第71話想いが叶う時




(どうしてロナは突然、樹海の外なんかへ……)


 ロナの気持ちがわからないまま、クルスは数日の時を過ごしていた。


 人の世界も、樹海も弱肉強食なのは変わらない。しかしロナはこの樹海においては食物連鎖の最上位に位置している。

そうした地位を捨ててまで、外にでることはない。むしろデメリットの方が多く思えて仕方がない。


「おーい、クルスなにぼーっとしているのだぁ?」


 ベラの声を聞いて、久しぶりに2人で狩りへ来ていたと思い出したクルスは、悩みを振り払うかのように弓を射る。

集中力が欠如した中での射だったが、目標の草食動物へは一撃必殺だった。


「久々の僕との狩りは楽しくないか?」


 とてとてと寄ってきたベラは唇を尖らせた。どこか寂しそうな雰囲気も感じられ、クルスは申し訳なく思った。


「すまない。そんなことはない。少し、考え事をしていてな」

「考え事とな?」

「ベラは、外の世界を、人間の世界をどう思う?」

「そりゃとっても楽しいところなのだ! ご飯も美味しいし、緑以外の色んな景色があったり、どこにでも強い奴がわんさかいるから、飽きないのだ!」


 ベラの語口は軽やかで、外の世界を心底楽しんでいるように感じた。たしかに外の世界にはここにはない、たくさんのもので溢れかえっている。ロナは、ベラから聞かされた、そんな楽しげな話に感化されたのではないか。しかしそれは表面的なものでしかない。


 人の世界は樹海の弱肉強食とは違う、いやらしさが存在している。生まれや、その時の立場、場所や時間、場面に応じた適切な言葉遣い――心を摩耗し、時には壊してしまうようなことが、いつも隣に潜んでいる。


 ベラはおそらく、樹海というホームがあるから、そうしたことに気づかず外の世界を楽しいと言っているのかもしれない。

帰るべき場所がある。戻れば自分らしく振る舞える、慣れた場所がある。そして暖かく迎えてくれる誰かがいる。

それがどんなにありがたいことか。


 ずっと帰る家がなく、底辺で、更に孤独に過ごしてきたクルスだからこそ言えることだった。


(やはりロナは説得しよう。外の世界はよくないところだと……)


 クルスはそう決意し、ベラと別れた。捕らえた獲物を担ぎつつ、足早にロナのところへ戻ってゆく。

 やがて住処が近くなった頃、木々の間に見え隠れる白と赤の何かをみつけた。


(まさか冒険者か!?)


 獲物を手放すのは惜しい。しかしロナの命がかかっているのなら、惜しくはない損失。

クルスは獲物を捨て、軽い足取りで木へ登った。

そして枝の葉の中へ身を隠し、息を潜めて、下を伺い始める。


「いらっしゃい。待っていましたよ」


 ロナの丁寧で親しげな声が聞こえ、


「こんにちはロナさん。今日も先輩はいらっしゃらないんですね?」


 ビギナの言葉に、ロナは狩りへ行っていて、夕方までは戻らないということを告げている。

 ゼラも一緒にいるが、背中の大剣を抜く素振りはみられない。


(なぜビギナとゼラがロナと? 俺のいない間に一体なにが……?)


 クルスは樹上で1人困惑していた。


「それで、この間の件は結局どうしましたか……?」


 ビギナはなぜか元気なさげにロナへ聞く。するとロナは苦笑いを浮かべた。


「樹海を出るために抜いて欲しいとは伝えました。でも、まだクルスさんは許してくださいません。説得中というやつです」

「……そうですか。ロナさんは、その、本当にそれで良いんですか? 言った私が言えたことではないんですけど……」

「気にしないでください。それにビギナさんは単に私へ"クルスさんと一緒に樹海を出ることはできないか?" と聞いただけです。それを今の考えに結びつけたのは、私の気持ちが、それが良いと思った結果ですので」

「でも、そうしたらロナさんは……」


 ロナは笑った。


「ビギナさん、私凄く不思議な気持ちなんです。クルスさんのために外へ出るって決めたのに、今の私は彼と一緒に外の広い世界を見てみたいって思ってるんです。彼と一緒にアルビオンという街を回ったり、海をみてみたりとか……最初、ここを一緒に出るのは、人の世界でも必要とされる彼のためだと思っていました。だけど今は、その想いに加えて、私の願いでもあります!」


「ロナさん……」

「でも、魔物としては変ですよね。人間と、外へ出て、世界を見たいだなんて……」


 ビギナは首を横へ振った。


「変じゃないですよ。ロナさんはそれだけ先輩のことを大切に想っているんです。大好きな人と楽しいことを一杯したいって思うのは誰も想うことだと思います」

「ありがとうございます。あと、ですね……」

「?」

「私、ビギナさんとももっと仲良くなりたいなって。外へ出れば、ビギナさんとも色んなところへ行ったり、一緒に楽しいことができると思うんです! もちろん、クルスさんも一緒に!」

「良いんですか……?」

「もちろんですよ! だって決めたじゃないですか! 私たち二人でクルスさんを支えようって! だって私たちはクルスさんを愛するもの同士なんですからっ!」


 ビギナは赤い瞳に涙を浮かべながら「ありがとうございます!」と言い、深く頭を下げるのだった。


(ロナは俺のことを考えて……)


 先日、ロナが樹海の外へ出たいと言ったのは、人間の世界のことをよく知らない彼女の単なる思いつきや、わがまま。そう思っていた自分をクルスは恥じた。

 外へ出たいという願いの根本にはクルスのことがあったのだと思い知った。

 ロナは、無限の命がたとえ有限になろうとも、彼のために樹海を出ようと考えてくれていた。

そして彼女の願いが、実は自分の中にも存在しているということに気がついた。


 ロナともっと広い世界を見て回りたい。2人でアルビオンを歩き、時に迷宮へ手を取り合って潜り、いつの日か寄り添い合いながら海を眺めたい。


 ロナは樹海から出ることを強く望んでいる。その純粋な気持ちを、もはや無碍に出来なかった。

 クルスはロナの元へ飛び降りようと膝に力を込める。


「クルス、なにこそこそしているのだ?」

「ぐわっ!?」


 突然、ひょっこり現れたベラに驚き、クルスは足を踏み外した。そのまま樹上から落っこちて、尻からドスンと地面へ叩きつけられる。


「せ、先輩!? なんで上から!?」

「だ、大丈夫っすか!?」


 ビギナは素っ頓狂な声をあげて、ゼラは慌ててクルスへ駆け寄ってくる。

そんなクルスを見て、ロナはクスクスと笑っていた。


「ようやく出てきましたね。お話はちゃんと聞いてくださいましたか?」

「気づいていたのか……?」

「もちろんです。なんてたって私の根は樹海のほとんどに通っているんですよ? どこに隠れたって私の前では無意味なんですよ? ほら、ベラも出ておいで!」


 樹上からわずかな音を立てて、ベラが飛び降りてきた。途中からやってきたベラは、状況がよくわからないのか、首を傾げている。


「せ、先輩、もしかして聞いてましたか……?」


 なぜか耳まで真っ赤に染めたビギナが声をかけくる。

聞いていたとは、ロナが樹海へ出る決断をした、ということか?


「あ、ああ。一通りは……」

「ああ、もうどうしようぉ~……また聞かれちゃったよぉ! 恥ずかしいよぉ……!」


 ビギナは頭を抱えて蹲る。どうやらビギナ本人は、秋頃、自分が口にしたことをクルスがどう解釈したかわかっていなかったらしい。


 正直なところ、自分の中にあったビギナへの気持ちを、どう消化すれば良いかクルスは分からずにいた。

 彼はロナを心の底から愛している。しかし同時に自らの想いをぶつけてきてくれたビギナへ心惹かれていた。

ずっとビギナの想いに応えることは、ロナの気持ちへの冒涜だと思っていた。

しかし渦中のロナは、持ち前の広い心で、ビギナのクルスへ対する想いを認め、手を取り合っていた。


「クルスさん」


 ロナの青い瞳がクルスへ真剣で、そして優しげな視線を送っていた。

それだけで、今彼女が何を望み、彼へ何をさせようとしているのかがわかった気がした。


「良いんだな?」


 念のために聞いてみる。ロナは迷わず首肯した。


「私に構わず応えてください。クルスさんが、ビギナさんをどう想っているのかを。正直に」


 ならばここで答えないわけには行かない。複雑な状況なのは百も承知。しかし今更、怖気付いたり、逃げ出したりするわけには行かない。クルスは意を決して、ビギナへ屈み込んだ。


「ビギナ、聞いて欲しいことがある」


 クルスは蹲るビギナの頭へ手を添えながら声をかけた。


「先輩……?」


 赤い瞳がゆっくりとクルスを写し始めた。不安、そして期待。そんな感情が純真な瞳から読み取れた。


「正直にいう。俺はずっと君の気持ちがわかっていた。わかっていた上でわからない振りをしていたんだ。なぜなら、俺はロナを愛しているからだ。俺は彼女に出会ったことで自分を取り戻すことができた。だからそんな彼女を裏切りたくはない、悲しませたくはない……その一心だった」

「……」

「だけどそれは俺のちっぽけな思い込みだったと思い知った。ロナはもっと大きな意味で愛してくれていた。なら俺は彼女の想いを無碍にはしたくない。俺は俺の想いに正直になりたい!」


 クルスはビギナの手を取った。そのまま引き込めば、小さな彼女が彼の胸へと誘われる。


「ビギナ、お前のことも愛している。もう絶対にお前を1人にしない。離したりしない。俺のそばにずっといてくれ!」


 華奢な肩を壊さないよう、しかしそれでもしっかりと。ずっと秘めていた想いがきちんと伝わるよう、強く抱きしめる。


「良いんですか……?」


 クルスはビギナの問いに首肯する。


「当たり前だ。もう俺から離れるな。だからお前も、俺の手を離すな。もう二度と!」

「はいっ! やった……ようやく同じ空の下に行けた……先輩……!」


 ビギナもまたクルスの背へ手を回し、身を寄せる。彼の胸は、彼女の熱い涙によって濡れ続ける。


「ね、ねえ様!? これ良いのかぁ!?」


 ベラは益々状況がわからないといった具合に声をあげて、


「良いんですよ。これで……」


 ロナは優しい微笑みを浮かべていた。


「ビギッち、よかった! よかったっすねぇ!」


 ゼラは涙を堪えつつ、祝福を送っている。


 クルスはビギナと共に立ち上がった。


「さぁ、行こう! ロナ、ビギナ! 俺と一緒に、樹海の外へ!」

「はい……っ!?」


 突然ロナは表情を引き締め、地面から無数の蔓を生やした。

 蔓は鞭のようにしなり、ぴしゃりと飛来した無数の何かを打ち落とす。


 地面へ叩き落とされた、"棘のついた種"は未だに回転を続けて、摩擦熱を放っている。


「アンタたちなに勝手に盛り上がってるのよ! ふざけんじゃないわ!」


 冷たく鋭い声が辺りへ響き渡り、そして甘い華の匂いが香ってくる。


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