第88話 先行の理由
「起きろ! さっさと行くぞウィルナー!」
少女の声は夜明けと共に。
朝日と同時に目覚めたジーヌは、遠慮も容赦もなくウィルナーを叩き起こす。「おはよう」と挨拶を返し、ウィルナーはぼたんを抱えて簡易設営のテントから外に出る。変わらずの吹雪だった。ほとんど凍結した天幕を無理やりに圧縮して荷物に詰め込み、二人と一匹は今日も雪原を移動していく。
ウィルナーたちの基本方針はシンプルだ。
ひたすらに寒い方へ。
現在、ジーヌたちは神を追いかけている。スクルヴァンで聞いた話によると、神は「逃亡した悪しき竜を追う」と告げたという。ならば神を探すことは氷刃竜ユランを探すことと同義である。
寒さと氷刃竜の距離は相関する。ユランに近づけば近づくほど寒さが増していく、すなわち寒い方に向かえばユランに近づくことと同義である。
……のだが。
首を傾げ、先行する竜の少女を追いかける。
人工の感覚器が伝える数値は明らかに少女の行き先と違う方角を示していた。
「ジーヌ」
「なんだウィルナー。疑問でも?」
「疑問というよりも修正提案だな。進行方向に誤りがある。東に七度ほど進路を変えるべきだ」
「いや。こっちでいい」
進む方向を正そうとしたウィルナーだったが、竜の少女は研究者の提案を拒絶する。
「北北東の空気が最も冷たい。君が感じられないはずもないだろう。ぼたんだって感じているくらいだ」
「ウム」
同意するように猪が頷いた。ウィルナーの防寒着、フードの中に隠れて震えている。寒さに強いはずの猪でさえも素の身体を晒していては凍えるほどの冷気。ウィルナーが言った方から伝わってくるのは誰の肌にも明らかだった。
「当然。それくらい分かってら」
ジーヌはくるりと振り返り、ウィルナーの鼻先に向かって指を突きつけた。
「いいか研究者。基本方針だけじゃどうにもならんことだってある。これはその類の例外だ。素直に寒い方に向かっても、おそらくユランは見つからない」
「根拠はあるのか?」
「記憶由来の直感だな」
「エェー……」
呆れた声を漏らした猪にジーヌの爪が突き刺さった。
「イッタァ!」
「状況考察を踏まえた上での直感だ。舐めんな」
「異常な状況なのは確かだな」
ぼたんに傷薬を塗りながら、ウィルナーが言った。
昨日は最終的に九匹もの竜を討った。
本来であれば一匹倒せば勇者と崇められる竜である。そう簡単に仕留められるものではないし、そもそも竜は群れる生物ではないのだ。同じ地域で十匹近くもの竜と鉢合わせる時点で、異常事態が起きていることは容易く想像できる。
「考察……ユランが致命傷を負っている、といったあたりか?」
「そうだな。それが考察、もとい前提だ」
「シニカケテル、ノカ?」
「程度は分からんが、傷ついていることは間違いない。で、その状態でも他の竜よりは遥かに強いこともな」
「ソウナノ……?」
分かっていない様子の猪にジーヌの爪が突き刺さった。
「アイタァ!」
「もう少し優しく取り扱ってやってくれないか」
「いや、さっき刺したときに思ったんだけどこいつの血がけっこう温かくてよォ」
「命で暖を取ろうとするな」
「はいはい、分かった分かった。それより話の続き……」
ぼたんが悲しそうな顔をした。
「……の前に、理解度は同じにしとくか。二度も刺して悪かったって」
「フン……」
「説明は移動しながらで頼みたいのだが」
「勿論、って説明すんのオレかよ?」
「たまにはいいだろう」
「はァ~」と露骨に面倒そうな息を吐いてから、ジーヌは話し始めた。
「……まァ、ここらに集まっている竜はユラン配下の連中だな。あいつに手下がいるってのは前のときから分かってたし。で、そいつらがこの近辺に集まっている理由は、スクルヴァンで聞いた話から簡単に推測できる。ユランを守るためだ。……聖街スクルヴァンで戦い、敗北し、逃げ帰った野郎。情けないことにな」
吹雪の中を少女が歩いていく。時折立ち止まって、空気の流れを読み、また歩く。一切の迷いなく進んでいく。
「そんだけ恥晒せば反乱の一つや二つ起きてもおかしくはなさそうだが、そんな様子はない。つまり神に敗北を喫しても、傷ついても、そこらの雑魚が束になったって敵わない程度には強いってことだろ」
「ナルホド……」
「お前スクルヴァンで話聞いてたか?」
ぼたんに突っかかる少女を宥めつつ、ウィルナーは先を促す。
「前提の共有はできたところで、直感の話もしてほしいのだが。頼めるか?」
「そうだな。教えとくか」
「ヨロ」
三度目の爪突き刺しを喰らい、ぼたんは涙した。
まったく反省しない猪だなとウィルナーは思った。
「今移動してる先は、最も寒さを感じる方角から意図的にずらしてある。長年メリュジーヌとしてユランと戦ってきた記憶があるから分かるが、あいつは追い詰められるとほんの少しだけ風の流し方を変える。自分の居場所を隠すために」
「たまに立ち止まっていたのは、ユランの癖を読んでいたのか」
「余裕がないときこそ手癖が出るもんだからな。意外と分かりやすいんだぜ」
言葉を実演するように、ジーヌは再び止まって風を浴びる。
「僅かばかりの寒暖差で生み出した気流を使って、スポット的に空気の澱みを作るんだ。そこに隠れ潜む。風の流れに乗って空を飛ぶような奴じゃ、そうそう辿り着けないだろうよ。オレたちは徒歩だからまだ見つけやすい」
「ジーヌ。それは、しかし……」
「ああ、うん。お前の考えてる通りだ。澱みに滞留する空気は熱を蓄えて暖かくなる。氷の竜だっつってんのに、本当に追い詰められたときに限ってその場所で丸まって寝てんだよ」
帝竜メリュジーヌ――炎を操る竜としての記憶を持つ少女が、前を行く。
「温もりを好むみたいにさ」
彼女の表情は見えなかった。
×××
「ところで。……君は神を止めたいんじゃないのか?」
「あァ? そうだよ、道中でそう言っただろ。オレは神をぶちのめしたいんだ」
神を止めたい。
神はユランのところに向かおうとしている。
だからジーヌたちもユランのところに向かっている。
この三項が事実であるとして。さらに先ほど聞いたジーヌの直感が真実ならば、ウィルナーにはひとつ気掛かりがあった。
「しかし、このまま君の直感通りにいくとすれば、神よりも私たちが先行してしまうのではないか?」
風の流れに乗って空を飛ぶような奴は、ユランの潜伏地を探せない――神がどれほど超越的な戦闘能力を持っているにしても、強烈な吹雪に逆らって飛び続け、潜伏地を探るのは難しい。別の手立てとして広域殲滅を目論んでも、北方雪原は氷刃竜ユランのホームグラウンドだ。簡単にはいかないだろう。
つまり、神よりもウィルナーたちの方が、早くユランの下に辿り着く。
「だろうな」
「先に相まみえればユランと戦いになる可能性は高い。神とやり合うつもりなら消耗は避けるべきで、神よりも後に着くのが本来の目的に適している。……だというのに、君はむしろユランを探しているような節があった」
「……その通り」
「何故、君はかの竜を探している?」
「必要だからだ」
ジーヌは断言した。
「オレは一人じゃ勝てない。情けないことにな。……あいつの協力が必要だ」
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