第59話 ヤタハン砦へ

 日はもう暮れかかっていた。西の彼方からは、微かに残光が赤く輝いている。


 エルフたちとキキョウの決着も、すでについていた。キキョウは術者としても優れていたが、エルフたち複数人には流石に敵わなかった。彼女は戦死し、戦場に血を吸わせることとなった。

 トモエたち一行は、エルフたちと、彼らに助けられたフツリョウ以下ヤタハン砦の城兵たちを伴って山道を北上し、ヤタハン砦に帰還した。


「エルフの森の総意として人間と手を組むっていうのは本当なの?」

 シフが、エルフ部隊に向かって話しかけた。

「いや、実はあれはなんですよね……私たちの村は人間と協力していこうって決めただけで……賛同する村も他に二つあるぐらいかな」

 エルフの少女が、シフの問いに答えてくれた。どうやら、人間と協力するというのは、森全体の総意というわけではないようだ。

「そうだよね……」

 エルフも人間も、魔族という共通の敵を抱えている。けれども、そのことだけで、頑ななエルフの態度が急に変わるわけではない。それでも、エン国とギ国の共同出兵によって森の南半分を焼き払われたことは、流石に森の住人たちに危機感を覚えさせたようである。


 エルフの態度が硬直しているのは、過去のとある出来事が原因であった。

 このオーゲン地方に人間たちの王国がまだ存在していた頃、暴君として君臨していた国王が、奴隷狩りのためだけにエルフの森へ出兵したのだ。その結果、王国軍は多くの兵を失いながらも、エルフの森の村落をいくつか降伏させ、エルフの少女約三十名を国都へ連れ去り後宮に入れた。王の好色ぶりは凄まじく、耐えかねたエルフたちは脱出を図ったが失敗し、エルフたちの肉体に飽きが来始めていた国王によって全員が腰斬ようざん刑に処された。

 これより以前、人間とエルフの間には、緩やかな友好関係にあった。けれども一連の軍事侵攻と処刑によって、人間の王国とエルフの森との関係は完全に破壊されたといってよい。この件によって、エルフ側は外部との接触をより一層拒むようになったのであった。

 

 砦は無人であった。キキョウは砦を陥落させたものの、占領までは行わなかった。占領に手持ちの兵力を割きたくなかったのであろう。トモエたちを討ち取った後で再び占領する手はずであったのかも知れない。


 すでに月は高らかに昇っていた。砦に辿り着いた一行は、ひとまず体を休めることにした。

 翌日、エルフたちの代表――名前をジュウコクというらしい。あの古風な話し方の美男子である――は、フツリョウと話し合い、盟約を交わした。両者は正式に、同盟関係を結んだのであった。


「ああ~~久しぶりのベッド……気持ちいい……」

 砦に戻ってきたトモエは、その快適な居心地に感動していた。これまで道なき道を歩み、野宿しかしてこなかった彼女にとって、風呂や布団は魔性の魅力を持っていた。

 ベッドの上をアザラシのように転がっていると、ドアをノックする音が聞こえた。

「トモエさん、いいですか?」

「リコウくん?」

 ドアの外から聞こえてくる声は、リコウのものであった。

「どうぞ」

「失礼します」

 部屋の中に入ってくるリコウを出迎えるために、トモエはベッドから起き上がり腰掛けた。この時のリコウは軽装で、鎧は身につけていなかった。エルフの森からエン国での戦いまではずっと鎧姿であったから、トモエには鎧に身を包んでいないリコウの姿が却って新鮮に感じられた。

「そろそろエイセイとシフの二人が出発みたいですよ。送りに行きませんか」

「ああ、もうそんな時間?」

 すでに、日は高らかに昇っていた。

 ガクキとの戦いで助太刀してくれたエルフたちは砦に残ることとなったが、シフとエイセイの二人は一旦自分の村に戻ることにしたのであった。とはいえ、報告などを済ませた後は再びヤタハン砦に赴いて、この砦に駐屯するつもりらしい。

 

 トモエはリコウとともに城門の前まで降りてきた。そこにはすでにシフとエイセイがおり、フツリョウやジュウコクの姿もあった。

「お別れだね……トモエお姉さん」

「……リコウ、キミと一緒に戦えて、ボクは本当によかった」

 しんみりとした空気が、見送る側と見送られる側、その双方の間に流れていた。

「ああ~エイセイくんいっちゃダメ……エイセイくんがいないとお姉さん寂しいよぉ……」

 言いながら、トモエはエイセイに抱きつこうとした。だがエイセイは素早く身をかがめ、トモエの腕をかわした。

「またすぐ戻ってくるから……だから悲しまないで」

 しょげているトモエに、シフが近づいてきた。シフはその小さな体躯で、トモエの体をひしと抱いた。

「ああ……シフちゃんやっぱり優しい……」

「エイセイがどう思ってるか分からないけど……シフはトモエお姉さんのこと好きだよ?」

「ありがとう」

 シフの温もりが、トモエの体の芯まで伝わり、じんわりと温めていった。


 シフとエイセイの二人は砦側で用意された馬車に乗り込んだ。御者は砦の男が務めている。

「それじゃあ、またね」

「……リコウ、また会おう」

 シフが手を振り、エイセイはリコウを一瞥した。リコウとエイセイ、その他の見送りに出た者たちは、手を振り返して見送った。


「あー……行っちゃったね……」

「でもまた来るって言ってたし、少しの間のお別れってだけでよかった」

 戦友たちを乗せた馬車が、だんだんと遠ざかっていく。トモエとリコウは、ただただそれを眺めていた。

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