第44話 聖体の違和

「ウィルナーだな?」

「そうだ。それ以外の誰かに見えたのか?」

「……いいや。確認しただけだ」


 竜の少女は聖体の上から飛び降りる。針金じみた細さの研究者、その胸に向かって飛び込んでいく。ウィルナーは少女を受け止めるべく、腕を広げて待ち構える。


「ウィルナー!」

「ジーヌ!」

「死ねェ!!!」


 剛拳がウィルナーの鳩尾を直撃した。「ヴッ」と蛙が潰れたような澱んだ声をあげて、研究者は吹き飛んで転がっていった。

 動かない男。一撃で虫の息である。

 落下の勢いをすべて衝撃に転換したジーヌはというと、華麗に着地している。


「オレのことをすっかり忘れていただろう」


 質問は不要、とばかりに暴力の理由を告げる。

 言い訳をする間もない苛烈な愛情表現だ、とウィルナーは朦朧とした意識の中で思った。ついでに、けっこうウィルナーのこと理解してくれているのだなとも思った。


「暴力……なんかずいぶん久しぶりの気がするぜ……」

「…………」


 殴った感触を思い出すように、ジーヌは繰り返し手を握る。

 ここしばらくは穏やかな日常を過ごす機会が多かったが、本来的には帝竜メリュジーヌとはそういう存在なのである。気を付けることは不可能にしても、もう少し日頃から覚悟を固めておいた方がいいかもしれない。

 しばらく痛みに悶えた後で白衣の研究者は立ち上がった。


「ジーヌ、どうやってここに? 行方不明だと聞いていたが」

「はァ? なんだその話?」


 竜の少女は首を傾げている。本人に自覚はないらしかった。

 ウィルナーは、待機部屋からジーヌの姿が消えていたこと、兵士たちの捜索が今もなお続いていること、そしてジーヌの失踪にシドという男が関連しているらしいことを伝えた。


「つまり、君はシドのことを知っている可能性が高いのだが。誰を指しているか分かるか?」

「胡散臭いジジイには会った。そいつがここまで案内してくれたんだ」


 ジーヌが「おーい! ジジイ!」と呼びかけるも、反応は返ってこなかった。おかしいな、どこにいったのかと少女は首を傾げる。「確かにさっきまでいたんだが……」

 少女を疑うつもりはない。彼女が出会ったのが老人だというのならば、その男こそまさしくシドなのだろう。


「ふむ……」


 合流までの状況がある程度把握できた。

 ジーヌは、シドという老人――ソラの祖父にあたる人物だろう――に連れられて大聖堂にやってきた。どういった道のりを辿ったのかは不明だが、ここまでの道中、二人は誰にも見つからずに移動してきたようだ。

 これまでの様子から察するに、白の巫女は街で相当の権力を預かっている。ならば祖父であるシドはそれに匹敵する立場を獲得している可能性が高い。どころか、ソラの元まで情報が来ていなかったことを考慮すれば、彼女より上の立場にいるやもしれない。

 そう考えれば、ジーヌとシドが人目を避けて大聖堂まで辿り着けたことは容易に説明がつく。事前に人を除けておけばいい。

 シドという人間自体にも過度に注意を払わなくて良い。ジーヌが警戒を緩めている以上、脅威になるような相手ではない。ほとんどの人間がそうであるように。

 残る疑問点は、何故、という部分。

 どうしてシドはジーヌを大聖堂に連れてきたのか。

 本人に尋ねたいところではあるが、声を掛けても現れないのではどうしようもない。


「ならば聖体を優先しようか」

「それ、聖体とか呼ばれてんのか? 面白ェな」


 自分の死骸だろうに面白いとはなんとも他人事だ、と内心でぼやきつつ、ウィルナーが聖体に近寄る。触れることを禁ずるという貼り紙を発見したが、手で触れるどころか骨の上に腰かけていたジーヌもいたのだ、今さらだろうと無視を決め込む。

 足先の骨に触れる。

 帝竜メリュジーヌの肉体、実物に触れたことのあるウィルナーは当時の記憶を思い出すようにその骨を撫で、指先で感触をじっくりと味わい、そして呟く。


「…………、……これは」

「面白い。だろ?」


 ジーヌがウィルナーの横に並ぶ。にやりと笑ってから、しかしすぐに表情を一変させて、愛しの研究者を睨みつけた。


「いや面白くねえぞ。ちょっと待て、さっきも違和感あったけど妙な匂いするな。香り袋かなんかか?」

「うん? ああ、もしかしたらソラさんの物かな」


 薄っすらとではあったが、確かにソラからは良い香りがしていた。ウィルナーの嗅覚では感じ取れない程度ではあるが、その香りが移ったのだろう。


「女か?」

「確認したわけではないが、おそらく女性だと思う」

「後で覚悟しとけよお前……。夜とか……」


 死の宣告じみた脅しを受ける。どういった行為への覚悟を決めておけばいいのか分からないが、ウィルナーはひとまず再度の暴力に備えて後ほど身体のメンテナンス時間を設けることに決めた。


「まったくよォ……」


 竜の少女が白衣の裾をぎゅっと握る。

 と、同時に二人の足元に位置する床が抜け、顔がすっぽり収まる程度の小さな穴が開いた。そして、穴から怪しい風袋の老人が顔を覗かせた。


「青春じゃのぅ! ひゃほ!」

「うおお!」


 脊髄反射的にジーヌの足底が老人の顔面を踏み抜きそうになり、触れる寸前で停止した。直撃したら間違いなく顔が陥没して死んでいたことだろう。


「ひ……ひぇーっ、へぇーっ……」


 笑い声だか死を目前にした呼吸音か、珍妙な音を漏らす老人。多分後者だと思われる。


「若人たちの青春が見れるかと思って隠れとったら……死ぬところじゃったわい……」

「踏み殺しても良かったんじゃねえかコイツ?」


「今からでも遅くはないな!」と踏もうとするジーヌを制止しつつ、老人に尋ねる。


「貴方がソラさんのおじいちゃん――シドさん、か?」

「いかにも」


 老人シドは短く答え、床の穴から顔を離した。「少し退いておれ」との言葉に従い穴から距離をおくと、すぐ轟音が響く。穴が広がり、床板が変形して仕掛け階段が出現した。

 階段を上ってきたシドと対面する。

 権力者にはとても見えない、みすぼらしい姿だ。白髪と髭が一緒になって垂れており、服も服と呼べるのか定かでない布切れ一枚。ゴミ溜めを前にしているような強烈な臭気に一瞬顔をしかめてしまう。


「…………」

「しかし……あの孫を指して、ソラさん、じゃと。とても街の住人ではできん呼び名じゃのぅ」


 ウィルナーの表情変化をまったく意に介さず、老人は続けた。


「あの子は、神託を受けることができる唯一の巫女じゃ。ソラの言葉はすなわち神の意思と同義。神に次いで権力を持つお方じゃよ……。周りの連中が、ソラ様、と呼んでいたのは気付いていたな?」

「想定以上だ」

「風格がないから、かのぅ! ひひっ、親しみやすくはあるじゃろう」


 ウィルナーの率直な意見を、老人が笑って返す。


「さておき。お客人よ、『神の居る街』にようこそいらっしゃった」


 聖体を背後にして、シドが挨拶する。

 神の居る街――そう、ソラも言っていた。超常現象や不可解な現象に対する概念的な存在ではなく、神が実在するという。非常識だとは言わない。常識は常に更新されるものだ。伝説、伝承でしかなかった帝竜が、実際は実在していたというように。有り得ないことなど有り得ない。だから、神は真実、存在するのだろう。

 ただ、実態を知りたい、と。

 神の正体を知り、未知をなくしたい、と思うだけだ。


「最初に会ったときも言ってたな、ジジイ」


 ジーヌがメリュジーヌの骨とされている展示物に触る。


「この聖体とやらが、お前の言う神か?」

「聖体に祈りを捧げる者もおるが、こいつは神ではない。神は居る。。じゃが……」


 シドが二人の背後を指差した。


「時間じゃ」

「おじいちゃん! やっぱり!」


 扉が開け放たれたかと思うと、ソラが飛び込んできた。先ほど仕掛け階段を出したときの轟音を聞きつけ、慌てて駆けつけたようだった。

 ウィルナーとジーヌには目もくれず、白の巫女は祖父の元まで歩いていくと、その両頬を左右の手で挟み込んだ。万力のように顔を押し潰しにかかる。


「女の子を連れ回して、何やってたのよ! 兵士さんたち、大変だったのよ!」

「ひぇっ、へへぇ」

「正座して。正座。この場で。すぐ!」


 有無を言わせずシドを正座させたソラが、目の前で説教を開始する。




 老人が解放されるまで待とうと思ったのが運の尽き、それから三時間に渡ってお説教は繰り広げられた。さすがのウィルナーといえど若干の嫌気が差してきた頃、ソラがウィルナーたちを認識するまで居たたまれない空気は継続した。

 その後ウィルナーとジーヌの二人は、ソラの勧めもあり大聖堂での宿泊となり部屋に案内された。

 シドは話す暇も与えられず、ソラに連行されていった。「またの~」と力なく手を振っていた光景が強く印象に残った。


 ――そして。夜が訪れる。

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