日常の②-10『爆発する?』

 徳川に案内された部屋は、先ほどの部屋とほとんど同じ間取りで、配信者じゃなかったらどんな人がここに住むのか、答えは出なかったけど考えずにはいられなかった。リビングから入る寝室も十二畳くらいあり、大きなキングサイズのベッドが配置されている。


 だが、そんな場合ではない。


 部屋に荷物を置いて、俺は玄関から外に出る。外は曇り空。最上階からはビルディングの隙間から、T都の大都会が望まれる。外から見ても驚いたが、企業のビルと同じくらいこのマンションは高いようだ。


 小奇麗な廊下を進み、隣の部屋の玄関の前に立つ。


 忘れそうになっていたが、彼女は異世界最強の生物なのだ。


 ガチャリと静かに、インターホンを押す直前で黒いドアが開かれた。気圧差からか、肌寒い風が室内から吹かれる。多分、彼女は俺の気配か何かを気取っていたのだろう。


「…………なに」


 努めて感情を込めていない、疑問符も付かない冷たい二文字。

 低血圧でも発症したのか。あんなに綺麗な大きな瞳の目つきは鋭く、俺の双眸を刺すように睨んでいる。


「いや、ちょっと悪かったかな……、って」


 頭を掻きながら、俺は彼女に告げる。我ながらすまなそうにするのは得意である。


「……ちょっと?」


 そこ?


「いや、言葉端を捕まないでくれ。……謝りに来たんだ」


「いらないわ。どうせ、私とユーリ君は交際しているわけではないのだし、私が勝手に怒っただけだもの」


ため息。不機嫌を隠さない態度に、こちらの心が折れそうになる。


「なんで、怒ったのさ?」


 髪留めを外したキレイな神々しささえ感じる長い髪を、彼女はかき上げた。二回目のため息。鋭い視線が、俺を射殺す。いや、例えだよ?


「質問を質問で返して悪いんだけれど、なんで私が怒ったか分からないのに、謝りに来たの?……ああ、もう。こんな面倒くさい女の子みたいなこと、言わせないでくれないかしら?また機嫌が悪くなりそう」


「なんだろう。無視したこと……とか?」


「それもね。……うん。ちょっと面白いわね。他には?」


 何が面白いのか、俺には分からなかった。しかし回答権が保証されていて、お手付きがないというのなら、答えが出るまで付き合ってみることにした。


「あの……、メイクをしたキレイなアヲちゃんに、見惚れたこと、とか?」


「それよ、それ」


 正解だったようだ。


「分かっているのよ?彼女でもないのだから、ユーリ君が誰か他の女の子に見惚れたり、もし付き合っていたとしても、あんな礼儀知らずな態度で、ユーリ君の行動を束縛するようなことをして、良い結果に繋がるとは思ってない。でもね、私のこの気持ちが重すぎるとか、本当は思ってほしくないのだけれど、他の男がそんなことしたって私は一切、気にも留めないの。ユーリ君が、私以外の女の子に少しでも好意を持ったりするから、嫉妬するのよ?」


「いや、重いな……」


 思わずそんな火に油を注ぎかねないようなことを言ってしまう。でも、正直にそう思っちゃったんだから仕方がない。


 花束さんは怒らなかった。逆に、悲しげに微笑んで、


「そう。重いでしょ?言いたくないのよ、私も。でも抑えられないわけ。どうかしてるとしか思えないの。これが、恋っていうのかしら?」


 そんなことを聞いてくる。


「……………………」


 沈黙。


 俺が感じたのは、申し訳なさ。こんなに俺を求めてくれる彼女の気持ちに、俺は何らかの答えを提供することが未だにできていない。


「……入って」


「……おじゃまします」


「あなた、食事にする?それとも先に、お風呂にする?」


 貼り付けたような笑顔で、ベタな冗談を花束さんは繰り出した。


「じゃあ、……一緒にお風呂に入ろうか?」


 こんな重い空気だからこそ、俺はしっかりとノらずにはいられない。


「あら、いいわね。そうしましょ?」


「冗談です。ごめんなさい」


 冗談がキツい龍神様である。彼女の場合、冗談じゃないから困るのだけれど。


 頭を下げて謝罪し、顔を上げると、花束さんは口を尖らせてこちらに振り返っていた。


「あのね?……私は必要なら、ユーリ君を全肯定するって心に決めてるの。貴方は、竜神としても、人間としても、私に欠けている唯一の部分を、補ってくれる。ユーリ君は、私がどんなに努力しても……、いや、違うか。私がどんなに怠惰をしても、得られないものを持ってる。たどり着けない境地に至っているのよ」


 彼女の言葉を頭で噛み砕く。何度も思考を巡らせて、やっぱりバカにされているように感じたのは間違いではないだろう。


「花束さんが一般人とはかけ離れてて、俺がどこまでも凡人だってことを、そんなに長々と説明されても、劣等感が深まるだけなんだけど?」


「ユーリ君は、ユーリ君の魅力に気が付いていないだけよ。貴方はどこの誰と結婚しても、絶対に素敵な旦那様になる。その誰よりも隣に、私がいたいと思う気持ちって、間違っているのかしら?」


 食い気味の花束さんの言葉に、俺は動揺した。


「け、結婚て。……今日の会話、ずっと重くない?あのさ。そもそも花束さんは、俺が感じているコンプレックスなんか、理解できないんだろう?」


 そうだ。俺は彼女の気持ちには応えられない。


 凡人である俺を好きと言ってくれるのは嬉しい。

 でも、俺は凡人である自分がイヤなのだ。普通であることなんか、一番先に剥がしてしまいたい自分のレッテル。この世の全てを持っていると言っても過言ではない絶世の美人に肯定されても、その気持ちは今も変わらない。


「理解する必要がどこにあるの?人間というのは、想像力を働かせられるのではなくて?理解は出来なくても、私は貴方の行動から、想像力を働かせることができる。普通の人がどう判断して、どう動くのか、貴方を見て想像することができる。それって私にとっては、とっても素敵で、とっても新鮮なことなのよ?だから一目惚れしたんじゃない」


 花束さんの俺に向けてくれる言葉にはいつも、嘘や偽りがない。そういった無駄なものを削ぎ落した鋭利さに似た真心を、彼女と話しているといつも感じずにはいられない。


 だからこそだろうか。俺は顔が熱くなるのを感じた。


「……あ、ごめん。なんか……、照れる」


「自分の気持ちに、どうして素直になれないの?私が隣にいる時に感じるコンプレックスを、ユーリ君が怖れているのは知ってる。自分が矮小に思えて、いつかどちらかが離れてしまうだろうって予感してることも。でも、そんなことのために、私を拒絶しないでよ。……辛いわ」


 うつむいて顔を背ける彼女は、今まで見た中で飛び切りに美しくて、俺の男としての本能を刺激するに余りあった。


「……………………」


「ごめんなさい。言い過ぎたわね。いけないいけない。感情の……、ユーリ君への思いが暴走するのを管理できないなんてね」


 目尻をぬぐう花束さん。

 俺はそんな彼女の姿に、頭をかいた。


「こっちも、ごめん」


「謝らないでちょうだい。……辛いだけだから」


 謝ったけれど俺の答えは、いや、俺の答えが出ないという答えは、変わらない。

 でも、


「いつか……」


「え?」


「……いつか、自分を少しでも好きになれたらきっと、君に好きだって伝えるよ」


「……………………」


「……な、何か言ってくれ」


 凡人は恥ずかしさのあまり死んでしまいそうだ。


 花束さんが口を指で隠した。顔を赤める俺を、彼女は優しく見つめる。


「ふふっ。……だから、好きなの」


「やっぱり理解できないな。こんな俺の、どこがいいんだか」


 俺に背を向けて、彼女はリビングに向かって廊下を歩きだした。


「待つわ。貴方がおじいさんになっても、誰か他の女に取られちゃったとしても。……今の答えには、その価値が十分にあるもの」


「あれ?機嫌なおった?」


 蛇足な質問に、彼女は歩きながら人差し指をたてる。


「まあ、ユーリ君が他の女に目移りしたら、対象を魔法で消滅させない保証はないのだけれど」


 その背に向かって俺は、


「あー、そ、そうなんだ……」


 自分を無理やり納得させるかのように呟いた。

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