第19話 星だけが見ていた④

(1)

 

 マクレガー家に戻ってからリカルドは、シャロンに浴びせられた辛辣な言葉を何度も何度も頭の中で繰り返しては考え込んでいた。


 広場で暴行された夜、夜空に瞬く星々が金貨に変わり自分の元へ降り注いでくれれば、などと願ったが、それすら今はただの甘えとしか捉えられない。


 自分との仲を引き裂かれ、ダドリーにも捨てられたミランダは、現在どんな思いで生きているのだろう。考えるだけで、やるせない気持ちに駆られる。


「……痛っ……」


 そんなに長い距離を歩いた訳じゃないのに、左足がズキズキと痛み始めている。黙って痛む箇所を撫でさする。


 怪我が完治するまで大人しくマクレガー家の世話になるのが、今の自分にとって最善の道だろう。しかし、そうしている間にも時間は刻々と過ぎ去っていく。


 このままでいてはいけない。何としてもミランダを苦界から救い出したい。


 けれど、いくらダドリーに捨てられたとはいえ、彼女は歓楽街でも一、二を争う高ランクの店の人気娼婦。身請けするとなれば大金が必要だろう。


 だったら、やることはたった一つだけ。死に物狂いで一生懸命働き、金を貯めるしかない。


 行動に移すなら一日でも早い方がいい。シャロンにはまた無鉄砲だの計画性がないだのと批難されるかもしれないが、そんなことはどうでもいい。

 ただし、噂が広まっている以上この街で働くつもりは毛頭なかった。自分の居所を知ったダドリーが何かしらの妨害を働かないとも限らない。


 音を立てないよう静かに荷物を纏め、マクレガー家の人々へ向けて置手紙をしたためる。

 今まで世話になったことへの感謝の気持ち、勝手に出て行くことへの詫び。

 怪我の治療費と杖はいつか必ず返す約束などを綴ると、手紙をベッドの上へとそっと置く。


 そして、キャスケットを目深に被り、小さなトランクを抱える。杖をつきながら、こっそりとマクレガー家から出て行く。

 まだ暗闇が支配する午前四時過ぎ。始発の汽車に乗るべく駅へ向かった。





 (2)


 リカルドが向かった先は、以前滞在していたウィーザーという港町だった。


 ここはリカルドの友人や知り合いが多く、「何かあったら、いつでもここへ帰ってこいよ」という言葉を貰っていたので、何かと過ごしやすだろうと思ったから。

 ミランダと逃げようとした際も、ここに二人で暮らそうと決めていたくらいだった。


 ウィーザーの人々は、突然怪我を負って戻ってきたリカルドを見て大いに心配した。

 彼から事情を全て説明されると「貴族の囲い者に手出すとは……。しかもその女を引き取るために金を貯めたいだなんて……、無謀にも程があり過ぎる」と、ある者は呆れて窘め、ある者は考え直せと説得した。

 だが、リカルドの意志は固く、彼の熱意に根負けした人々は最終的には納得してくれた。


 ウィーザーで暮らし始めてからのリカルドは、昼夜を問わず働き通しの日々を過ごした。


 朝六時から八時までは郵便局で手紙の仕分けの仕事、朝九時~夕方十七時までは時計職人の元で働き、夜十八時~深夜一時までは以前働いていた酒場の厨房で皿洗いや軽食などを作る。

 深夜二時過ぎに帰宅し、朝五時までの三時間だけ眠る生活を実に十年もの間続けた。


 幸い、このような生活を送っているせいか、唯一の休みである安息日は一日中寝て過ごすことが多く、気晴らしに遊ぶなどの無駄な出費もなく。

 倒れない程度の質素な食事やアパートの家賃、水道代、左足の湿布代以外ほとんどお金を使わずにいたため、思った以上に資金を貯めることが出来た。

 

 あれから十年経た今、彼女が健在なら二十九歳になっている。

『もしもまだ娼婦を続けていたとしても、年齢的な面から昔よりも確実に人気が落ちているだろう。身請け金も当時より安く済むかもしれない』との友人の言葉を信じ、満を持してリカルドはミランダを迎えに行くために、再びこの街へと赴いた。


 しかし、リカルドは希望と同時に不安も抱えていた。


 ミランダがすでに売春業から足を洗い、堅気に戻っているとかであれば何の問題はないし、むしろ手放しで喜んであげたいくらいだ。

 例え、堅気に戻った理由がすでに誰かに請け出されたというものであっても。

 彼女は今幸せか。確認できたなら、自分は何も言わずに大人しく引き下がるつもりだ。


 けれど、考えたくはないがーー、もしもミランダが、すでにこの世の人でなかったとしたらーー、梅毒や労咳などに罹って命を落としていたとしたらーー、果たして自分はその事実を受け止められるだろうか??


 どんな形でもいいから、ミランダには生きていて欲しい。


 リカルドが十年間、一番願ってやまないことだった。


 十年振りにこの街の歓楽街を訪れたリカルドは、まず最初にスウィートヘヴンを訪ねたが、三十代前後と思しき若店主(おそらくマダムの息子だろう)から「その女なら、六年ほど前に僕の母に暴力振るって店を追い出した」とすげなく告げられてしまった。


「では、その後、彼女はどこへ行ったか知りませんか??」

「さぁね。追い出した女のことなんかいちいち覚えちゃいない。あぁ、噂では、あちこち娼館や売春宿に移っては問題起こして辞めさせられている、とか、ちらっと聞いたような……」

「そうですか、わかりました。色々教えてくれてありがとうございました」


 どうでも良さげに欠伸を噛み殺しながら話す店主に一応礼を述べ、店を後にする。

 やはり、ミランダはまだ歓楽街で身を売る生活を続けているようだ。


 彼女が生きている可能性は高くなったが、それでも苦界であえぐ姿を想像すると胸がぐっと苦しくなる。一刻も早くミランダを見つけ出さなければーー


 リカルドは、歓楽街中の娼館や売春宿を手当たり次第に訪れてはミランダを探し続けた。

 そして、探し始めて五日目。

 今までで一番鄙びた様子の小汚い、古い売春宿を訪れたリカルドは、機嫌が悪そうに顔を歪めて二階の階段から降りてくる小太りの中年男に声を掛けた。


「すみません、この店にミランダという女性が働いていませんか??プラチナブロンドの髪に琥珀色の大きな猫目で、小柄な……」

「あぁ、あのアル中の性悪年増女か??」


 リカルドの言葉を遮り、中年男は吐き捨てるように慇懃に答える。


「お客さん、物好きだねぇ。ま、金になるなら何でもいいけど」

「いくら払えばいいんですか??」

「あぁ、あいつは安いから……」

「違います。僕は彼女を抱きに来たのではなく、身請けしに来たんです」

「……はぁ?!」


 男は素っ頓狂に叫び、目を引ん剝いてみせる。そんな男に構わず、リカルドは肩から下げていた頑丈な作りの茶色い大袋の中から、一回り小さな、それでいて中身がずっしりと詰まった袋を取り出し、男に手渡した。


「これだけあれば、足りますか??」


 男は袋の中身を確認すると益々取り乱し、「……あ、あんな女、この半分の金額で充分だ!!」と唾を飛ばしながらまたもや叫んだ。


「……ほ、本当ですか?!」

 今度はリカルドが驚いて叫ぶ番だった。

「あぁ、あいつは店にいても大して稼げないし、追っ払いたいばっかりだったから。この際、あんたが貰ってくれるなら喜んで差し出してやるさ!」


 男の言葉に色々引っかかりつつ、ミランダの部屋を教えられる。

 リカルドは不安と緊張を抱えて、いつもより痛む左足を引きずりながら階段をゆっくりと上がっていった。

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