日常の26『風雲急告』

 恐怖。

 それしかなかった。


 俺たちの目の前には、ミハルが言うには、日本列島が軽く三回は吹き飛んでしまうほどの魔法が渦巻いている。

 まるでテレビで見た太陽のような数メートルほどの球体からは、それこそプロミネンスのような炎の火柱が噴き出しては戻り、を繰り返している。


 その球体に片手を伸ばしているのは、遠野善喜。憤怒の表情でこちらを睨む。


 彼の豪邸の一室。花束さんの部屋は、その魔法によって壁紙が焦げ付き始め、球体の下にある赤い絨毯は炎を上げ、花束さんのベッドは球体の中で跡形もなく燃え尽きた。つまり、見るも無残な様相。


「…許さぬ。絶対に……。わしの、大切な……。許せぬ……。許せぬ……。わしの主を……」


 老人のもう片方の手に抱えられているのは、もうすでに冷たくなり始めているであろう、花束さんの身体。

 その胸、心臓の辺りには小さく穴が開いている。


 彼女が望む結果がコレだったのだが、話しても善喜おじいさんには理解してもらえそうにない。

 ていうか、すでに話もできないくらい、理性すら吹き飛ばして魔力を練っているように見える。


 そんな絶体絶命の最中、忍び寄る走馬灯を感じながら、俺は先刻のことを思い出す。

 てか、最近そんなのばっかだな、俺。





「………以上が、私とライガ、そしてあの竜神が導き出した答えです。それをふまえて、勇者様には決断していただきたいのです」


 六畳一間のちゃぶ台を中心として、俺と同居人二人が顔を合わせている。今回の事件の真相、とミハルには言われたのだが、俺にとっては突拍子もなくて、俄かに信じ難い。


「……と、言いますと?」


 畢竟、そんな言葉が出てくる。

 ミハルは真剣な表情で、俺から目を離さない。冗談にしてもらえたら、どんなに楽か。


 まあ、その言葉は、さっきレストランで消えた彼女にも当てはまるのだけれど。


「このままでは、彼女はもうすぐ捕まってしまうでしょう。こちらの警察機構の能力は優れていると聞き及んでいます。勇者様がそれをお望みなら、私たちはもう何もしません。しかし、あの忌々しい竜神は……、口にするのも嫌ですが、………愛する、勇者様のことを十二分に理解しています」


「ああ、ちょうど花束さんのことを考えてました。さっき、好きだって急に言われて、目の前から魔法みたいに消えられましたよ。全速力で走って家に行ったら善喜さんに、誰とも会いたくないそうじゃ、って門前払いされました」


 その言葉に、ミハルは顎に指をあてて視線を落とす。


「うーん、万に一つではありますが、勇者様が竜神の願いとは異なる選択をすることも、あるかもしれませんから。彼女にとっては、お別れの言葉でもあり、遺言でもあったのでしょう。勇者様の選択によっては、もう二度と勇者様は、竜神には会えませんからね」


 いや、どう理解しろというのか。

 俺のこの、行き場のない気持ちは?

 犯人を知っていたとして、そこから、結果がどうなるか分からないというのに、どうして命まで投げだせる?

 どうして、好意を寄せているというただ一点で、俺の行動をそこまで信用できるというのか?


「あの……、異世界の人って、そういう相手の理解を無視した行動をよく取るもんなんですか?」


 全員が全員、俺の与り知らぬところで、底の知れない超常の力を存分に発揮して、俺を巻き込む。


 花束さんはミハルに、ミハルしか使えない魔法を使用させるために、ミハルに殺される、という。


 長い話を黙って聞いていたが、未だに全てを理解できていない気がする。

 こうも聞きたくなるというものだ。


「それは誤解です。ただ、私たちはこちらの世界の方々が持たない能力がありますし、竜神は凡人には到底及ばぬ英知を有しています。……あっ」


 自身の言葉の中で、誰と誰を対比させているのか気が付いて、ミハルは口ごもった。


「ええっと……、何と言いますか………」


 もう、俺を表現するそんな言葉には、慣れつつある。


「俺の考えが到底及ばぬところで、物語は進んでいるわけですね。……いいんです。俺が凡人であることは、俺が誰よりも一番よく理解していますから」


 だいたい、普通の人間で何が悪いんだ。異世界人が来なければ、俺は一生この劣等感には気が付くことはなかったかもしれない。

 だけど、だ。


 だけど、そんなコンプレックスなんか、大多数の人間が抱いているはずなんだ。


 そんな大多数を代表して、俺はこの異世界人たちの異常さに対して、異議を唱えていきたい。

 そう、これからも。


「申し訳ありません。そんなつもりでは………」


 ひとつ、咳が聞こえた。


 鼻筋の通ったイケメンは、今日もしゅっとした顎のラインに清々しささえ覚えるほど。

 その顔、ちょっと分けてもらえないだろうか。


「ミハル様、そろそろ勇者様に肝心なところをお尋ねになっては?」


 しゅん、としてしまったミハルをフォローするかのように、会話にライガが割って入った。

 一度ライガに向かったミハルの視線が、俺へと戻る。


「そうですね。……勇者様。選択肢のひとつは、竜神を私が殺めた後、異世界へ三人で向かう、というものですが………」


 言葉の途中で、俺は首を横に振った。

 その選択肢は考え付いた。

 そもそもミハルとライガは、俺を異世界に連れて行って、そこで魔王を倒してもらうために、こちらの世界に来たのだ。花束さんを殺して加護を取り戻せば、その目的を果たすことができる。


 しかし、二人には申し訳ないが、俺はこの事件をこのままにしてはおけない。あの子を見捨てて、異世界に行くことは、できない。


 花束さんの気持ちを、無下にはできない。


「分かりました。やっぱり勇者様は、勇者様なのですね」


 俺の申し訳ないと思う気持ちも他所に、ミハルの表情はさっきより明るくなっている気がする。どこか、ほっとしたような目をして、彼女は続ける。


「しかし、竜神の掌の上で踊るのは、私は若干の不満があります」


「……え?」


 まだ、何かあるのだろうか。


「苦しまないように、と依頼はされましたが、昨日打ち損じた灼熱魔法で、地獄の苦しみを与えてやります……、絶対に………」


 手を握って、口を強く結んだミハルが、我、意を決したりという体で言い放つ。

 なんだろう。一瞬、デコピン一発くらいお見舞いしてやりたくなったのは気のせいだろうか。いや、気のせいに違いない。


「やめてあげて下さい。それで、早く理想の選択を教えてもらえます?」


 我慢して俺はそれだけ言った。

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