【三章:羊狩りと魔法学院の一年生たち】
第47話樹海の秋
少し冷たくなった風が肌を撫でた。樹上のクルスは思わず身震いをしそうになるも、身体に力を込めて堪える。
潜み、じっと好機を待つのが弓使いとしての正しい姿勢である。彼は全ての神経を、耳へ集中させる。
僅かな木々のざわめきの中にある、僅かな衣擦れの音を聞き取って、矢筒から矢を抜く。
目下に、赤い傘を被った騎士が姿を現したからだった。
カロッゾ家の侍女騎士フェア=チャイルドの死体に寄生し新生した魔物:マタンゴ。
彼女は腰の鞘からいつでもサーベルを抜けるよ構えつつ、周囲の様子を注意深く伺っている。
クルスはマタンゴの注意が自分のいる樹上から逸れた途端、素早く矢を放つ。
「そこか!」
マタンゴは素早い動作でサーベルを抜き、矢を切払った。常人では考えられない跳躍をしてみせる。
そしてサーベルを上段に構えて、樹上のクルスへ襲い掛かる。しかしクルスが寸でのところで枝から地面へ飛び降り、サーベルはむなしく葉を散らすだけだった。
「逃がさん!」
再び地面へ戻ったマタンゴは、クルスの背を追う。
弓使いのクルスと、サーベルを扱うマタンゴとではインファイトで差があるのは明白。
(さて、どうするか)
と、視界の脇に背丈の高い植物ばかりが生えている草むらが見せた。
クルスは方向を変え、その草むらの中へ飛び込んだ。
マタンゴもまた彼の逃げた方向へつま先を向ける。
「ちっ、邪魔な……!」
マタンゴは悪態を尽きつつ、行く手を阻む身の丈よりも高い植物をかき分けながら、周囲の様子を伺っていた。
状況に苛立ちを覚えているらしい。彼女は強力な魔物ではあるが、身体や感情の一部は、まだ経験不足な騎士のようだった。
やや離れた位置でクルスはマタンゴをそう分析する。そして手にしたやや平べったい石を草むらへ向けて投げた。
回転しながら水平に飛ぶ石は草むらをかき分ける。
「そこか!」
ソレをマタンゴはクルスと勘違いし駆けてゆく。クルスは地を蹴って思い切り飛び出す。
「ど、どこに――ッ!?」
「チェックメイトだ」
クルスはマタンゴの背後を取り、首へ短剣を突きつける。彼女がが一歩でも動けば、鋭い短剣の刃が首の皮を裂くのは必至であった。
「くっ……私の負けだ」
マタンゴは両手を上げて、降参する。クルスもまた短剣を下げ、緊張を解く。
彼女と度々行っている戦闘訓練の結果はこれで18戦中15勝1敗2引き分けとなった。
「いつも思うのだが、クルス殿は本当に弓使いなのか? 身のこなしが明らかに違うと思うのだが……」
「昔取った杵柄というやつだ。実は
「たしか貴方は人間の世界では相当な底辺にいたのだろう? にわかに信じられん……」
「もしかすると、こうなれたのは君たちのおかげなのかもしれない」
「?」
「共に冒険者集団を倒し、日々訓練をしている結果だと俺は思う。いつも付き合ってくれてありがとう」
クルスが礼を言うと、マタンゴは頭に生えている赤い傘を傾けて、少し顔を隠した。
「こちらもいつも訓練に付き合ってくれて、その……助かっている。ありがとう。これでいつ敵が攻めてきても、お嬢様をお守りすることができそうだ」
「そうか。力になれているのなら幸いだ」
「それでは今日はこの辺りで。また手合わせよろしく頼む」
「ああ。ラフレシアにもよろしく。たまには顔を見せてくれと伝えてくれ」
「承った。しかしあまり期待はしないでくれ。アレは少々気分屋のところがあるのでな。特に最近は寒さが堪えるらしく、引きこもっておいでなのだ」
マタンゴは珍しく、呆れたようにそう言った。
寒さに弱いのはラフレシアが病弱だったカロッゾ家の息女:セシリーの身体に寄生しているからか。それとも花だけに冷たい空気が苦手なのか。
とにもかくにもこうして話しているとマタンゴが魔物であるということをつい忘れてしまうクルスなのだった。
「ではまた!」
マタンゴはそう言って跳躍し、木々の中へ姿を消した。出会った当初はなにかと突っかかってきた彼女だが、共に勇者フォーミュラ=シールットを倒して以降、態度がかなり柔和になっている。樹海に暮らすクルスにとってはありがたいことである。
樹海に住み着くようになって早や半年――空気はやや冷たく、樹海の枝葉は僅かに赤く色づいていて、秋を迎えていた。
ふと、樹海の外はどんな状況になっているのかと、度々思うことはあった。しかしクルスは冒険者集団と戦うと決断してからは、人の世界と決別すると決めた。故に、あの戦い以降はあまり樹海から出ず、冒険者としての依頼も受けず、静かに暮らしている。
ここは彼が愛する人がいる。できるだけ彼女と多くの時間を過ごすために。
「戻ったぞ」
寝床へ戻ったクルスは、そこへ根を張っているアルラウネのロナの背中へ声をかけた。
「ひゃっ!」
ロナは素っ頓狂な声を上げて、振り返った。
「どうかしたのか?」
「あ、あ! いえ!! お、お帰りなさい! 今日は早いですね……?」
「マタンゴとの訓練が早めに終わったからな」
「ねえ様! ただいまなのだ!」
と、そこへ“Eランク冒険者:ドッセイ”として、樹海の外へ出ている、マンドラゴラの童女:ベラがやってくる。
手には大きな荷物を持っている。それをロナの近くへ置くと、色鮮やかな根菜――人参――が零れ落ちた。
「わわ! ちょ、ちょっとベラ丁寧に扱ってよ!」
「ごめんなのだ……」
「もう。で、あれは見つかりそう?」
「あっ! そうなのだ! あいつを北側でみつけたのだ!」
「北側かぁ……あそこ岩が多いから、私の根が通ってないね」
「何の話をしてるんだ?」
のけ者のみたいで少し寂しかったクルスは言葉を挟む。するとロナは再び素っ頓狂な声をあげた。
「あ! い、いえ! こっちの話でして……」
「あまりコソコソとされると寂しい……へっくしょん!」
意図せず盛大なクシャミが出てしまった。やはり秋といえど、樹海の中は冷える。
暫く、暖かい食事にありついていなかったクルスは、自然と頭に中に“根菜と肉を煮込んだ郷土料理”が思い浮かんだ。
「寒そうですね? 大丈夫ですか?」
「さすがに冷えるな……そろそろ毛皮でも欲しいところだな」
「だったら羊を狩りにゆくのだ! じつはいま、ねえ様とその話をしていたのだ!」
元気よくベラが叫ぶ。子供は風の子なのか、はたまたは魔物だからなのか。薄着なのに、あまり寒そうではないベラとロナが正直羨ましい。
「羊か。樹海にいるのか?」
「最近、北の岩場に現れるようになったのだ。その毛を使って服を作ればいいのだ。僕たちも羊が必要なのだ。だから一緒に行くのだ!」
確かに冒険者集団との戦い以降、樹海で人間の姿を見かける機会がめっきり減った。そのため、僅かに生態系に変化が訪れているのはクルス自身も体験している。だからこそ、今まで存在していなかった獣が樹海に現れてもなんら不思議ではない。
「よし、では明日にでも羊狩りへ行こう」
「おうなのだ! クルスは話が早くていいのだ!」
かくしてクルスはベラと共に、翌日から羊を狩るため、北の岩場へ出かけることとなった。
(ならばあの二人にも声をかけてみるか)
もしかすると引きこもりの花のお嬢様には、クルスと同じく羊の毛が必要なのかもしれない。
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