第57話 回想紀行 -雷の眠る岳-

「本心を言うと、ここはあまり思い出巡りのコースに組み込みたくなかった」

「何故だ?」

「理由は二つある。まずはジーヌ、君に負担をかけるからだ。帝竜だった頃ならまだしも、少女の姿で私とぼたんを抱えて飛ぶのは血の消費的に厳しいと考えられる。万が一にも落下すれば君や私の身体を負傷しかねない」

「なるほどな。もう一つは?」

「もう一つは――」


 男の言葉を遮るように、すぐ傍を雷が通過した。耳を塞いで縮こまっているウィルナーと、それを見てにやついているジーヌの表情が対照的だ。


「――私は雷が嫌いだ!」


 またしても雷が迸った。


「こんなに雷激しかったか!?」

「こんなもんだろ」

「記憶違いだ! 冗談も程々にしてくれ!」


 普段は落ち着いているウィルナーが慌てている様は単純に見ていて面白い。サイカ様々だぜ、とデートコースの決定に寄与した人物へ感謝を捧げつつ、ジーヌは雷雲の中を飛翔する。ウィルナーを片手で持ち、もう片手で緩やかに火を放つ。超火力を利用した高速移動ではなく、散歩するような緩やかな速度での飛行だ。火力を絞れば血の消費も減り、二人での長距離空中移動も難なくこなせる。

 ジーヌたちは雷雲の中にいた。

 当然ながら、好き好んで雷雲に飛び込んだわけではない。五か所目のデートスポット、帝竜メリュジーヌ思い出の地が雷雲の中にあるのだ。ジーヌたちの目的地は世界有数の山岳地帯。険しい山肌を上った先、とある竜の眠る地だ。

 徒歩で向かう、という選択肢は初めから無い。雷が住むとされるこの山岳地帯は、常に雷雲を纏っている。まともな人間がまともな手段で暴風と雷で荒れ狂う山を登ろうものならば、あっという間に吹き飛ばされるか雷に打たれて死亡するかの二択だ。

 まともではない機械人間のウィルナーならば雷が直撃しても即死しないが、一時的な機能停止は生じる。そんな前触れのない機能停止を、ウィルナーは大変に嫌っている。

 怖くはない。彼が恐ろしいのは、未知と、興味の対象を失うことだけだ。

 好き嫌いの話だ。子供が駄々をこねるように、嫌いな食べ物を残すように、ウィルナーは雷が降る岳に拒絶反応を示していた。サイカは性格が悪いのでニヤニヤしながらデートコースに突っ込んだ。デートコースが決定してしまえば、真面目なウィルナーは行ったことにして誤魔化そうとは考えない。

 そういうわけで、白衣の青年は泣きそうになりながらも、ジーヌに連れられて雷雲の中を進んでいるのであった。


「まだ到着しないのか!?」

「まだまだ……と言いたかったが。ほら、見えてきたぜ」


 ジーヌに促されて視線を向けると、抉り取られたような山肌が見えていた。急勾配の斜面、その一角には大木が突き刺さっている。雷に打たれ、枯れ落ちつつある大樹は墓碑の代用物だ。死した場所を忘れぬようにとメリュジーヌが作った目印。

 そこには竜が埋葬されている。

 自然災害を引き起こす竜。雷で大地を焦がす、歩く災害のうち一匹。

 雷牙竜――彼が討伐された場所である。


「ちょうどいいところは……っと」


 大木に近づくと、岩壁に手頃な穴を見つけた。雷が当たったかして割れたのかもしれない。

 震えっぱなしのウィルナーを放り、自らも続く。苔だらけの地面に着地、動物が生きている気配もない。安全を確認してから腰を落ち着けた。


「よし! 着いたぞ! ここなら大丈夫だろ」

「ああ、問題なさそうだ。すぐに薬を用意するから待っていてくれ」


 待ちたくねえ。

 と思ったのだが、五回目にもなって逃げ出すわけにもいかず座して待機する。ウィルナーとしてはもはや手慣れたものらしく、数分もしないうちに酷い臭いと見た目の薬品を渡された。

 気合を入れて、勢いよく過去疑似体験薬を飲み干す。

 すぐさま意識が暗転、闇が晴れると目の前で過去の映像が流れ始めた。






 ――主を失った山岳は、嫌に静まり返っていた。


「酷い有様だ」

「予想通りではあるがな」


 山岳地帯に足を運んだウィルナーたちが目撃したのは、雷牙竜のものと思われる亡骸だった。雷牙竜の亡骸だと断言できない理由は、残骸の量が明らかに少なかったこと。加えて、残った肉片だけでは判断が付けられないほどばらばらに解体されていたことだ。

 竜の牙、鱗、爪や骨、一部の希少な臓器は上質な道具を作るための素材となる。竜の脳は、食べた者に万物への理解力を授ける。貴重な竜の死体を、人間たちはできる限り活用する。

 残っていたのは、持ち切れなかった骨と肉、不必要な臓器だけ。


「…………」


 ウィルナーはじっと肉片を見つめている。

 元々、雷雲の山岳地帯は雷牙竜の縄張りだった。自然災害、あるいは神と同一視され、人類の脅威として振舞い続けた数匹の竜。その一匹であり、最古の竜でもあった雷牙竜。

 死んだらしいとの噂を聞いて、やってきてみれば嵐は止み、雷も降っていなかった。異常な天候に噂が真実だと悟る。調査を続けた先で、亡骸らしきものを発見したのだった。


「老いて弱ってはいたんだ。だから、多分時間の問題だろうなとは思っていた。狩られるか、衰弱して死ぬか」

「守ろうとは思わなかったのか?」

「いや? どうしてオレがそんなことを」

「貴重な自然現象を操る竜だろう」

「じゃお前が守っとけ」


 無茶を言う、と呆れながらも研究者は考える。

 自然現象を巻き起こす竜が討伐されたのは、歴史上初めてのことだろう。そうだ、どれほど強い力を持っていようとも、生きている限りいつか死ぬ。雷牙竜が討伐されたように、いかに強大な能力があったとしても、失われる可能性はゼロではない。

 帝竜メリュジーヌでさえも、無論、例外ではない。

 メリュジーヌが傷ついている様を見て、敗北の可能性を思い浮かべてしまった。メリュジーヌに並び立つほどの竜が討伐されたことで、死を身近に感じた。


「守れるはずがない」


 小声で呟く。

 怖い。

 怖くなっている。

 興味の対象が未知のまま失われる可能性に、ウィルナーは恐怖している。


「おいウィルナー。散らばってる肉片を集めとけ」

「何をするつもりだ?」


 震える手を隠しながら尋ねた。


「墓を作る。雑魚ならここまでしてやらないが、こいつはそこそこ強かった。覚えておきたい」

「……竜も死を悼むか」

「少しくらいはな。意外か?」

「世間一般からすればそうだろうが、私は当然のことだと思う。竜は高い知性を持つ。同類が死すれば追悼しない方がおかしい」

「おかしい奴だと判断されなくて良かったよ」


 メリュジーヌは雷雲の中に飛び去っていった。

 雷に怯えつつも一人で雷牙竜の肉片を集めていると、帝竜はあっという間に戻ってきた。樹齢の想像ができないほど巨大な幹を抱えている。根が土を引き連れているところを見るに、どうやら近くの森から引き抜いてきたようだ。


「集めたな? よし、そこから適当に落とせ」


 指示に従い、崖のように抉れた斜面へ肉片を転がしていく。すべて落としたあと、メリュジーヌは肉片が集まっていそうな場所にざっくり目星を付けると、持参した大樹を投擲した。

 雷鳴に似た衝撃音が空間に響いた。

 岩ばかりの山肌に巨大な樹が突き刺さっている。異様な光景が完成した。


「見栄えのしない墓標だが、無いよりはマシだろ」

「君は大雑把だな」

「大胆と言ってくれ」


 帝の竜は目を閉じ、動きを止める。無言の時間を数秒、きっと雷牙竜に思いを馳せている。

 死を、思っている。


「…………」


 ウィルナーの手の震えが大きくなる。

 自分の死は怖くない。命の終わりは探究の終わりだ。喪失を嘆く意識もない。だから怖くない。

 けれど、他者の喪失は怖い。興味の対象となった誰かを失うことは、未知が永久に未知のままであることを意味する。怖い。自分の死よりも怖い。

 メリュジーヌを失うことが、何よりも恐ろしい。


「……おい、どうした?」


 研究者が震えていると気付き、メリュジーヌは尋ねる。


「…………」

「ウィルナー? 大丈夫か」

「……メリュジーヌ。私は、君を守れない」

「あァ? さっきの話か。真面目に受け取るなよ、お前に守ってもらうほどオレは弱くねえ」

「君は強い。けれど、いつか死ぬ」

「――――」


 瞬間、帝竜の身体から炎が上がった。絶対的な強さを誇るメリュジーヌにとって、死を提示された経験などなかった。死と暴力を振りまく存在であるからこそ、少しばかり傷つきながらもひたすら敵対者を殺してきたからこそ、勝利を重ね、絶対的な自信を培ってきたからこそ。

 死を突きつけられることは侮辱だった。


「何のつもりだ?」


 竜の視線がウィルナーを射抜く。

 常人であれば立つことさえもできない殺意を真っ向から受けて、それでも研究者は帝竜を見つめ返した。並々ならぬ意思をもって帝竜メリュジーヌに立ち向かっていた。


「……どういうつもりだ?」


 帝竜が殺意を緩め、再度問う。


「君のすべてを解き明かすまで、私は万が一にも君を失いたくない。君を失うことが怖い。どんなに少ない可能性であろうと、見過ごして後悔したくない」

「…………」

「だから――メリュジーヌ。一つだけ、頼みがある」



 ×××



 ――――。過去映像はそこで途切れた。

 違和感。

 正体を掴み切れなかった疑念が再浮上する。

 あのとき、ウィルナーはメリュジーヌに何かを頼んだ。間違いない。過去疑似体験薬が思い出させるのは脳に保存された記憶だ。だから、ウィルナーからの依頼があったのは紛れもない事実。

 メリュジーヌは頼みを聞いてやった。

 はずだ。


「……っ」


 違和感の正体を理解する。

 ウィルナーからの頼みごとがあることは思い出した。だというのに、それが何なのか、ジーヌはまったく思い出せない。どんな場所で、どういった内容で、結局頼み事は完了したのか。それ以前に、頼みを聞いてやったのかさえも。

 分からない。

 まったく思い出せない。

 七色の花畑で抱いた違和感も同じ。思い出せていなかった。死を経験していない、はずがない。ジーヌがメリュジーヌだった頃の記憶をすべて所有しているならば、死が未知の領域であるはずがないのだ。帝竜メリュジーヌは既に死んでいるのだから。

 


「起きたか。気分はどうだ」


 目を開く。ウィルナーの顔がすぐ傍にある。


「最悪な気分だ。今なら人を殺せる」

「生意気な目の男を?」


 どうやらジーヌが体験していた過去に思い至っているようだ。「その通り」と答え、さらに言葉を繋ぐ。


「お前はオレに頼み事をした」

「確かにしたね」

「……だが、何を頼まれたのか。思い出せない。思い出せない記憶がある」


 ジーヌが告げた内容にウィルナーが返したのは、


「やはり」


 という言葉だった。


「気付いていたのか?」

「ああ。会話や行動から、あの時のことを覚えていないだろうとは思っていた」 


 ウィルナーは人差し指を立てた。


「私たちは選択できる。一方はこのまま帰るという選択。君の記憶が欠けているのはおそらく自己防衛反応に依るものだ。思い出しても大した得はない。むしろ、記憶の混濁を引き起こして異常症状が発生することも考えられる。メリュジーヌの脳情報も収集できただろう。大本の目的は充分に達成したと考えて良い」


「もう一方は」と中指を立てて示す。


「君の記憶をすべて取り戻すという選択。完璧に復元できる保障はない。おかしな症状に苛まれるかもしれない。それでも最後までデートを続けて、過去を見届ける」


 少女と研究者の視線が交わる。


「どちらにする。判断は君に委ねよう」

「……ハッ、どちらがいいかだと? 冗談。迷うわけがねえ」


 ジーヌはウィルナーの中指を握った。


「こちとら興味と探究が趣味で生きがいの男に付き合い続けてきてんだ。興味湧いてきた事柄を放置できるはずがねえんだよ」


 思い出しても得はない。妙な症状が発生するかもしれない。

 そんなことどうだっていい。

 ジーヌは多くのことを知るべきなのだ。恋を定義付けるために、知見を広め、様々に経験し、積み重ねる。

 なのに自分のことさえ分からない少女が、どうして恋を定められようか。

 それに。

 そんな理由がなくたって。

 死する生命が最期に抱く感情について、興味がある。知りたいと語ったのなら、言葉通りに行動するだけなのだから。


「ならば行こうか」

「ああ」




 ――次なる舞台は最後にして最期の地。帝竜の堕ちた山。



「この雷雲を抜けてな……!」

「しまった忘れてた……! くそっ雷なんて大嫌いだ!」


 なお、ぼたんは下山後、ウィルナー以上に怯えて縮こまっていたことが確認された。

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