十七夜 上等やないか

「――――!」

「――――。――」

「―――? ―――!」


 声が聞こえる。言い争うような男たちの声。だがそれは遠くから聞こえる意味のない音としてしか認識できない。

 ぼんやりしていた意識が、ゆっくりと覚醒していく。同時に美紀みのりの視界に色が戻り始めた。


 気づくとそこは見知らぬ場所だった。

 土と埃の匂いのする、ずいぶんと古い板張りの和室だ。埃にまみれた床の上に、美紀は寝転がっていた。

 部屋には柱が何本も立ち奥には少し高くなった場所がある。そこに人影のようなものを認め、美紀は緊張する。


「……誰?」


 それが仏像だと気づくのに、美紀はしばらくかかった。

 ここは朽ちかけたお寺の本堂のようだった。

 美紀は立ち上がろうとして、身動きがとれないことに気づいた。見れば自分の手足や胴回りに白い帯のようなものが巻き付けてあった。美紀には読めない文字が書かれているそれは、和紙に見えた。

 しかし和紙でできているように見えるその帯は、美紀が力を入れてもビクともしない。


風眼坊ふうがんぼう。アンタほんまに、何考えてんねや。こっちで話つけてきたばっかりや言うのに」


 今度は、はっきりと声が聞こえた。部屋の外からだ。すっかり色褪せた障子紙が張られた格子戸の向こう。

 そこから差し込んでくる日光はまだ明るい。日差しの中には二つの影が見えた。

 一つは背は高くないが、がっしりとしたシルエット。もう一つは、背が高くほっそりとしたシルエット。背の高い方は着ている服が変わっているのか、シルエットが所々妙だった。


虎児とらじ、それはこちらの台詞だ。お主こそ何を考えておる。わしは仲間の居場所を突き止めろとは言ったが、姿を晒せとは言っておらぬぞ」


 関西弁の男の声には聞き覚えがあった。昨日の今日で、忘れるわけがない。紅葉のところにやってきた男――虎児の声だ。


「どうせ後から顔見せんねやったら、同じことやろ。だいたいあの嬢ちゃんには手ェは出さんいう約束をしてるんや。

 それを勝手に連れてきよってからに。どないすんねん」

「お主は莫迦か?」

「なんやと?」

「あの娘はなりたてとはいえ、立派な〝月に捕らわれし者ルナティック〟だ。我らがめっすべき相手ぞ?」

「嬢ちゃんやったら、まだ〝人〟として留まっとる。今やったらまだ戻れる。ワイらが相手せなアカンのは、嬢ちゃんみたいなんやないやろ?」

「甘い!」


 裂帛の気合いを込めた一喝だった。美紀のところまで、空気の震えが伝わってくる。美紀は思わず身を竦めた。

 風眼坊と呼ばれた男の声は建物全体を揺らしたかに思えた。


「一度でも捕らわれてしまった者が戻ることなどあり得ぬ。戻ったように見えても、再び月の歌を聞いてしまう」

「そないなことあるかい!」


 虎児も負けずに叫び返す。


「完全に捕らわれてしまう前やったら、ナンボでも戻れる。必要なんは本人の意志や」

「虎児よ、今回の獲物とお主に因縁があるのは知っておる。ここで出会えたのもお主とのえにしゆえであろう」


 風眼坊は諭すように言う。


「お主はまだ若い。だから情を捨てよとは言わぬ。だが情に流されてはいかん」

「よけいなお世話や、クソ坊主」

「つくづく聞く耳を持たぬ男よの。だが虎児、これだけは覚えておけ。儂は他の者のように甘くはない。邪魔だてすればお主とて容赦はせぬぞ」

「上等やないか」


 一触即発の雰囲気は、しかし弾けることはなかった。


「……大事なおとりだ。あのむすめをすぐにどうこうはせん。時間のあるうちに頭を冷やすのだな」


 シルエットが動いた。格子戸が開き、行脚服姿の坊主が入ってきた。そのあとに虎児が続く。


「あっ!?」


 風眼坊の姿を見た美紀が、小さく叫ぶ。その姿には見覚えがあった。あの時は網代笠あじろがさをかぶっていたので顔まではわからないが、着ている服は同じ行脚服。

 映画を観に行った日に出会った雲水だ。


むすめ。意識は戻ったか?」


 風眼坊は美紀の方へ顔を向ける。皺の具合から、五十代くらいに見えた。瞳に光りはなく白く濁っている。見えてはいないはずだ。

 なのに美紀は、風眼坊から射すくめられるような視線を感じて、身動きがとれないながらも後ずさろうとする。


「逃げようとは思わぬことだ。もっともお主にその呪束帯じゅそくたいを破れるだけの力があるとは思えぬが……」


 風眼坊の後ろに立ち虎児は美紀を見ていた。黙って歯を食いしばり、じっと美紀を見つめている。視線に込められた想いは後悔か。その姿はひどく幼い印象を受ける。

 虎児は自分を見ながら、別の誰かを重ねているように美紀には思えた。

 そして美紀も――

(あれ、なんで?)

 そんな虎児の姿に、いつしか恵の姿を重ねて見ていた。

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