第13話 善意の災禍

 トラウィスの長、サイカから指示された通路を二人が歩いていくと、その先には浴場があった。丁寧なことに混浴と書いてある。三年前とは屋敷の構造が異なっているようだ。


「方向間違えたのか?」

「いや、どうだろう……」


 ジーヌの疑問に曖昧な返事を返す。間違えたと言われれば納得はいくが、浴場に向かわせたかった可能性を否定できない。ウィルナーはサイカの意図を完全に汲めるほど、彼女のことを理解していない。

 さてどうするべきか、と浴場の前で立ち止まっていると、虫の羽音のように耳障りな音が聞こえてきた。「うわっキツ……」とジーヌがしかめっ面で耳を塞ぐ。ウィルナーよりも聴覚が優れている分、不快さをより強く感じるようだ。

 周囲を見回してみても音の発生箇所を確認できない。何かが音を立てているというよりも、通路全体が微細に振動して音を奏でているかのよう。


「テスト中、テスト中~。聞こえてるかなぁ~?」


 ノイズがだんだんと形を成し、サイカの声と分かる音へと変化した。明瞭な声と呼ぶには程遠い雑音だが、何を言っているかはかろうじて把握できる。


「サイカ! またお前か!」

「そりゃあ~こんなことする人、他にいないでしょ~」

「仮にいても、すぐさま君に殺されるだろう」

「はっはっは~」


 サイカは肯定も否定もしなかった。


「凄いでしょ~これ。壁面を通してトラウィス中の何処でも音声連絡が取れるのよぉ」

「ああ、凄いな」


 ウィルナーは素直に称賛の言葉を伝える。

 しかし同時に、住人からしてみれば恐怖でしかないとも思う。声を伝えられるということは、音を聞くこともできるということだ。しかも、一方的に。すべてが筒抜けになっているという状況は、住人の精神衛生上悪い効果しか与えないだろう。


「……住人には伝えていないわ~。声を届けるのは初めてだもの」


「テスト中って言ったじゃない」とサイカの笑い声。口にしたわけでもない思考に言葉を返されるのは、ウィルナーの考え方が素直すぎるのか、サイカの読みが的確なのか。あるいはその両方かもしれない。


「さぁて、遅くなったけど二人にお願いしたいことの説明始めるわねぇ。まず、目の前の浴場で身体を綺麗にしてきてほしいのよぉ~」

「何故だ?」

「砂まみれでしょう~」


 否定しようのない事実を突きつけられる。


「砂まみれであることに何か問題が?」

「あるわよぉ。今回貴方たち……というよりジーヌちゃんを呼んだ理由は、わたしが開発した薬を試してもらいたかったからなのだけれど。万が一にも異物の混入があっては困るから、きっちり身体洗ってあげてほしいのよね~。ウィルナーが、しっかりと」

「オレ一人が不安だとでも!?」


 想像以上に幼女扱いを受けていると知り、ジーヌが愕然とした声をあげた。


「念のためよぉ、念のため。じゃ、よろしくねぇ~」


 ノイズ混じりの音声が止むと、ジーヌがようやく耳から手を離した。

 直後、消えたはずの雑音が再開した。


「やは~。もう一つだけ~」

「いい加減にしろ!」

「ごめんなさい~。だって伝え忘れちゃったんだもの」


 ジーヌは再び耳を押さえる。謝罪もそこそこに、サイカは話し始めた。


「猪ちゃん……ぼたんちゃんだっけ? にはご退場頂きましょう~。その子は今回のわたしの目的には含まれていないわ。今、迎えの人をやったから、ぼたんちゃんは浴場の外でその人と合流して」

「ム……」


 ぼたんは白衣のポケットから顔を出す。自分だけ仲間外れにされるのが不本意らしく、文句のありそうな顔をしている。「すぐ戻るさ」と猪の頭を撫でてから、ウィルナーはぼたんを床に下ろした。

 浴場の扉を開ける。

 脱衣場に入ると、自動的に扉の鍵が掛かった。ぼたんを外に残したことを少し気にしながらも、ウィルナーは白衣を脱ぎ始めた。ジーヌも同様に、ぼろ布を組み合わせた一張羅を脱ぐ。


「しかし……」


 ウィルナーは少女に尋ねる。


「今日はやたらと素直だな。どうした、ジーヌ」

「そうか? こんなもんだろ」


 ジーヌが答える。何らおかしなところは無い、といったふうだ。

 ウィルナーの疑念は正しい。普段のジーヌならば、向こうに行け、身体を洗えというサイカの指示に逐一反論し、文句をつけ、抵抗するはずだった。どうしてお前はすぐ服を脱ぐんだとウィルナーにキレていたかもしれない。普段通りであれば、ここまで素直であることはあり得ない。

 つまり、簡単な話だ。

 


 サイカはウィルナーたちに二つの嘘を吐いている。

 まず、壁面音声連絡についての嘘。

 壁面を通して取得できるのは音声だけではない。振動波の反射を利用して、映像を取得することさえ可能である。要するにサイカは、ウィルナーとジーヌの脱衣場および浴場の様子を観察することができる。

 次に、身体を綺麗にしてほしい理由についての嘘。

 異物の混入を防ぐため、というのはもちろん適当なでっち上げである。薬なら既にジーヌに投与済みだ。サイカは先ほどジーヌを抱擁した。身長差が影響して、ちょうどジーヌの顔面がぶつかることとなった腹部に香水と混ぜて塗っておいたのだ。この薬は皮膚からの吸収は行われないが、呼気から血流に乗るとあっという間に全身に回るように出来ている。

 その薬とは、恋愛感情を高める薬である。超強力なやつ。


「ふっふっふ……」


 サイカは椅子に腰かけ、悪い顔を浮かべている。精神を操作するレベルの薬効成分はこれまで実用化されていなかったが、ようやく開発にこぎ着けた。予定通りの効果が現れれば、ジーヌはウィルナーの裸体に我慢ならなくなるだろう。それで二人がくっつけば願ったり叶ったりだ。

 サイカという人間は凶悪で厄介な女である。

 ジーヌがウィルナーのことを好いていると気付いていて、ウィルナーはジーヌを研究対象としてしか見ていないことも理解していて、それでも少女の恋心を応援してやりたいがあまり媚薬投与からの経過観察までしてしまう、凶悪に過ぎるお節介女なのである。


「これであの鈍感男も気付くでしょ~。ジーヌちゃんの魅力! に!」


 薬を投与した分際で、サイカは「結ばれればいいわねぇ~」と楽しそうにぼやいている。まさに災いの女たる所業であった。


「はてさて、どうなるかしら~」


 サイカは映像を部屋の壁に出力する。場面は脱衣場から浴場に移るところだった。

 入浴が始まる。

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