路を歩き出した。
自分以外にも人はたしかに存在した。
ドアが開放されたままの部屋を通り過ぎたときにミレアはそのことを知った。
二人の所員が折り重なるようにして部屋の床に倒れていたのだ。彼女の呼びかけに何ら反応を示さず、そして血まみれ状態にあるその体はもはや生命の灯火が存在していないことを如実に示していた。
死体を人というならば他にも人は存在することになる。
彼女は部屋の前に立ちつくし呆然とその光景を眺めていた。恐ろしくて部屋の内側にまで歩が進まないのだ。
なぜここに死体が存在するのか?
事故? それとも…。
ミレアは本能的な何かに突き動かされて逃げるようにその場から離れた。理性ではここで何が発生したのか理解できない。しかし彼女の無意識は一刻も早くこの場から離れるべく脳に働きかけていた。
コツコツコツコツ…と、先程よりも歩調は早くなり見知らぬ施設のなかをあてどなく移動する。
自分が何か抜き差しならぬ事態に巻き込まれたのは明白であった。それがどういったものなのか不明であることが、彼女の不安感をなお増進させているのはいうまでもない。
「お願いだから、誰か…」
弱々しい言葉が唇から漏れ、迷路のような通路を思いつくままの方向に移動していく。
地下の世界に自分ひとりだけが閉じこめられたという妄想がミレアの頭を支配し、そこには強気を装う高等弁務官ではなく一介の女性としての姿が現れていた。
途上の十字路を右折すると彼女の目には散乱するアンドロイドのパーツが目に入った。
無惨に四散した腕部や脚部。かつては接続部位であったと思わしきところからは配線が露呈している。完全に機能停止しているのかセンサー類にはまったく発光が見あたらない。
何やら有機物が焼けたような臭いが彼女の鼻孔を刺激し、壁や床には焦げ跡と血痕がくっきりと残っていた。
問題なのはアンドロイドの残骸ではない。そのアンドロイドに対をなして倒れている死体なのだ。
首から上が存在しない死体
頸部動脈から噴出したと思われる血が周囲一面を紅い海で染め、その一部はアンドロイドの残骸を塗装していた。
ミレアは自分のすぐ足元に転がる頭部を見つめていた。何の因果か頭部の顔は彼女と見向きあう形になっており、その瞳は見開かれたままだ。何やら気まずい現場を目撃されたような表情に見えるのは気のせいだろうか。
『高等弁務官殿、いずれはあなたもこうなりますよ』
哀れな首はあたかもそう言わんばかりの目をミレアに投げかけていた。
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