第72話 返答の真意

 ウィルナーとジーヌが街を離れてから三日後。

 トラウィスの最奥、街の主の屋敷にて。

 部屋には紙に忙しなくデータを書き込むサイカと、彼女の目前で床をのたうち回る焔の男。いつものように試薬を打ち込まれた焔の男は、いつもと変わらず無様に呻き声をあげていた。


「あぁっ! ぐ……ぅ、っ……!」


 焔の男はサイカの研究助手を務めている。助手の役目としては、たとえば街の管理者が担うべき事務仕事の代替、研究環境の整備、清掃、資料資材等の運搬など。主にはサイカが研究にだけ集中できる状況を作り上げることとなる。

 加えて、焔の男にのみ与えられた役割がもう一つ。

 被験体だ。

 焔の男は体表面から炎を溢れさせている。炎を司る竜の血を引いた子、ジーヌの血漿から出来た薬品の影響を受けたものだ。不完全にとはいえ、彼はすべてを無に帰す煉獄の炎をその身に宿している。炎は万物を燃やし尽くす。人を容易く死に至らしめるような危険な薬効でさえ、無論例外ではない。

 ただし、即座に解消とはいかない。完全であっても薬効の焼却には少々の時間が掛かる、不完全であればなおさらだ。サイカの目の前で繰り広げられているような苦悶の時間が必ず生じる。体内の薬物が焼却されるまでの苦痛が発生する。

 現在、焔の男は注入された薬物の効能で知覚が過敏になっている。


「痛い……っっ!」


 体表面から炎を溢れさせている。常に肌が炙られている。平時であれば竜の適応性が作用し、熱さはさほど感じない。だが、焔の男の肉体は焼け焦げ、灰と崩れていっている。痛みがない、はずがないのだ。増幅させられた痛みは焔の男に耐え難い苦痛をもたらす。

 サイカは満足げに男を見守る。

 痛覚含む五感の制御を目的とした、自身の研究成果を見守っている。


「はぁ……! あぁ! あ……、…………。…………」


 十数分の後、焔の男が沈黙した。

 意識がなくなったか、もしくは痛覚が元に戻ったか。どうやら後者だったようで、呼吸を荒くしながらも男は立ち上がった。


「観察はしていたけれど、詳細はレポートにまとめて今日中に出してね~」

「ぁ……あ、はい! 了解した! 任せてくれ!」

「返事は一度でいいですよぉ」

「分かった!」


 生まれたての子鹿のように震える膝を動かし、なんとか部屋から退出しようとした焔の男だったが、出口の扉に手を掛けたところで立ち止まった。振り返り、挙手する。


「サイカ様! 訊いてもいいだろうか!」

「何かしら~?」

「想いを行動に移すには、何をすればいい? サイカ様は、何をすれば想いを示したことになると考えているんだ?」

「なぁに、好きな人でも出来たの?」

「そんな余裕は与えてくれていないだろう!」

「時間があっても、常時燃えてる異常者を相手にしてくれる人いないでしょ~」

「…………」

「…………」


 部屋の空気が少し悪くなった。

 サイカは窓を開けて空気を流し込んだ。


「ウィルナーに訊かれたの?」

「ああ。それで、俺も悩んでみたのだが……。結局、どれだけ思案してもウィルナーさんにその場で答えた内容から変わらなくてな! サイカ様の見解が聞きたい!」

「いいけれど、先ず貴方の回答を聞かせてほしいわ~」

「『何ができるかを考えて実行すること』だ! 行動の内容や是非は関係なく、相手の為に行動すること自体が想いの証拠だろうと思った」

「はぁ~……」


 サイカは目を細めて焔の男を見つめた。


「……貴方、真っ当な思考が保てているのね~。直前まであれだけ苦しんでいたにも関わらず、普通に記憶を引き出せる……」

「…………、それで、サイカ様はどうなんだ?」

「とても困ったことなのだけれど、私も貴方とほぼ一緒よぉ~。行動することは当然として、重要視されるべきは『何ができるかを考えて』の部分ねぇ。相手への想いは、どれだけその人の為に思考を割くことができるか、で判じることができると思っているわ」

「そうか、だいたい一緒か! ……何故に困る?」


 首を傾げた焔の男を無視し、言葉を続ける。


「想いを示したい誰かがいる。その相手に対して、どれだけ自分の時間を費やせるか……思考に使った時間、行動に繋げるまでの手間、その量が想いを示す指標の一つになると思っているわね~。だから」

「だから?」

「何ができるか、何をすればいいのか、たくさん悩むといいのよ。悩むことができた分だけ、想いの強さの証明になるわぁ~」


 焔の男は思い出していた。

 ウィルナーは言っていた。サイカに問うても「たくさん悩むといいわぁ~」とだけ返された。答えを教える気はまったくなさそうだった、と。


「……なんだ、ちゃんと答えてもらっていたんじゃないか」


 適当なことを言って、と男は独り言ちた。


 ×××


「へっくしょい!」

「なんだ、ほぼ機械のくせに風邪でも引いたのか?」

「噂されているようだ。トラウィスで私が話題に上がっているとくしゃみが出る機能を追加してきたからな」

「なァ冗談だよな? マジでそんな変な機能付けてないよな?」


 見知らぬ森の中。

 焚き火に当たりながら、ジーヌが尋ねた。

 ウィルナーは一言も発さぬままでにこりと微笑んだ。

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