日常の②-14『逃走』
「あーん、社長~。イエヤス、痛恨のミスを今しました~」
コントローラーを置いて、イエヤスが胸を揺らしながらこちらへ近寄ってくる。俺の隣にいる武田社長に向かって走り寄った。
「……………………」
考え事でもしているのか、先ほど俺たちの部屋を訪れた時とはうってかわって、武田社長は反応もなく俯いている。
「……社長?」
俯いた武田社長の顔をイエヤスが覗き込むと、ようやく彼は慌てて顔をあげた。
「……あ、うんうん。見てたからね、ね?き、気にしない、気にしない。ね、ね?」
優しそうな笑顔で彼は微笑む。
「はーい。二人とも、ゴメンね?」
イエヤスが振り返って、大きな液晶画面の前でコントローラーを置いたところのノブナガとミツヒデに頭を下げる。三人の視線が瞬間で交錯し、すぐに逸らされた。
「……イエヤス、悪ぃ。俺も言い過ぎたわ」
「ヤっちゃん、大丈夫だからね?」
ノブナガは金髪を掻きながら、ミツヒデは柔和な表情で応じる。
「う、うん。ホントに、ごめんなさい。……あ、ノブちゃん、ミっちゃん。それでは、こちらの方々をご覧くださーいっ!」
「おう。ずっと気になってたぜ、俺は」
「あ、なんか人が多い。ゲームに夢中で気が付かなかった」
戦国時代の目がこちらに向く。アヲちゃんだけ、恥ずかしそうに視線を落とした。
「ブルーさんの友達のぉ、ユーリ君と花束さん」
イエヤスが俺の隣で大げさに手をあげながら俺たちを紹介する。
「どうも。由利本荘です」
「天童花束と申します」
俺も花束さんも普通に名前を言っただけなのだが、花束さんが自分の名前を口から発した瞬間に、部屋中に彼女の美しさのきらめきが一瞬で広がっていったような錯覚を覚えた。
そんな錯覚の中で最初に口を開いたのはノブナガだった。金の短髪が揺れ、興味深げな視線が花束さんに向かう。
興味深げ、とオブラートに包んで言ったが、少々下品な色を帯びていることを、ここに追記しておく。
「うわ、めっちゃキレイな人だな!花束さん、彼氏いんの?」
不躾な質問だ。動画でいつも見ているキャラクターそのままという感じ。
まあ、俺は彼の動画もたまに見るし、特に何も思うこともない。ムッとしたり、機嫌を損ねるようなことは、なにも起きていないはずだと、そう、自分に言い聞かせている俺はいったい……?
「はい、ユーリ君です」
そりゃあそうだ。なにせ相手は日本を代表する配信者。お金だって俺より稼いでいるだろうし、俺なんかよりずっと良い服を着て、こんな高級マンションに住んで、顔だって女性ウケしそうな整った顔で……、
…………って。……え?花束さん?なんで俺の腕を両手でつかんでいるの?
「あ、え……、いやいや、つ、付き合ってないって……」
承前だっていうのに、花束さんの返答と行動を予想していなかった自分の愚かさを恨む。
動揺を隠すこともできず、俺は焦ってしどろもどろになって、否定してしまう。思わず腕を振りほどいてしまった。
そんな俺の動揺を横目に見て、金髪は勢いよく右手を出して追撃を仕掛ける。
「じゃあ俺と、付き合って下さいっ!」
「ごめんなさい。私、好きなユーリ君がいるんです」
再度、腕を両手で触られる感覚。いや、先ほどよりも面積が格段に広がっている。花束さん、俺の腕になにを押し付けておられるというのか。
「は、花束さん、そこは、好きな人、だろ。……俺限定ってどういうことだよ」
空いた手で、俺は頭を掻く。汗が噴き出している。に、ニオイとか、大丈夫だろうか。
「そうね。……気持ちの表れ、かしら?」
俺の目は明後日に向いているけれど、感覚でわかる。花束さんの双眸が、俺の顔を捉えていつまでも離さない。
「きゃはははは!ノブナガ撃沈っ!カメラ回しておけばよかった」
茶化すようなイエヤスの笑い声。その嘲笑に、ノブナガが拳を握りしめてイエヤスを指さす。
「う、うるせえっ!まだ付き合ってねえんなら、まだ可能性はゼロじゃねえだろうがっ!」
「ごめんなさい。ゼロです」
「と、とびきりの笑顔ですね。ノブナガさん、これは可能性かなり低いですよ?」
座ったままのミツヒデが、細くて白い首を少し傾けて言った。
その時だった。影が俺の前をゆっくりと通り過ぎる。
「……ご、ごめん、なさい。わ、私……、部屋に……、も、戻ります」
アヲちゃんだった。口をおさえながら、誰とも視線を合わせようとせず、ふらふらとリビングのドアへと向かっていく。
「えーっ!?ブルーさん、これからマネージャーがオードブルとか持ってくるよ!?」
イエヤスがアヲちゃんを呼び止める。振り返りもせずにアヲちゃんは、
「ご、ごめん。人が……、多くて……、私……、ごめんっ!」
そう言い残して、ガチャリとドアを閉めてしまった。
残された戦国時代たちは、互いの顔を確認するように見つめ合っている。沈黙を破ったのは、イエヤスだった。
「しょうがないか。アヲちゃん、イエヤスさんとずっと動画撮ってたし、疲れてたのかな。……ねえ、花束さん?」
俺はというと、花束さんと見つめ合っていた。
一瞬だけだけど、俺は感じたのだ。
花束さんが怒った時に発するような、威圧感を。
アヲちゃんの背後から。
花束さんはどういうつもりで俺を見つめているのか分からないが、俺は彼女に、今のって魔力じゃないの?という疑問を視線に込めた。
名残惜しそうに花束さんが視線を逸らす。黒くて細い靴下が音を立てて弾んだ。
「ユーリ君、追いましょう」
走り出した花束さんを、俺は返事もせずに追いかけることに決めたのだけれど、その前に俺は彼女に手を握られてしまっていたのだった。
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