第5話 疑心暗鬼

「リトス人……」


 脱衣所ではタオル姿のニーナと、耳があらわになったアンズがいた。

 遅かった。自分の不注意が憎かった。

 また、逃亡生活が始まる。


「アンズちゃん。外では耳を出してはダメよ」

「ニーナ……」


 だがニーナは騒ぐでもなく、フラムのようにアンズを捕らえようとするわけでもなく、真剣な眼差しでアンズを見ていた。


「レアンさん、だから追われていたんですね」

「ニーナは……欲しがらないのか」

「私は、この戦争には参加しないことにしたんです」

「戦争?」

「何も知らないのですか」

「実は——」


 そこから俺たちは、休憩室へと向かった。ニーナもパジャマに着替えている。

 部屋に設置された暖炉からは火が温もりを提供してくれていた。フラムの魔法のような殺気はない。

 

 俺はニーナに全てを伝えた。

 転生したきたことも、そこからまだ一週間も立っていないことも。


「あの伝説は、本当だったのですね」

「伝説?」

「石化の祭壇には、神から贈り物が届くと」


 石化の祭壇。思い出してみれば、イリスに会うよりも前にきていた。

 転生した瞬間、俺は辺りに響く轟音に怯えて、すぐに森の中へと逃げ込んだのだ。それが裏目に出て、戦闘に巻き込まれることになってしまったのだが。


 それに神様については会ってすらいない。


「神様がいるんですか」

「レアンさんは無神論者ですか」

「べ、別に批判したいわけではなくて」


 失言だったか、と後悔した。目の前にいるのは神に使える人であり、それをわざわざ否定するような言動をする必要はない。

 俺は反省したが、ニーナはどこまでも優しかった。


「いいんですよ。最近は無神論者と言われる方々も増えました。大事なのはそこではないのですけどね」

「そうなのですか」

「えぇ。神がいないから、罪を犯していいわけでもないし。神がいるからといって、災いに備えなくても言い訳ではない」

「……なんだか、思ったより柔軟なんですね」

「きっと、私だけです」


 ニーナは悲しげにいった。

 どういうことか、俺にはわからなかった。


「そ、それよりもレアンさんが転生者ならこの世界のことを説明しないといけませんね」

「お願いします」

「それでは」


 とニーナは言って立ち上がった。そして近くにあった移動式の黒板を持ってくると、メガネをかけた。

 ほどよくお洒落な、薄いメガネだ。

 こうみると、自分よりも年上な気がする。教師のようなたたずまいだ。


「この大陸には二つの国と、一つの集団がいると言われています」

「二つだけですか」

「えぇ、昔あった小さな国や集団はもうなくなりました。ただ一つを残して」


 ニーナは黒板に大きな四角形を書いて、真ん中に縦線を入れた。


「左がシュヴァリエ国、ここオルキデはシュヴァリエ最東部です。そして真ん中に石化の祭壇」

「じゃあ、最初にアンズを追っていたのは」

「右側の国、クリュエルの軍だと思います」


 それから俺はニーナに世界のことをたくさん教えてもらった。

 元々勉強は得意な方ではなかったが、ニーナの教え方は本当に上手で頭に次々と情報が入ってきた。

 だが、その情報のほとんどはアンズにとって恐ろしいものだった。


 *     *     *


「アンズちゃん、寝ちゃいましたね」

「流石に難しかったのかな」

「世界情勢は今とてもややこしいですからね」


 一通り説明し終えたときに、アンズはソファーで寝てしまった。

 ニーナがかけてくれた毛布の中で気持ちよさそうに寝息を立てている。


「でも参ったな。まさかリトス人がほとんどいなくなってしまっているなんて」

「昔は国として栄えていましたが、魔法を使えないリトスの人々は衰退し、北部のどこかで生活していると言われています。ですがほとんど目撃されません」

「どうして」

「殺されるからです。噂では世界樹の中に潜んでいるのではないかと」


 アンズの横に置かれた椅子に座っていたニーナは、アンズの頭を撫でた。


「涙は不老不死の秘薬に、血は強力な魔法の触媒になります」

「不老不死……」

「それはきっと後付けされた話でしょうが、一般人が使う回復魔法とは比べ物にならないくらい、怪我や病気を治してくれます」

「その秘薬を、ニーナさんは知っているのですか」

「ずっと昔、まだ世界が平和だったときにリトス人からもらった涙が、教会に保管されているんです」


 ニーナは気恥ずかしそうに笑った。


「一度大怪我をしたときに、友人が教会から盗んで使ってくれたんです」

「そんなことが」

「もう秘薬はありません。きっと世界中どこを探しても、リトス人以外は持っていない」

「リトス人以外」

「えぇ、だからシュヴァリエもクリュエルもリトス人も、リトス人を狙うのです。それこそが、シュヴァリエとクリュエルの間でしている戦争に勝つ条件でもあるのです」

「血は兵器に」


 可哀想な種族だと、心底思った。

 根も葉もない根拠からくる、人種に対する差別や憎悪は元いた世界にもあった。

 

 だが根拠はなかった。だからそのうち人間は、自分の考えを改めて他者を認めることもある。


 だけどリトス人には、紛れもない価値があった。

 

「レアンさんは、これからどうするつもりですか」

「俺は……」


 わからなかった。

 アンズをどこまで送り届けるのか。懸念もあった。

 リトス人がいるかもしれない世界樹は、海よりも深く、空よりも高いと言われている巨大樹だ。

 隅から隅まで探す必要がある。ニーナによると、モンスターと呼ばれる化物も潜んでいるらしい。

 そしてそれ以前に。


 世界樹に行くには、巨大な橋を渡らないといけないが、そこが戦地になっている。

 シュヴァリエとクリュエルが取り合っているのだ。


 魔法も使えない俺が行くには危険すぎる。


「誰かに、アンズを預けられたらいいのな」


 もっと強い、イリスみたいな人に代わってもらうのが最善だろう。その方が、アンズも安全だ。俺は追手から逃げるだけで、それ以上はしてやれない。

 そして、俺はこの戦争に巻き込まれないような穏やかな土地で過ごそうか。


 2度目の人生なのだから、できれば穏やかに。


「レアンさんは優しいんですね。アンズちゃんのこと、妹みたいに大切にしていて」

「そうかな」


 俺はアンズをみた。他人の子ども。普通ならここまで助けたりはしないだろう。


「でも、俺と一緒で一人だったから」


 あのとき、あの場所で俺たちは一人ぼっちだった。一人ぼっちで怯えていたんだ。


「異世界にきてやりたいこともないし、アンズを届けるくらいはやりたいんです」

 

 いつの間にか、ニーナはホットミルクのように温かい笑みを浮かべていた。


「もしも、ですけど。レアンさんさえよければ、アッシュの街に行った方がいいと思います」

「アッシュですか」


 ニーナは頷いた。


「そこになら、アンズちゃんを大陸北部まで連れて行ってくれる人がいます」


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