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 音もなく、するりと開いた格子戸を入れば香御堂こうみどうと同じくタイル張りの土間が現れる。

 しかし、その広さは香御堂こうみどうに比べ三分の一ほどで右手にはスノコが敷いてあり、壁には靴箱が並んでいた。天井は矢羽根やばね網代あじろで、土間から少し高くなった床には昔の旅館を思い出すような赤い毛足の短い絨毯が敷き詰められている。

 ロビーはあまり広く取っているわけではなく、申し訳程度に作られた受付があるだけで飾りっ気はほとんどない。

 ロビーの右側に浴場があり、左手には調理場などの従業員専用の部屋、まっすぐ抜ければ少々増築された五室の客室がある。

 トイレは浴場に隣接してあるだけで客室には無い。非常に小ぢんまりとした宿屋だ。

 宿香御堂やどこうみどうにやって来たみことは、まず受付のある場所に行き踏み台に乗って戸袋を開ける。

 そこには無数の掛け軸が巻かれた状態で仕舞い込まれており、みことは迷うことなくその中から六本選んで客室へと向かった。

 客室に入ると床の間にそれぞれの部屋に合った掛け軸を吊るし、床の間に置いてある香炉こうろで、香御堂こうみどうから持ってきた線香を焚いて座椅子や茶の用意などを行い部屋の中を整えると、客室のドアの鍵穴部分にあるダイヤルを回して客室の準備は完了。今日はそれを六部屋分行ってから浴場へ向かい、三か所に線香を焚いて辺りを香りで満たす。

 最後にロビーにある飾りっ気のない受付のカウンターに入り、カウンターの下に設けられている棚から銅製の香炉こうろ香炉灰こうろばい空薫そらだきをするのに必要な道具を取り出した。

 香炉灰こうろばい香炉こうろに入れ灰を整えてから香炭こうたんに火をつける。

 半分ほどおこった炭を灰に埋めて灰を温めている間に香木こうぼくを用意する。

「今日はとりあえず白檀びゃくだん、厄介になりそうなら沈香じんこうに変えよう」

 炭を少し横によけて、温まった炭の上に白檀びゃくだんの「つめ」と呼ばれる香木こうぼくを数本乗せる。

 燃やすのではなく温めることで香りを出す香木にはその形状によってそれぞれ名称があり、細かく粒上に刻まれている一般的には焼香などに使われるものを「きざみ」、一ミリ角で長さ一センチ程度の細い棒状の木片を「つめ」、一センチ角の板状の木片を「わり」という。

 白檀びゃくだんは芳香性のある香木こうぼくで温める事でも香るが、温める事無く香木こうぼくを置いておくだけでも香りがするのが特徴である。

 優しい甘さの中に爽やかさのある香りが辺りを包み、瞳を閉じてその香りに体を預けていたみことは暫くしてゆっくりと瞼を開く。

「なんだ、今日は随分早いじゃないか」

 時間よりもずっと早くに宿香御堂やどこうみどうを訪れた客に嫌味のように言い放ち入り口を見つめた。


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