第116話 恋の定義

 火は落ちた。

 世界は、スクルヴァンは街としての機能を失った。集まった命も資材も、何もかも焼けて、残っているのは竜の少女一行のみ。ただし二人と一匹のうち、一方の男は生物として終わりかけ。もう一方の少女は男を抱きしめて、涙をこらえている。

 あんまりに寂しくて、それでいて美しい、終焉の風景である。


「オレの恋は、見守ることだ」


『見守る』こと――竜の少女は自らの恋をそう定義した。

 ウィルナーは声もなく、先を促す。

 ジーヌはすべてを察して、彼の要望に応じ言葉を続けた。


「そうだな……うん。例え話をする。もしもお前がオレ以外の奴を好きになって、オレのことなんてマジでどうでも良くなって。終いにはそいつと恋仲になって子を授かるとかして、幸せな生涯を過ごしたとする。オレは別に、そんなお前に何かしてもらおうとも思わないし、何かしようとも思わない。ただお前の幸せを見守ることに徹する」


 ジーヌは語る。

 この恋は一方的なものであると。

 こちらの想いに応えるか応えないかは関係ない。何かをしてもらいたいわけじゃない。何かをしたいわけでもない。大切だという感情を抱いて、大切な相手の行く末を見守る。彼女の恋は見返りを求めるものでなく、独りよがりで、相手の意思なんかこれっぽっちも影響しない。


「たとえばお前がここで死んで、肉も骨も部品もなくなったとして。崩れちまった身体は空気に混じって彼方へ飛び去り、土に溶けて養分になる。全部が全部なくなったりしない。この世界のどこかにウィルナーという存在の痕跡は残っている。オレはお前を追いかけて、見守り続ける」


 ジーヌは語る。

 この恋は肉体の有無に依らないと。

 竜としての特性を持つジーヌは、ヒトには気付けない些細な痕跡であっても認識することができる。巡り巡ってどんな姿に変わろうと、竜の少女は愛しの研究者を探して見つけ出す。世界に残留するウィルナーの気配を、どこまでだって追いかける。


「たとえば何か奇跡が起きて、お前が別の動物とか植物とかに生まれ変わったとして。オレはそいつを見つけて、そいつの生涯を見守る。オレはお前に恋し続ける。約束する」


 ウィルナーが死んでも、ジーヌは彼に恋し続ける。

 彼女の意思が続く限りにおいて、永遠に、彼の辿る道行きを見守り続ける。幸福があるだろう。不幸もあるだろう。その様を時には隣で、時には遠くから見守ろうとすることこそ、ジーヌが定義した恋だった。

 そしてジーヌは宣言する。


「オレは、オレのすべてを費やして――いつまでもお前を見守り続けるよ」


 約束。約束する。

 ウィルナーは、約束、という言葉にとても思い入れを感じている。自分もたくさん、たくさん約束をしたような気がする。あまり、もう、覚えていないけれど。確か約束は果たすものだから、ちゃんと果たせているといいなと思った。

 それと、少女は確か、とてもしっかりしているから、この約束もきっと果たしてくれるのだろうと思った。


「そうか――」


 だからとても安心できた。

 これで終わりだと気付いていたのに、不安の気持ちがまるでない。清々しいくらいだ。心配するとか、考えるとか、そういう機能が壊れてしまったのかもしれないが、まあ、もう、どうでも良かった。

 少女の言ってくれた内容を噛み締めて、反芻する。


「私を……、追い続けて、くれるのか……。それは……」

「嫌だと言っても止めねえからな」

「なんて……」


 呼吸も、思考も。止まる寸前。音が遠ざかる。意識が遠くに向かう。消える。止まる。死ぬ。真っ当に思考回路を動かせない。

 そんな状態なのに、絶対の自信を持っていた。

 間違いないと断言できた。

 感情、を。

 最期に告げる。


「幸せな――こと、だろう――」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る