三十三夜 猫オジと冷コーとあたし

「なんでここにいるんですか?」


 喫茶店のカウンターに座っている虎児とらじを見て、あおいが言った。

 大型連休に入って二日目。日曜ということもあり、葵のバイト先である喫茶店はそこそこ観光客で混んでいた。


「そんなん、コーヒー飲みに来たに決まっとるやろ。なんや、ここ嬢ちゃんのうちやったんかいな?」


 虎児は葵を見る。彼女は白のTシャツにジーンズ。カフェの店員がしているような茶色のショートエプロンを腰につけていた。


「違います。あたしはバイトです」

「ほうか。そりゃご苦労さんやな」

「……ご注文は?」


 葵は虎児の目の前に、乱暴に水の入ったコップを置く。


「ここフレーバーコーヒーってあるん?」

「なんですか、それ。ちゃんとメニューにあるものを注文してください」


 呆れた様子で葵がメニュー表を虎児に渡す。虎児はドリンクの文字がある部分を見て何かを探しているようだった。


「ないんやな。ほなれいコーな」

「れいこ? だからメニューにあるものを注文してください」


 怒ったように葵が言う。


「アイスコーヒーのことね。いまどき珍しい呼び方をするお客さんね」


 少し離れたところで二人のやりとりを見ていた中年女性が言う。長い黒髪を後ろで束ねた、穏和な印象の女性。腰には葵と同じ茶色のショートエプロンを巻いていた。

 女性はカウンター奥にいる男性に「アイスコーヒー」の注文を通すと、二人の近くに寄って来る。


「葵ちゃんの知り合い?」女性が葵にいた。

「いいえ。数日前に神社でみかけた、ただの猫オジです」

「猫オジってなんやねん」

「〝猫好きオジサン〟だから〝猫オジ〟。それとも不審者の方が良かったですか?」

「なんか冷たいなぁ。冷たいんはコーヒーだけでええねん」

「仲いいのね」


 女性――マスターの奥さんは楽しそうに二人のやりとりを見ている。


「良くありません。この人、探偵らしいですよ」

「あら」

「こういうモンです」


 虎児は名刺を女性に差し出した。


「東京の? 随分と遠くからいらしたんですね」

「この町には、人捜しで来とりますねん。もしママさんもこの人を見かけたら連絡ください」


 そう言って虎児はスマートフォンの画面を見せた。女性がそれを覗き込む。


「あら、子供? 家出か何か?」

「守秘義務があるんで詳しゅうは言えまへんけど、そないなとこです」


 虎児の前にコースターとストローが置かれた。コースターの上にはグラスに入ったアイスコーヒー。その横に白い小さな陶器と、同じく小さく細長いガラス製の入れ物の順に並べられる。陶器の中にはコーヒーフレッシュ。ガラス製の入れ物にはガムシロップが入っている。

 置いたのは男性――この店のマスターだ。虎児は男性の方にもスマートフォンの画面を見せた。


「この嬢ちゃんとは神社の方で会いましてん」

「猫に話しかけてた変質者でした」


 相変わらず葵の言葉は冷たい。

 虎児はアイスコーヒーを手に取ると、おどけた様子でチラっと葵を見る。そのままグラスを口に運び、僅かな量を口に含んだ。そして少し時間をおいて飲み込む。


「猫好きなんですか?」マスターの奥さんが言う。

「ワイ、猫派ですねん。この町の猫は幸せそうでエエですね。みんな満足しとる言うてますわ」

「まぁ。まるで猫とお話できるみたいな言い方ね」


 女性はコロコロと笑う。

 虎児は再びグラスを手に取ると、今度はひと口分をすぐに飲み込んだ。


「実はここだけの話」虎児は内緒話でもするみたいに声を落とす。「ワイは猫と話せますねん。調査で知らん場所に行った時は、その地域の猫に色々教えてもらうんですわ」

「猫に教えてもらう?」

「案外、猫は人のことよう見とります。人の流れや知らん人間がやって来たとか。それをワイは教えてもらうんです」

「それで〝先生〟」


 ふと、何か思い出したかのように葵は言った。


「葵ちゃん、先生って?」

「この人、太郎丸に〝先生〟ってつけて呼んでるんです」

「おお。太郎丸先生にはホンマ世話になっとります」


 虎児の表情は真剣に見えるが、よく見ると目は笑っていた。それに気づいた女性は、またコロコロと笑った。


「ホント、面白い人ね」

「おおきに」

「……変質者ですけどね」


 女性の言葉に葵はポツリと呟く。


「なんか言うたか、嬢ちゃん」

「いいえ」

「まぁええわ。ほな。ごちそうさんです」


 カウンターの上には飲み干されたグラスと、使っていないストロー。手をつけていないコーヒーフレッシュとガムシロップが残っている。

 虎児は支払いを済ませると、そのまま喫茶店を後にした。窓越しに、午後の日差しを眩しそうに遮る虎児の姿が見えた。


「葵ちゃん、なんか楽しそうね」


 虎児を見つめる葵を見て、女性が言う。


「そうですか?」

「ええ。だって笑ってるもの」


 女性の言葉に、葵は自分の口に手を当てた。確かに口元が緩んでいる。言われて初めて、自分が笑っていることに葵は気づいた。

 そんな葵を見て、女性は優しい表情を浮かべる。


「休憩入っていいわよ」

「はい。ついでにゴミ出ししておきますね」

「お願いね」


 葵はカウンターの奥に入るとマスターに会釈して、そのままスタッフルームへと向かった。スタッフルームに置いてあるゴミ袋を二つ持つと、裏口から外へ出る。

 ゴミはそのまま店の裏に置いたりはしない。町並み保存地区には、目立たない場所にゴミ収集用のステーションがあり、細かく区分けされた地区ごとに纏めるようになっている。

 葵は店から十メートルほど離れたゴミステーションへと向かう。路地を曲がり、ちょっとした広場にそれはあった。蓋を開け中にゴミを入れる。ふと、葵は視線を感じて先ほど曲がってきた路地へと顔を向けた。


 誰もいない。葵は蓋を閉めると、そのまま曲がり角へとやってくる。そして角から顔を少し出した。

 路地には観光客の姿すらなかった。気のせいかと思い視線を下げた瞬間、軒下にいる茶トラの猫と目が合う。

 猫は葵と目が合うと、しまったというように目をそらした。


「しまじろう。おまえかぁ」


 この辺りの地域猫は太郎丸がボスだ。その部下の一匹が、しまじろうと呼ばれたこの茶トラの猫だった。

 葵はその場にしゃがみ込み、名前を呼んで手招きする。最初はそっぽを向いて無視していたが、そのうち仕方なさそうに葵の元に来て寝転がった。


「暑いねぇ」


 葵はしまじろうに語りかけながら背中を撫でる。そして自分も猫に話しかけていることに気づいて苦笑した。


「これじゃ、猫オジのこと言えないじゃん」


 撫でながら葵はここ数日、やたらと猫に遭遇すことを思い出した。行く先々で猫を見る。あるいは視線を感じると猫がいる。

 舞ノ浦まいのうら町は地域猫を観光の目玉にしてるが、ちょっと遭遇率が高すぎる気がした。

 今朝などは、寮を出てすぐに猫をみかけたのだ。通常、猫は自分の縄張りからは大きく離れない。そして学校の周りに猫の縄張りはないはずだった。


 そんなことを考えながら茶トラを撫でていると、路地の向こうに太郎丸が歩いているのを見かけた。

 太郎丸はこちらに気づくことなく、立ち止まって背後を見上げる。しばらくして虎児が太郎丸のそばへとやってきた。それを確認すると、太郎丸はまた歩き出す。

 その様子はまるで、太郎丸が虎児をどこかへ案内しているように見えた。


「……やっぱ呼び名、猫オジしかないよね」

『にゃう』


 葵の言葉に、撫でられているしまじろうが応えた。

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