第80話 迷いの森

「怖いよ〜、怖いよ〜!!」


「先輩くっつき過ぎですって!」


 ミシッ!


「「ぴゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」」


 先輩が木の枝を踏んだ音だった。


「あ、あうぅぅ」


 先輩がぺたりと力なく地面にへたり込む。よほど怖かったらしい。

 まあ私も人の事は言えないけど。


「先輩……あんまり余計な事をしないで」


「何その目!? ごめんね、わざとじゃないから許して」


 ジト目で先輩を睨む。


 心臓が飛び出したのかと思うくらい怖かった。ここに来る前に、お花を摘んできといて本当に良かったと思う。


「お前ら本当に騒がしいな」


 前を歩いていたジークが尊大な態度で私たちに振り返る。


「だって怖いもんは、怖いもん!」


 先輩の言う通りだ。ここは魔の森、別名迷いの森とも言われている。

 帝国南部を覆い尽くすかのように生い茂っているこの森は、一度入れば二度と出て来れない森と呼ばれ現地住民には恐れられてきた。


 かつて、他国の冒険者がその噂の真偽を確かめようと50人という大所帯で魔の森に乗り込んだものの、誰一人として帰って来る者はいなかった。


 現地住民の間では、やれ魔物に喰われただの、魔の森に魅了されて帰れなくなったの、森の奥に潜む魔女に実験体として捕まっただの様々な憶測が飛び交っていた。


 全てここに来る前に聞いた内容だ。


 それが事実かどうかは分からないが。


 今まで帰ってきた者がいないのは確からしい。


「ジークは怖くないんですか?」


「俺が怖い? なわけあるかよ、俺にはこれがあるからな」


 ジークは掌サイズの懐中時計のような物を見せてきた。


「これはなんですか?」


「これはコンパスって言ってな、磁石を用いて正しい方角を知る事が出来るんだ」


 懐中時計のようなものは、東洋で最近開発された羅針盤という方位を知る道具らしい。


「この赤い矢印が北を指す。これさえ有れば絶対迷わない」


 ジークから羅針盤を渡され、その使い方を学ぶ。


「僕にも触らせて」


 先輩が私に手を伸ばしてきた。私はサッと高く上げ、先輩に取れなくする。


 ぴょんぴょん跳ねるが、背の高さ的に絶対届かない。


「ねえ、僕にだけいじわるしないでよー!」


「お前はダメだ」


「先輩は絶対に触らないで下さい」


「なんでさ!?」


 ポカポカと抗議してくるが、私もジークと同意見だった。


「だって先輩が持ったら無くすでしょ」


「………………」


 押し黙る先輩。図星かよ。


 これは渡したら最後、確実に無くすな。


「ほら、行くぞ」


 再び歩み始めたジークについていく。先輩には悪いけどこれだけは譲れない。


(こんな所で道に迷って死にたくないしね)


 随分と奥へ来たようで、蔦や草が随分と生い茂り見通しが悪くなっていた。


「足元気を付けろよ」


「はい」


「へぶっ!!」


 ジークが言ったそばから、先輩が草に隠れて見えなかった木の根っこに、足を引っ掛け転倒した。


「ほら、手を掴んで下さい」


「うん、ありがと――ッ!?」


 先輩が座り込んだまま、わなわなと震えていた。一体どうしたと言うのだろう。


「エト……あれ見て」


「どれですか――ッ?!」


 何気なく先輩の指差す方を見て絶句した。そこには根っこにもたれかかった白骨死体が転がっていたからだ。


「「ひっ!!」」


 私と先輩は思わず抱き合ってしまった。動けなくなった私たちの元に、先頭を歩いていたジークが様子を見に戻ってきてくれた。


 良かった置いてけぼりにされなくて。


「どうした? なんかあったか――お!」


 ジークも思わず声を上げてしまう。白骨死体の頭には赤い花が咲き、身体を蔦のようなもので縛りつけられもはや木と一体化していた。


「酷ぇな」


「これが森から出られなくなった人の末路」


「僕、もう帰る!!」


「あ! 先輩ちょっと待って!」


 先輩がわーんと言いながら走り出してしまった。私もすぐさま後を追うが、本気で森から出るつもりなのか来た道を全速力で駆け抜けていた。


「おい、待てお前ら、俺から勝手に離れるな!」


「すみません。先輩捕まえたら戻ってきますので」


 ここでジークと離れるのは確かに不味い。でもここで先輩を見失うわけにはいかない。


 ジークも私たちの後を追おうとしたが、どうやら蔦が足に絡まってしまったらしい。


「くそ、こんな時に!」


「ジークはそこにいて下さい、必ず戻ってきますから」


 早口でそれだけ伝えると私はスピードを上げ、先輩を追った。




 10分ほど全力で森を走った所でようやく先輩に追いついた。


「アルマ待ちなって!」


「ひいゃあ!」


 ガバッとアルマに覆いかぶさって動きを止める。アルマは目を丸くして「エト? エトでよかった」と涙ぐみ始めた。


「そんなに怖いならなんでついてきたの?」


 ここに来る前から思っていた疑問が口に出た。

 カトレアさんに会いに行くだけなのに、一番関係がない先輩が来る必要はない。


 それにアルマは面倒くさがりやだし。


「だって……エトと離れたくなかったから」


「――ッ!!」


 それを言われたら何も言い返せない。


「ねえ、ところでここどこ? 元来た道を戻ってきた筈なのに全然景色が違う」


 辺りはさっきいた場所よりも木々が生い茂り、太陽の光が遮られ、夜中のように暗く、じめじめしていた。


「エト、もしかしてだけど僕たち迷子?」


「…………どうやら迷子のようです」


 沈黙が私たちの間に流れる。


 これならジークと離れるべきじゃなかったと今更ながらに後悔する。


「とりあえず歩きましょうか」


「そ、そうだね」


 私たちは、なんの当てもなく森を歩き始めた。

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