第3話 空っぽのお腹

 オルキデという街を形容するなら、湖だった。

 

 街の中心広場の周りには川が流れていて、その上至る所に噴水がある。まさに水の街。

 これが観光目的ならテンションも上がったはずだ。必要な荷物を背負い、ホテルが決まっていて、夕食のあてもある。


 その全てが俺にはなかった。

 

「お腹すいたぁー」


 アンズは広場に遠慮なく座り込み、お腹に手をおいた。フードはしっかりとしていた。

 俺も同じように座り込む。もう立つ気力もなかった。広場の周りではハチミツが塗られたパンや、腕の太さくらいはある大きなウインナー、そして果汁100%のジュース。


 そのどれもが、俺の知らない貨幣で売られていた。


「イリス、元気にしているかな」

「ちょっと、そこで何をしているの」


 目の前に現れたのは、騎士の集団だった。

 イリスと同じような鎧を着た赤髪の女性が、頬を膨らませている。


「ここは広場よ。休むなら宿とかお店にしなさいよ」


 イリスよりは、背は低い。というよりも小さい。

 ただ、鎧はイリスよりも重厚だった。背中には体と同じくらいの大きさの四角い鉄の盾を背負っている。


「お腹が減って、動けないんだ」

「はあ?」


 女性は顔をひん曲げて、俺の顔を覗き込んできた。


「乞食なら教会に行くといいわ。ご飯がもらえるでしょ」

「ここにきてホームレスか」


 俺は泣きそうになるのを堪えながら、立ち上がった。

 アンズも立ち上がる。その瞬間に、フードが外れてしまった。

 アンズの尖った耳があらわになる。それは俺自身も初めて見た。


 女性の目の色が変わった気がした。

 後ろに控えていた騎士たちも驚きを隠せていなさそうだった。


「フラム団長、こいつ」

「リトス人か」


 騎士たちの中には、腰に下げた剣の柄に手をかけている者もいた。


「お兄ちゃん、どうしよう」

「なんでこんなことに」


 アンズがあの場所でなぜ狙われていたのか、俺は知らない。

 だがここまで態度を変えられると、否が応でも認識することになる。


 アンズの存在の謎について。


「リトス人ってなんですか」

「その女の子よ。君たちには騎士団として注意するだけにしようと思ったが、こうなれば話は別ね」

「逃してはくれないんですか」


 出来るだけ温厚に。もしもイリスのような魔法が使えるのだとしたら、俺に勝ち目はない。魔法が使えないのだとしても、武器を持っている騎士には勝てないだろう。


「女の子をこっちに引き渡してくれるなら、あなただけは無事におうちに返してあげる」

「なんで狙うんだ」

「リトス人だからよ」

「ただの女の子じゃないか!」

「まさか!」


 フラムと呼ばれた騎士は、目を丸くして驚いた。


「涙の一族と言われているの。知らない?」

「あの変な涙か」

「違う。あれは秘薬よ。万病を治し、不老不死の力まで手に入れると言われているの」


 そんな馬鹿げた話があるわけないじゃないか。と叫びたくなった。だがここは異世界、何があって何がないのかを俺はわからない。


「不老不死にはならないよ!」


 俺の代わりに叫んだのはアンズだった。

 小さい体で必死にフラムを睨んでいる。だが両手で胸元を握り締めて震えていた。


「嘘かもしれないでしょう」

「どうか逃してくれないか。リトス人がどうとか、秘薬がどうとかはわからないが、俺はこの子を家に返してくれる人を探していたんだ」

「じゃあ私が返してあげるわ」

「冗談はやめてくれよ。日本人はジョークが苦手なんだ」


 俺はアンズの手を引いた。バイクには乗れない。遠すぎる。

 俺の唯一のアイテムはここでお別れになるかもしれないな、と思った。


「私は功績を作って王家の騎士団に入るんだ。そうしてイリス様をお守りするのよ!」

「イリス……。もう姫を辞めるって」

「笑えない冗談ね。あなたが会えるような人じゃないわ」

 

 フラムはついに剣の柄に手をおいた。

 手のひらからわずかに火の粉が出現している。


「街中だぞ」

「その女の子にはそれだけの価値があるの。悪く思わないで」


 これ以上はダメだ。逃げないと。


 俺はアンズの手を握って、走り出した。


「待て!」


 後ろからはフラムたちが追いかけてくる。

 なんでこんなに追われなくちゃいけないんだ。異世界ライフってこういうことなのか。過酷すぎる!


 三十分近く逃げ回った時には、俺とアンズは息が上がっていた。

 お腹が空きすぎている。


 なんとか路地裏に隠れたが、アンズは過呼吸気味に息を乱していた。


「アンズ、大丈夫か」

「はっ、はっ……ん」


 このままじゃダメだ。バイクにさえ乗れれば逃げ切れるだろうが、広場には戻れないだろう。

 時間が経ってから、取りに戻るしかない。それまでバイクが俺の物だとバレないといいが。


 路地裏から街の見渡す。視界は限られていたが、森が見えた。

 あそこなら、身を隠せるかもしれない。


「もう少し走れるか?」

「だ、大丈夫……。走れるよ」


 アンズはそう言って歩き出そうとするが、足が震えていた。

 もう疲労が溜まっているのだ。

 

 俺がやるしかない。


「背中に乗って」

「でも、お兄ちゃんが」

「大丈夫。運ぶのは得意なんだ」


 嘘だ。重い荷物なんてあまり運んだことはない。

 それでも今ここでやらなければ、郵便屋としてのプライドが傷つく。

 運ぶべきものを、何がなんでも運ぶ。それが郵便屋だ。重たくても軽くても変わらない。


「行くぞ」

 

 俺はアンズを背負うと、森に向かって走り出した。


「止まりなさい!」


 フラムに見つかった。まだ距離はある。逃げ込めば助かる。最悪アンズだけでも隠してから、フラムのところに行って時間稼ぎをするか。


 あぁ、本当に嫌な転生だ。前の世界も嫌だったけど、なんでこんなに苦労しないといけないんだ。


「お兄ちゃん大丈夫?」


 今更、一つや二つ苦労が増えたところで変わらない気がしてきた。


「大丈……夫」


 俺は森の中へと逃げ込んだ。ただ、ここは森ではなかった。

 木々が生い茂った教会の敷地内だった。

 フラムたちは俺を見失っている。声も遠くなったり近くなったりを繰り返していた。

 俺はアンズを教会の前で下ろした。


「ゼェ……ハァ。いいかアンズ。耳が原因でバレるんだろう?」

「お兄ちゃん……息が」

「耳を隠して、教会に逃げ込むんだ。そうしたらきっと助けてくれる」


 もう頼みの綱はこれしかなかった。


「兄ちゃんはあとで戻ってくる」

「お兄ちゃんダメだよ」


 意識が遠のいていくのがわかった。

 今からフラムの元まで行って、時間稼ぎをする体力もなくなっていた。

 元々体力は少ない方なんだ。もっと運動をしておけばよかった。


「大丈夫、兄ちゃんはすぐ戻ってくるか……ら」

「お兄ちゃん!」


 意識が途切れるその瞬間、扉を乱暴に開けるような音がした。


「何事ですか!」

「お兄ちゃんが……お兄ちゃんが倒れちゃった!」

「早く中へ」


 白い祭服をきた女性が、教会の中から出てきた。


「あぁ、息が弱くなってる。大丈夫ですか!?」

「……ぅぁ」

「今教会の中に運びますから」

「ぁ……アンズを頼む」


 今ここで死ぬのか。

 俺はこんなところで。

 ならせめて、アンズだけでも助けてから死にたかった。


「お兄ちゃん!」


 薄れゆく視界の中で、俺はアンズのことだけを見ていた。


 


 


 

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