第18話 雨音の効能
雨が降っている。
激しかったり、止まったり。不規則に布を打ち据え、音を奏でる。
「今日も雨か……」
ジーヌはテントの中で寝転がっていた。憂鬱そうな声と顔、機嫌が悪いというよりは元気がないというべきか。日の出とともに散歩に出掛ける習慣はどこへ行ったのか、倒れた格好のまま動かない。
今日も、という言葉が示す通り、ここ一週間ほど降雨が続いていた。
すっかり活動意欲をなくした少女は毎日テントに籠っている。
「やる気起きねえ」
「竜は雨に弱いという記述はどこにもなかったが」
一方でウィルナーは屋外で雨除け代わりの布を張り、いつも通りの研究を継続している。布はテントと同様に撥水加工を施してあるため、研究道具が雨に濡れることはない。濡れても致命的な問題とはならないが、避けるに越したことはない。
「メリュジーヌは炎を扱う分、特別に影響を受けるのか?」
「竜の頃は影響なかったな。この姿になってからだ」
「ふむ……」
研究者は手を止めて、腕を組む。
「人間は雨、というより低気圧の影響を多少なり受けるものだ」
気圧の低さが原因となって、頭痛、関節痛、神経痛といった症状は現れる。
減圧により生じた体内物質が平滑筋の収縮、血流の悪化など複数の状況を発生させ、複合的な症状を引き起こすのだ。単に平時との差が無意識的なストレスを感じさせ、身体の不調を生じさせる場合もある。
竜も生命体である以上、根本的な仕組み自体は近しい。竜だけがまったく気圧変化による影響を受けなかったとは考え難い。
「竜の頃は微々たるダメージだったそれらが、人間の形を取ったことでようやく感じられるようになったのかもしれないね」
「人間、弱えな……」
「ワカル」
一緒にテントで転がっているぼたんが同意した。
「そもそも、なんでこんなに雨が続くんだ?」
ジーヌの疑問は妥当なものだ。
一週間も続く雨――完全に異常気象である。
帝竜メリュジーヌとの戦いで世界は焼け落ちた。炎に巻かれ、世界の多くは焦土と化した。それに伴い、雨という現象がほとんど観測できなくなっているのだ。世界中のどんな場所でも気候状態は同一。空気は乾き、湿度は僅か。森として生き残っている場所ならば多少降ることもあるが、それでも一週間降り続くなんてことは本来ならばありえない。
「理由なら分かる」
だが。
例外的な異常事態なればこそ、必ず原因がある。
「あん? 説明できんのか?」
「私が使ったシーディング物質の影響だ」
「お前のせいかよ!」
今回で言えば、ウィルナーが原因である。
人工的に雨を降らせるには、雨雲ならぬ雲の内部に雪片を作り出す、すなわち強制的に冷却してやる必要がある。
ジーヌの血には発火作用がある。発火、すなわち燃焼という現象はエネルギーを放出する。放出されたエネルギーは温度上昇という形で用いられる。だがウィルナーの作った物質は、常に自身の温度を一定にするよう働く。内部から物質が温められようとすれば、外部にて物質が冷やされるよう機能する。
つまり、人工降雨を行うべくウィルナーの散布した物質は、耐火素材コーティングされた核内部で燃えながら外部を冷やし続ける結果をもたらす。
クラウドシーディング。燃え尽きるまで冷え続け、雲がなくなるまで雨を降らし続ける。
「予定だと早々に水蒸気がなくなると思ったんだがね。いやはや」
「いやはやじゃねえよ……」
ツッコミにも力がない。ジーヌは相当に怠そうだ。
深窓の令嬢は病弱で気圧変化に弱いのが世の常だが、ジーヌはどう間違っても令嬢という雰囲気ではないし病弱でもない。肉体面が問題なくともここまで弱っているということは、精神面の負荷がかなり大きいようだ。多少のストレスだと暴力性が増すくせに、過剰なストレスだと暴力性が影をひそめるらしかった。
「仕方ないな」
ウィルナーは研究道具を片付け、テントに戻る。ジーヌの隣に座ると、彼女の頭を抱えて股に乗せた。
「な、な、何のつもりだよ……」
「目を閉じて」
顔の前に手をかざし、少女の目を隠した。抗う気力も必要もなかったので、とりあえずジーヌは言われた通りに目を閉じる。
「ジーヌ。君には悪いけれど、私は雨が嫌いじゃない。目を閉じて雨音を聞いていると、心が癒される気がするんだ」
「たまには君も聞いてみるといい」とウィルナーは言って、自分も目を閉じた。
会話はない。
聞こえてくるのは、雨がテントを打つ音と、それぞれの呼吸音。
ざあざあと、ぽたぽたと。激しかったり止まったり、合間を置いてまた土砂降り。規則性はなく、無秩序に音を奏でている。
それだけが聞こえる。他には何も聞こえない。
「どうだ?」
「…………。まァ……悪くない」
研究者は少女の頭を撫でる。
ウィルナーの手に愛しさを感じながら、少女は雨音を聞いている。
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