第30話 いざ敵の国都へ

囲魏いぎ救趙きゅうちょう」という故事がある。

 中国は戦国時代、当時中華で一番の強国であった魏の国が、隣国の趙の国に対して軍旅を発した。魏の軍は強く、趙は国都の邯鄲かんたんを包囲されてしまった。たまりかねた趙は同盟関係にあったせいの国に援軍を要請した。斉の王は将軍の田忌でんきに軍を預け、兵法家で知られる孫臏そんぴんとともに救援に向かわせた。

 軍を率いる田忌は真っ直ぐ趙に入ろうとしたが、それに対して孫臏はこう言った。

「魏の精鋭部隊は出払ってしまっており、国内には老人や脚の弱い者がいるばかりに違いありません。将軍が速やかに魏の都を攻め街道を占領すれば、魏軍は必ず趙から退いて自国に戻るでしょう。そうすれば我が国は趙を救い、魏の力を弱めることができます」

 田忌は孫臏の才能を見出した男であり、彼のことを大いに信頼していたので、その言う通りにした。すると、孫臏の言った通り、魏軍は邯鄲から退いたのである。田忌率いる斉軍は桂陵けいりょうという場所で魏軍と戦いこれを打ち破ったのであった。

 トモエは、前世においてそのような話を聞いたことがあった。

 ――だから、こちらから首都を狙ってやれば良いのではないか。

 どの道防戦一方では、エルフも人間もいずれ魔族に食い荒らされ滅ぼされる。敵は数も、組織も、文明も、何もかも優れている。そんなクジラのような相手を倒すには、心臓を一突きしてやるより他にないのだ。


「大賢者さま」

「大賢者さま」

 シフとエイセイ、二人の声が重なった。二人の目の前には、一本の大樹がある。一体全体その樹齢はどれ程なのだろうかと考えてしまうような、太く立派な大樹である。

わたくしシフと弟エイセイはこれより、仇敵エン国の都を攻撃する人間に帯同するつもりでございます。つきましてはそのご報告にあがった次第です」

 二人が深々と礼をすると、シフが大樹に向かって挨拶をした。その様子を、トモエとリコウは後ろで眺めている。

「あの木がその大賢者さまってやつ? もしかして、木が返事したりするんでしょうかね」

「さぁ……木が喋るって、あたしがずっと昔やったことあるゲームみたいだねそれ」

「ゲーム……?」

「あ、いや、何でもない」

 喋り出す木で、トモエは前世においてプレイしたことのあるテレビゲームを連想した。もっとも智恵の死後、トモエがこの世界に生まれ落ちてから今年で二十年経つ。もう前世の記憶も断片的にしか残っていない。けれども、今の自分の人生よりは平穏なものであったことは覚えている。

 やがて、シフとエイセイが戻ってきた。シフの手には、一枚の木の板が握られている。

「ねぇ見て見てこれ。敵の都に行くまでの地図なんだよ。大賢者さまがくれたんだ」

「へ、へぇ……あの木が?」

 目を輝かせながら語るシフに対して、トモエは少しばかり困惑気味である。

「大賢者さまは凄いんだ。ボクらエルフやドワーフたち、全ての森の民を見守ってくださる存在なんだ」

 普段はローテンションなエイセイさえ、シフ程ではないにせよ興奮しているように見える。彼らの中で大賢者なる存在が如何に大きいものであるかがよく分かるというものだ。

 木の板は、改めて見ると細い木簡がいくつも紐で繋がれ束ねられている。まるで巻物のように開いたり巻いたりできるようになっているのだ。広げてみると、確かにそこには地図が書き込まれていた。トモエはエン国国内の地理など何も分からない。この地図が正確なものであるなら、それは有難いものである。


 


 身支度を終え、四人はエルフたちが見送る中、村を出発した。エン国の都であるダイトまでは遠い。徒歩ではどんなに急いでも森を出てから十日以上は確実にかかる。敵の引いた道路の上を真っ直ぐ行けば最短であるが、流石にそれではすぐに敵に見つかってしまう。無駄な戦闘を避けるには、それこそ目立たないように道なき道を行かねばならない所もある。だから、実際にはそれ以上、下手をすれば倍の日数をかけることになる可能性もあろう。そして、流石に四人の食糧をその日数分運ぶのは不可能であった。途中で食糧の現地調達を強いられることとなる。

「それにしてもあたし、エイセイくんがついてきてくれてよかったなぁ」

 トモエの粘ついた視線が、エイセイに向けられる。

「エイセイくん、あたしの隣来ない?」

「……嫌だ……」

 エイセイはリコウの右腕を掴み、その向こう側に隠れてしまった。

「ごめんねうちの弟が……でもシフはお姉さんのこと好きだよ」

 離れていくエイセイと入れ替わるように、シフがトモエの右隣に移ってきた。トモエの右隣ポジションを奪われたリコウが、少し不機嫌そうな顔をしている。

 トモエには気になったことが一つある。シフはトモエのことを「お姉さん」と呼んでいるが、実はシフの方が大分年上なのではないか。エルフは長命種族であり、魔族同様見た目から年齢を推し量ることはできない。そのことが気になってはいるが、流石に直接年齢を聞き出すのは躊躇われ、詮索できずにいた。


 国都ダイトを目指す、四人の旅が始まった。敵の都は、まだ遠い。

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