第40話 神の居る街(後)
門から発せられた「何者だ?」という問いに、ウィルナーはミスを自覚した。
門の到着寸前に、少女の姿を上書きする映像投影機器は起動させてある。だからジーヌの角や尾を見られたということはないと思うが、それでも。人間としてはあり得ない移動速度を見せてしまったのは完全に悪手だ。
いや、そもそも、角や尾を見られていないというのもウィルナーの思い込みでしかない。
門番の言葉から確認できるのは、ウィルナーとジーヌが大地を疾駆していた姿を見られた、という事実だけ。何者だという問いかけに、ジーヌの姿についてまでの中身を含んでいたとしても、ウィルナーにそれを確かめる術はない。
だから、そこは今気にする部分ではない。
「炎の研究を行っている」
不安を割り切り、ウィルナーは返答した。
竜の研究を、とは決して答えない。だが、すべて隠しもしない。半分だけ真実を明かす。
門の外、どれほどの範囲をどれだけ明瞭に把握できるかは分からないが、少なくとも入る前から拒絶はされていない。この時点では、あくまで怪しまれているだけで、入街可否の判断を下すまでは至っていないのだ。
仮にここで街を離れようものなら、完全に疑いを掛けられて二度と立ち入りが許可されなくなるだろう。ならば街の中に入れるチャンスは今しかない。
「炎の研究、か」
門、もとい門番はウィルナーの発言を繰り返した。
「そうだ。貴方が見たというその移動方法は、炎を放つ方向を制御する技術の賜物だ。大きな筒のような外部装置を必要とせず、この手と薬品のみで炎に指向性を持たせることに成功している」
「なるほど」
まったくの嘘という訳ではない。研究成果を用い、ウィルナーは部分的、一時的に炎の耐性を得ることができている。少女の血を使えば、火力はさておきジーヌと同じことが出来るのだ。理論的には。
現実的には、身体がまったく追いつかないので、完全な再現は不可能だ。たとえばジーヌ並みの高速移動をしようとすれば、肉体強度が足りずに腕だけがもげて吹っ飛んでいく。なので、竜の少女の十分の一ほどまで速度を控えなければいけない。
「言葉だけでは信用に足りぬ。証明してもらおうか」
そう語ると同時に門が土埃をあげて動き出す。ほんの僅かに動いただけでも、ゆうに人が十は通れるだけの隙間が開いた。
「入れ」
「ああ。ありがたい」
ウィルナーはその呆気なさに違和感を覚えながらも、ジーヌを連れて門を潜る。
外部と内部を遮断する分厚い門扉を抜けると、兵士たちの詰所らしき空間が広がっていた。まだ壁の中にいるらしく、街は見えてこない。ウィルナーを待っていた様子の兵士たちが、穏やかな無表情で挨拶してきた。
「初の来訪だな、旅人よ。此処は聖街スクルヴァンだ」
「知っているとも。私と彼女はこの街を目指してきた」
「先ず、この街に立ち入るに相応しいかを調べさせてもらおう」
兵士は言うと、ウィルナーとジーヌ、二人の間を断つように武器を向けた。急に支えを失い、少女が倒れそうになるも踏みとどまった。
「何を……!」
「話を聞くのは男の方だけで十分だ。君は別室で休んでいるといい」
「休む必要なんてない。オレはウィルナーと……」
そこまで言って、ジーヌは男の視線に気付いた。
研究者は目で「大丈夫だ」と語っていた。
危険はないかを調べようとしているのに、下手に暴れられても困る。実質的な護衛役であるジーヌと別れさせられるのは多少問題ではあるが、最悪、何があっても粉々に粉砕されることはないだろう。ウィルナーの身体は替えが効く、ある程度までなら自力で切り抜けられるはずだった。
「……分かった」
「では彼女に休憩室を案内しろ」
指示を受けた兵士の案内に従い、ジーヌはウィルナーと離れる。約束は果たす男だ、心配ないと言うのならば大丈夫ではあるのだろうが、それでも離れ離れになることには抵抗が拭えない。
ジーヌからは敵地にいるという意識が抜けないのだった。
人間相手なら、ジーヌは何があろうと愛しき研究者を守り通すことができる。但し、自分がウィルナーの傍にいることが前提だ。その条件が崩れた時点で、守護は絶対ではなくなる。今回は死ぬようなことはないにしても、愛しい人物が危害を加えられる様を黙って見ているようなことはしたくない。そんな思いが、極力離れたくないという意識に繋がっている。
だが、相手の警戒を解くべきだというウィルナーの考えも分かる。そもそも、門番を務める兵士たちを警戒させてしまったのはジーヌの我慢が効かなかったせいだ。自分の失敗を帳消しにしようとしてくれている相棒の努力を無下にできるはずがない。
竜の少女は、兵士の後をついて歩く。
「ここで待っていて下さい」
案内されたのは、殺風景な部屋だった。椅子と棚、ベッドだけがあるごくシンプルな部屋。何もできず、何もさせないという意思を感じさせる、まるで牢獄のような場所だった。
ジーヌが部屋に入ると、兵士によって扉が閉められる。それから、かちゃりと鍵の閉まる音がした。
「何のつもりだ?」
「確認が取れるまで部屋から出すな、ということです。ご了承を」
少女は扉を見る。入ったときは気付かなかったが、外からは鍵が掛けられるくせに内側から開くことができない構造をしていた。捕える為の部屋だと理解し、牢獄という印象がますます強まった。
「……ふん」
少女はベッドに横たわる。
出ようと思えばいつでも出られる。鍵を破壊することは容易だ。だが、そうした場合、ウィルナーが平穏に街を訪れることが不可能となる。なのでしばらくは静かにしておいてやることにする。ウィルナーの為を思えば、そこまでの苦痛ではない。
鍵を掛けた兵士は、ジーヌに抵抗の様子がないことを確認すると立ち去っていった。足音が遠ざかるのを聞いたことで扉への破壊衝動が膨れ上がるものの、寝転がったまま動かず天井を見つめ続ける。シミとか数えるといつの間にか時間が過ぎているんだっけ、とどこかで聞いた記憶を思い出しながら、ぼんやり宙を眺める。
すると、視界に一瞬だけ何かが過ぎった。
「なんだ?」
ジーヌは起き上がり、周囲を見回す。左から右へ向かって、何らかの物体が通過したように感じたのだ。右側の壁には小石がぶつかったような跡が出来ていた。まるで誰かが投げつけたかのように。
誰かが。
左を向く。
――知らない誰かが、そこにいた。
「ひぇっ、ひぇっ」
気味の悪い声で鳴くのは薄汚れた老人だった。ぼさぼさに伸びた白髪は同じく伸び切った髭と一体化しており、地面を引きずっている。服はぼろ布を身体に巻き付けただけの貧相なもので、ゴミを人間にしたらこうなるだろう、という想像通りの見た目をした男だった。
少女は老人から数歩距離を置く。
ジーヌは老人の気配を感じられなかった。いくら気を抜いていたとはいえ、敵地における竜の少女の警戒をすり抜けることが人間に叶うだろうか。ゴミ切れのような外見をしておいて、恐ろしい隠密技術である。少しでも距離はあった方が良い、と少女は判断していた。
あと、もう一つは単純な話で、見た目通りにめちゃくちゃ臭うのだ。
「なんだお前……」
「お客人をこんなところに放り込むなんて、可哀そうだと思ってのぅ」
ジーヌの質問には答えず、老人は言った。
「お客人、だと? 本当に何者だお前?」
「ひぇっ、ひひっ」
疑念を強める少女に、老人は「可愛いのぅ」と笑いかける。
「そりゃあそうさ。お前さんは客人に相違ない。角と尾、牙を持つ竜の少女よ」
「――――!」
老人は見えていないはずの少女本来の姿を言い当てる。どうして見えているのか、疑問が解消されるより早く、老人はふらふらと部屋の入り口まで移動し、扉に手を触れた。鍵が掛かっていたはずの扉は一切の引っかかりなく開いた。
「こっちじゃ。ほれ、早う来い」
手招きする老人を追って、ジーヌも部屋を出る。見張りの兵士も誰もいない。訝しむようなジーヌの視線にも、老人は、人払いは済んでいるとばかりににやつくだけだった。
「どこに向かっている?」
「はてさて。それを訊くなら、先ずは認識を正さんとなぁ」
老人はぺたぺたと少女の前を歩きながら、
「お前さんは今、どこにいる?」
「スクルヴァン……の街壁か」
「そうじゃな。ではスクルヴァンとは、どういった街か?」
「聖域、と聞いてるぜ。人々を守護する最後の砦とかなんとか」
少女の言葉を聞くや否や、老人は「お前もか!」と呵々大笑する。
「誰に聞いたかは知らんが、ここはそんな真っ当な姿をしとらんよ。聖街? 人類を守護する聖域? いやいや、冗談じゃあない。確かに人間は大勢生活しとるが、彼奴らに意志はない。連中は大いなる意思に従うだけの傀儡じゃよ」
老人は語る。
「じゃあ、スクルヴァンってのは何なんだ?」
「この街は、そうさな。一言で表すならば――『神の居る街』じゃ」
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