第93話 絶望の結論
不意に、いつか聞いた話を思い出した。
「面白い? 勇者の石碑が、か?」
「お前さんはそう思わんかね」
「ああ。私としては特に面白さを感じない」
研究者の言葉に、薄汚れた老人は呵々と笑った。
聖街スクルヴァン来訪の二度目。帝竜メリュジーヌの複製記憶を完成させ、老人シドに渡したときのことだ。雑談程度に交わした会話をウィルナーは思い起こしている。
「考えてみれば当然かのぅ。スクルヴァンという街は閉鎖的じゃからな。来るもの拒まず、去る者おらず――情報は内に溜め込まれるばかりで、意図的に発信したもの以外はほとんど外に漏れん」
「内部事情を知れば違って見えると?」
「そうさな……内部、というより裏事情と言うが正しいか」
シドは聖街スクルヴァンの事情に通じている。
帝竜メリュジーヌの亡骸――聖体と呼ばれていた神の半身。今も昔も利用する者のいない地下通路。蓄えられた竜の情報。みすぼらしく気味悪い老人は、闇深い街の真実をウィルナーたちに教えてくれた。
軽く零したその歴史もまた、同様に真っ黒だった。
「竜を討伐した者は勇者として敬われ、石碑にその名を刻まれる。知っとるよな?」
「勿論だ」
「うむうむ。では勇者のその後については?」
「竜の脳を喰らい、知恵を手にした勇者は国の主となった。その後は例外なく皆、素晴らしい統治を行った……とされているな」
「ほほう! 完璧! さすがじゃな!」
シドは拍手でウィルナーを称賛する。
どんな文献でも必ず竜とセットで語られるのが勇者という存在だ。竜が徹底的に悪として描かれているように、勇者は絶対的な正義として記される。竜の研究を続けてきたウィルナーは自然、勇者の知識も一般水準以上に記憶している。
「では、ひとつ教えようか。勇者が統治した国はスクルヴァンじゃあない」
「…………、何だって?」
「スクルヴァンの内で生きる連中は『勇者は街の外で新たな国や街を興した』と思っとる。じゃが、お前さんのような街の外で生きる連中は『勇者は聖街スクルヴァンの主になった』と読み解く。この取り違え、誤認識は狙って仕掛けられとる」
ひひ、と老人は不気味に声を漏らした。
「真実を知らんまま、あんな石をたいそう大事にしとるんじゃ。滑稽すぎて笑いが止まらんわい」
勇者は街の外に出た、と思い込む。
勇者は街の中にいる、と誤認する。
そのどちらも正しくないのなら、勇者は何処にいったのか。
権力を求める人の性。脳を喰らうことによる竜化現象。神を名乗る人間。行方知れずの勇者。過剰に積み重なった悪感情。竜の本能。理解と適応が導き出す破壊衝動。
すなわち神の正体とは――
「歴代勇者と同じ数だ」
「あ?」
どれだけ竜を喰い散らかしたのか。
問いに対するウィルナーの解答を聞いて、ジーヌはいっそう困惑した表情を見せた。
「スクルヴァンという街が出来てから今までに勇者と呼ばれた者。竜を討伐し、脳を食し、人から外れた知恵を獲得した者たち……神を名乗る人間は、歴代勇者の全員を喰らっている」
「――――」
始まりが誰であったかは知れない。最初の勇者だったのか。勇者に近しい者だったのか。起源を辿る余裕も、時間も、手段もない。もはやこれはそういう段階の話ではない。
ジーヌたちに説明しながら、ウィルナーは考えていた。
人間の欲望。竜の知恵。歴史の闇に潜みながら、時間をかけて煮詰まった。神は、悪辣にして圧倒的な頭脳と強靭かつ至高の肉体を備えた究極生命体だ。容赦も躊躇もなくこちらを叩き潰すだろう。
理解してしまった。
一割の勝率があればいい方だ?
冗談じゃない。僅かさえも勝ち目はない。
「ふうん。ねえ、キミたちさ。ボクが協力したとして、それに勝つための手はあるの?」
「おいユラン、オレのウィルナーを舐めるなよ。あるに決まってる」
「ソウダ、ナメルナヨ。オレノウィルナーヲ」
「いやお前のじゃねえから。オレのだから。なァ、そうだろ?」
応答はない。
「返事しねえのかよ!」と突っ込もうとした手が止まる。
ウィルナーは酷い顔をしていた。言葉が浮かばない。ユランの意見は刃のようにウィルナーの思考を絶望で染め上げていた。
策が何も出てこない。勝利の未来が想像できない。
「……考えるよ。勝つための方法を」
言葉に力はなく。
希望は見出せず。
それでも、ひたすらに思索を繰り返す。
「…………」
そんな研究者を、竜の少女は静かに見つめていた。
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