willner syndrome

第23話 開戦の気配

 早朝、とある丘の上。少女が日光浴をしていた。

 少女は毎朝、日が昇ると同時に目を覚まし、太陽の光を浴びに出掛ける。日々健康に健全に暴力を振るうための習慣であるが、そこはジーヌにとっての情報収集の場ともなっている。

 小鳥の囀りに耳をすませる。獣の鳴き声に意識を向ける。

 時にそれらは人間よりも多くを知り、疾く語り合うものだ。少女は竜としての特性を遺憾なく発揮して、彼らの語る言葉を理解する。


「あァ……。そうか」


 そして知る。

 薄々感じてはいたのだ。力と力がぶつかり合う寸前の異質な静寂。世界全体が静まり返り、死から逃れようと息をひそめている気配。


 遂に、竜たちの争いが始まろうとしていた。


 少女はかつて自身が帝竜メリュジーヌであった頃を思い出す。頂きに立つ者として、幾度となく下してきた竜たちを思い返す。帝竜から少女ジーヌとなってから気に掛けてもいなかった連中のいずれかが、きっと争いの場にはいる。

 思いを馳せる。

 今まで、ジーヌは積極的に竜を殺そうとはしなかった。ウィルナーが竜の討伐を指示せず、要望もしなかったからだ。元同族を殺させまいとする配慮、気遣いか、研究対象のストレス回避を意図したのかは分からないが、ともかく殺してこなかった。

 だが、戦場では、きっとそうはいかない。

 こちらを殺す気で襲いかかってくる竜を相手に、殺さず追い返すことは難しい。

 それに、勝つことさえできないような連中がいる可能性もある。はたして連中は少女に成り果てた自身のことをメリュジーヌだと認識できるだろうか。否、おそらくは不可能だ。能力を引き継いだ何者か、という程度ならまだしも、メリュジーヌとしての自意識さえ継承しているとは考え難いだろう。

 連中の目には、ウィルナーとジーヌは死を貪り喰らう意地汚いハイエナに見えるはずだ。

 許されざる殺害対象となるだろう。


「……何があろうとウィルナーは守る」


 少女は一人、決意を固くした。



 ×××



 ジーヌがテントに戻ると、人間が炎上していた。すぐに炎上している人間がウィルナーではないと気付く。燃え上がっているのは、トラウィスの街で出会った焔の男だった。


「どうしてお前がここに?」

「やあジーヌちゃん! ウィルナーさんはどこに?」

「オレの質問に答えろ」

「ああ、すまない! 質問に質問を返すとは大変失礼なことをした。許してくれ!」


 はっはっは、と笑う男。会話が進まない。この男にジーヌちゃんとか呼ばれる筋合いも親しみもない。焼こうかと思ったが既に燃えているので意味もない。ないない尽くしである。

 少女が再度用件を尋ねたところ、焔の男はウィルナーに伝えたい話があるようだった。


「サイカ様から伝言を預かっている」

「竜の争いが数日内に始まる、ってあたりか?」

「ほう! 情報が早いな、その通り! 俺が出立した時点で数日内だから、一両日中には開戦だろう!」

「偶然にしたって、とんでもねえ予測精度だな。ちょうど始まるところだ」

「ちょうど、だって?」


 焔の男はジーヌの発言の意図を問う。少女は男からの質問を無視し、ウィルナーにいつも通りの声掛けを行う。合わせて朝の散歩で入手してきた情報も簡単にまとめて伝える。計測したかのようにきっかり三十秒後、研究者はテントから現れた。


「やあ。おはよう、ジーヌ」

「遅いぞウィルナー。三十秒も待たせやがって」

「いつも通りじゃないか。……さて、争いが始まるって――」


 詳細に話を聞こうとしたウィルナーだが、少女の背後に予定外の人物を発見して一瞬フリーズした。竜の少女には次の展開が分かる。どうしてお前がここにいるのか、とウィルナーは尋ねることだろう。


「――なるほど。サイカが送って寄越したのか」

「地頭の違いでも見せつけてるつもりかよオイコラやんのかお前?」


 白衣を掴んで顔を引き寄せる。至近距離で睨みつけているだけなのだが、客観的視点を付与すると少女と接吻するために男が屈んでいる図にも見える。


「どうして朝からそんなに機嫌が悪いんだ」

「俺がいるせいかもしれないな!」


 焔の男は言って、哄笑した。


「そうだよ。お前の情報は要らなくなったからさっさと帰れ」


 しっしっと手を振って追いやろうとするジーヌ。何事もなければ少女はウィルナーと二人きりでいたいのだ。他の人間とかぼたんは大抵の場合、邪魔な存在でしかない。

 しかし、焔の男は「そういうわけにはいかない」と首を横に振った。


「情報を持ってくるだけなら手紙でもいいはずだろう! 以前はそうしていたと聞いている。だが、今回は俺が来た。つまり、どういうことだと思う?」

「肉の盾」

「正解!」


 少女を指差しながら、焔の男は叫んだ。冗談のつもりだったジーヌは、まさかの正解に「マジで!?」と驚愕している。


「サイカ様は、ウィルナーさんが好機を逃すはずがないと予測していた。そのために多少ではない無茶をするだろうと。故に、俺が! この命をもってウィルナーさんを守り通す盾となる! それがサイカ様のお言葉だ!」

「えぇ……」


 ジーヌは、嫌悪と喜びが混ぜこぜになった微妙な表情を浮かべる。同行者が増えることに対する嫌悪感、盾が増えることに対する喜び、どちらを優先させるべきか迷っている。

 最終的に笑顔に着地した。ウィルナーの命は何よりも優先事項だ。


「そうか。君も来てくれるのか。心強いよ」

「任せておけ!」

「……我慢、我慢だ。今だけは耐えろよジーヌ……」


 少女は嫉妬の炎を叩きつけそうな自分に、何度も小声で言い聞かせていた。

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