第117話 旅の果て

 ……それから。少しの時間が過ぎたある日のこと。

 地平線まで広がる荒野の中。日の出とともに目覚めた少女が、澱みのない動きで立ち上がる。首を左右に一度ずつ回し、腕の筋を伸ばす。のち、屈伸を三度。軽い運動を済ませてから、足元でぐっすり眠っている猪に視線をやる。


「おい! 起きろぼたん!」


 屈んで、ばしばしと猪を叩く。容赦のない連打に猪の身体の八割ほどが埋まった。


「オハヨウ……ゴザイマス……」

「日が昇ったらすぐ起きろっつってんだろ! ほら早く用意しろ、なんかウィルナーの気配があっちの方に移動してるんだよ」

「……アッチッテ、ドッチダヨ……」

「あっちはあっちだろ」


 もぞもぞと地面から這い出そうとするぼたんを横目に、竜の少女は手慣れた様子で荷物をまとめていく。なんとか生きられるだけの水と空気中から水分を抽出するための道具が主なので、そう大した量はない。ぼたんの脱出よりも先に片付けを終え、悠々と見守る体勢に移行した。


「ほれ、早く出ろ」

「テツダエヨ」

「なんでだよ」


 ジーヌが犯人だからだが。

 とか言いたいぼたんだったが、言ったら今度は全身埋められるだけなので口を閉じた。多くの場合において沈黙は和平への近道なのである。

 たっぷりと時間を掛けて、なんとか抜け出すことに成功する。「遅えぞ雑魚」と文句が飛んでくるも無視。身体を揺らして土を払う。


「デ、ドッチ?」

「だから、あっちだって」


 少女が指差しているのは……西南西。

 思い出深い街が眠っている方角だ。どのくらい進むつもりかは知らないが、距離次第ではトラウィスの街があった場所を通過するかもしれない。


「あっち。トラウィスがあった方」

「オボエテイタカ」

「最近のお前、ちょっとオレのこと舐めすぎじゃねえか?」


 ジーヌはぼたんを睨みながらも、「まァいいか」と頭の上に乗せた。


「……いやさ、アレじゃん。いろんなとこ見て回ったけど、何もねえだろ?」

「ソウダナ」

「サイカのいた場所なら何かあるかも、と思ってよ」

「ウィルナーヲ、オイカケル、ノデハ?」

「分かってる。大丈夫。当然、優先順位は付いてるぜ。本当のことを言うと、ウィルナーの気配を感じた方角は……うん、五度くらいズレてるな。でもほら、誤差程度なら少しくらい立ち寄りたいって気持ちもあるじゃん?」

「…………」


 身振り手振りを交えて説明してみるが、うん、なんとなく分かる。

 ぼたんの奴、すんげえ目してるな。

 とはいえ共感もしてほしい。各地を旅しているというのに、景色がほとんど変わらないのは飽きが来る。そこで暗黒地下街トラウィスだ。あの女帝の土地ならば、植物の一つや二つ芽生えている奇跡が起きたっておかしくない。

 そういう夢を現実にするくらい、あの女なら平気でやる。


「あーッ今ウィルナーこっちに動いた! もう完璧に方向重なったわ! というわけで」

「……ハァ」

「それは仕方ねえというため息だな、納得したものと判断する」


 荷物を背負い、ぼたんを乗せ、少女はまた歩き出す。


「じゃ……行くぜ」

「――ナニシニ?」


 いつからか。

 お決まりとなった質問。

 別の土地へと向かうその前に、ぼたんが問いかける。何をしに行くのか。忘れていないだろうな。忘れるわけがないだろう。そんな確認を込めた問いかけ、に。


「はッ。そりゃあもちろん」


 竜の少女は、やっぱりこちらもお決まりとなった言葉を返す。


、だよ」






 かつて地上には竜という生物がいたと云う。


 恐怖の具現。万物の脅威。天災にも喩えられた敵対者。竜は世に存在したあらゆる者にとっての悪夢であり、絶望であり、死を振り撒く災禍の生命体であった。

 だが、とある一匹の竜は人間に恋をした。

 それが好意と気付くまでに長い時間を掛け、姿を変え、恋が何なのかを定めるまでにまた時間を掛けた。そうしていつか、旅の終わりに自身の恋を定義した。

 想い尽き果てるまで恋し続けることを約束した。


 そんな美しき恋があった、と云う。



 竜でもなく、人でもない、ジーヌという名の少女は恋を紡ぎ続ける。愛する者との繋がりが絶えぬよう、ジーヌはウィルナーに恋をする。

 いつまでも。

 ずっと。

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