六十五夜 染井佳乃

よし……?」


 百合ゆりの横に立つ女性が、かつらを見て言う。

 腰まで届こうかという黒髪。桂を見つめてくる彼女の目はやや横長で瞳が大きく黒目がちだ。その瞳は嬉しさや懐かしさをない交ぜにした感情によって微かに潤んでいる。


 白のニットの上にベージュのマウンテンパーカー。デニムのパンツ姿は小柄でほっそりとしているが、女性としての曲線美を備えている。

 桂には見覚えのない女性だ。

 だが、満月の月明かりの中に浮かぶ彼女を見ていると、何故か懐かしいと思えた。


 ――すぐそばまでやって来た彼女の顔には屈託のない笑顔が浮かんでいた。〓〓の浮かべた笑顔は、〓〓にとって意外なものだった。


「!」


 桂の知らない情景が一瞬、浮かんだ。同時に頭に痛みが走る。


佳乃よしの、大丈夫!?」


 女性が桂に近づいて来た。桂に比べ、彼女の背は低い。桂の胸ほどの背丈しかない。

 近くで見上げて来る彼女の首には、月長石ムーンストーンをあしらったチョーカーがあった。そのしずく型の月長石ムーンストーンに、桂は見覚えがあった。大きさは違うが、自分のしているピアスの月長石ムーンストーンと同じ形だ。


「大丈夫です。あの、すみません。わたし記憶が……」

「バ……虎児とらじから聞いてるわ。わたしは紅葉くれは。あなた――」


 そこで女性――紅葉は言葉を止める。それから緊張した様子で口を開き、言葉を継ごうとして口を噤む。そして大きく息を吐いて、今度こそ言葉を継いだ。


「あなたと一緒に『玉桂たまかつら』をしていたあき紅葉くれはよ」

「虎児さんから話は少し聞いています。それ、わたしのと同じ形ですよね?」


 桂は紅葉の月長石ムーンストーンゆびさす。


「ええ。もともと、あなたの月長石ムーンストーンとわたしのはセットだったのよ。同じ月長石ムーンストーンから作られたの。わたしたちの使う月長石ムーンストーンはね、同じ塊から別れたものなら共鳴するの。それを利用して、わたしはここに辿り着いたのよ」


 そう言って、紅葉はチョーカーを外した。それを手に持って、桂の前に差し出す。


「同じ……」


 桂もピアスを外して手に取る。そして紅葉の差し出した月長石ムーンストーンを受け取り、手のひらの上で自分のものと並べた。

 大きさは違うが、どちらも双子のように同じ形をしたいた。枠のように細い銀細工で囲ってあり、大きさを除けばうり二つと言えた。

 ふいに、手のひらの月長石ムーンストーンが光り始めた。最初は大きな方が。それにつられるように小さな方が。

 柔らかい月白げっぱくの光が桂の視界に広がる。同時に、記憶が溢れてくる。


 ――〓〓の頬を涙が伝った。月光を集めたような雫が、地面へと落ちる。


 それは最初の別れで見せた、〓〓の涙。


 ――でも、同じくらい怖い。いつだってそう。嬉しいはずなのに、同じくらい怖いの。


 これは自分たち以外に月の歌が聴ける少女と出会った時の、紅〓の言葉。


 ――いたいわよ! 〓乃と一緒に。ずっと!


 そして、自分と一緒にいたいと、望んでくれた〓葉の言葉。


 ――そしてわたしはが呼んでくれたから、月のがわにいるの。後悔なんかしてないわ。


(月が大好きで。月に焦がれて。月の話がしたくて。なのに誰にも話せなくて……でも紅葉に会って、わたしは――)

 光が収まったあと、の頬を涙が伝った。月光を集めたような雫が、月長石ムーンストーンの上に落ちる。


「なんで……なんで、忘れてたんだろ。こんな大切なこと」

「……佳乃?」

「紅葉……」


 佳乃が紅葉を見て微笑む。それは見知らぬ誰かを見たときに浮かべるものではない。大切な人を見るときの優しく柔らかな笑顔だ。

 笑顔の意味に気づき、紅葉の瞳にも涙が浮かぶ。そして紅葉は佳乃に抱きついた。


「佳乃、良かった。本当に良かった」

「ごめん紅葉。心配かけたね」


 佳乃も紅葉を抱きしめる。そして彼女の頭を何度も何度も撫でた。


「まったくよ、もう」


 体を離し、紅葉は涙を浮かべて微笑む。

 そんな二人を百合が微笑まし気に見ていた。佳乃が百合を見て軽く頭を下げる。それに気づいた紅葉が振り向き百合と目が合った。

 百合の笑みが深くなるのを見て、紅葉が思わずそっぽを向いた。

 突如、爆発音が響いた。


「なにごと!?」


 佳乃と紅葉が音のした方見る。爆発は本殿の裏で起こったらしかった。爆発音だけでなく炎の爆ぜる音も聞こえてきた。炎は本殿の母屋の裏手に見えた。あの場所には大広間があったはずだ。

 炎はその勢いを増し、気づけば母屋へと燃え移っていた。


「お父さま!」


 百合が悲鳴を上げる。百合は本殿に向けて走り出した。


「百合さま!」


 百合は振り返らない。佳乃の声など聞こえないかのように走り続ける。


「いま、あっちにはバカ猫たちもいるわ」

「虎児が?」

あおいって紫雲しうんに呼び出されたとかで、向こうに行ったの」


 佳乃は紅葉の首にチョーカーを巻き、ピアスを自分の耳につけた。


「わたしたちも行きましょう」


 佳乃と紅葉は百合の後を追い、本殿へと向かった。

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