第44話 丞相カクカイ

 階上から、声がした。声とともに姿を現したのは、栗色の長い髪をした少年であった。その手にはやはり、威斗が握られている。

「貴方は……丞相じょうしょう!」

 丞相というのは、君主を補佐して政務を執行する最高位の官職であり、その国の全ての官吏の頂点に立つ存在である。

「スウエン、下がっていなさい。わたしが彼らの相手をします」

 そう言われたスウエンは黙って頷き、立ち上がって後ずさった。

「まっ……待ちなさい!」

 トモエはスウエンに拳をお見舞いしようとした。だが、不思議とその拳は、スウエンに当たらず空を切ってしまった。その隙に、スウエンは後退して距離を取り、そのまま階上に走っていった。

「待てっ!」

「……逃がさない。闇の魔術、暗黒雷電ダークサンダーボルト!」

 リコウが矢を放ち、エイセイが暗黒雷電ダークサンダーボルトを繰り出す。だが、矢はすんでの所でスウエンを外し、黒い稲妻もスウエンを避けるように落雷してしまった。

「そんな……オレの矢が……」

「……ちゃんと落としたはずなのに……」

「あのジョウショウ? って人の魔術だよ!」

 叫んだのはシフであった。彼女はこの摩訶不思議な現象の正体に、誰よりも早く気づいていた。

「ああ、申し忘れておりました。わたしはこのエン国で丞相を務めておりますカクカイと申します。以後お見知りおきを……ああ、これから黄泉こうせんに向かう貴方がたにとは少しおかしかったですかね」

 そう言って、カクカイと名乗った者は嫌味な笑いを浮かべた。その余裕な表情は、己の勝利を確信していなければ浮かべられないものであろう。


 丞相は御史大夫、大司馬と並んで「三公さんこう」と呼称される政府の高官であるのだが、このエン国では御史大夫のスウエンと大司馬のガクキが実権を強く掌握しており、丞相は名誉職に近いものとなっている。もっともカクカイ自身もそのことは自覚している。自覚していて、敢えてその地位に甘んじているのだ。


 当時ダイトに腰を落ち着けたばかりのエン国王カイは、シン国のカンヨウ大学の教授であり、当時ダイト大学新設のために出向していたこの男のためにダイトに屋敷を立て、そこに度々通っては教えを乞うた。彼を師として仰いだのである。国君が頭を下げて教えを乞うようなことは、前代未聞のことであった。

 すると、まず最初に兵法に通じたガクキなる男がギ国からやってきた。眉目秀麗かつ聡明さを感じさせるこの男をカクカイは推挙し、エン国王カイはこのガクキに兵を与えて東へ攻めさせた。カクカイの見立て通りガクキは優れた将となり、彼の率いる軍はあっという間に人間の軍隊を蹴散らし、エン国は東に大きく領土を拡張することができた。このガクキは後に大司馬に任命された。

 次にやってきたのが、スウエンである。セイ国のリンシ大学を卒業後、仕官の道を求めていた彼女がダイトを訪れた。カクカイは彼女と面会してその才を見抜き、国王に登用を進言した。彼女はすでにセイ国王リョショウにも招かれていたが、エン国王カイの提示した俸禄はセイ国のそれに僅かながら上回っていた。こうしてエン国は彼女を召し抱えることができたのである。

 

 ガクキは大司馬に、スウエンは御史大夫にそれぞれ昇った。彼らを招いた功績でカクカイは丞相に昇ったが、実権を掌握したのはガクキとスウエンであった。

 ――これで、自分の仕事は終わった。

 彼ら二人をエン国に招いたことで、自分の仕事は終わった。そう考えたのである。

 カクカイは国政に深く参与することはなくなった。しかしその魔術の才はエン国の誰しもが認める程のものがあり、決して侮れない男であった。


「冥土の土産に教えて差し上げましょう。わたしのすいの魔術、平和主義者の護法ガード・スケイルが発動している間は如何なる攻撃も逸らされてしまうのです」

「マジかよ……それって無敵ってことじゃ……」

「その通りです」

 スウエンの拘束金輪キャッチング・リングも厄介極まりない魔術だったが、こちらはそれ以上だ。術者本人に攻撃が届かないのであればどうしようもない。まるで海を剣で切り裂こうとするようなものである。

「手詰まりのようですね。ではこちらから行かせてもらいます」

 カクカイは手に持った威斗を振り上げた。魔術を繰り出す合図だ。四人は身構えた。

すいの魔術、水流斬撃アクアカッター!」

 カクカイの威斗が、エイセイに向けられた。咄嗟にエイセイは避けたが、威斗の先から放たれたが床に撥ねた。

「圧縮された水を放つ魔術か……」

 床から飛び散った水しぶきを見て、エイセイは見抜いた。そのような魔術は、エルフの世界でも習得者はそれなりにおり、特段珍しいものではない。珍しくはない、というのは、攻撃の出が速く、使い勝手が良いからだ。

「今だ!」

 敵が攻撃に転じた今なら、もしやすればこちらの攻撃が当たるかも知れない。そう思って、リコウは矢を射かけた。しかし、その矢はまたしても命中しなかった。矢はカクカイに当たることなく、その右側を通り抜けて後方の柱に突き刺さったのである。

「やっぱり駄目かぁ……どうすりゃいいんだこれ……」

 こちらの攻撃は当たらず、相手は一方的に攻撃してくる。はっきり言って反則もいい所であり、対処のしようがない。

「……そうだ!」

 その声は、シフのものであった。シフはトモエの傍に駆け寄ると、その耳に何かを囁いた。

「ありがとう。シフちゃん」

「えへへ、お姉さんのためなら」

 トモエはシフに礼を言うと、カクカイの方に向き直った。その目は自信に満ち溢れている。

「あんたのインチキ魔術、見破った!」

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