第12話しつこいマンドラゴラ



 視界が僅かに赤く染まり、意識が覚醒する。


「おはようございます。よく眠れましたか?」


 目を開けると、朝陽を浴びて青々と燃える高い木々の枝葉を背景に、綺麗な顔だちの少女がうっとりした表情でクルスの顔をのぞき込んでいた。

 寝ぼけのせいか一瞬、何が起こっているのかわからなかった。しかしややあって、目の前にいるのが危険度SS:アルラウネであり、自分は彼女が作ってくれた特製ハンモックで眠りに就いたと思い出す。


「お、おはよう……なにをしていたんだ?」

「別になにも? ただ貴方の顔を見ていただけです。なんだか気持ちよさそうに寝ている貴方をみていたら可愛いなって思って」

「そ、そうか……」


 クルスは童顔でも、はたまた女顔でもないし、中性的な雰囲気でもない。そんないたって普通の顔だちを、可愛いと言われたのはこれが初めてだった。当然、そんな評価を受けたことがないのなら、どうリアクションを取ったらよいか皆目見当もつかない。

どう応えるべきか、と考えている中、突然彼の腹が“くぅ”と鳴り響く。


「腹減ったな……」


 結局、“可愛い”という評価に対しては、生理現象を盾にして話題をすり替えるという、とても情けない答えに落ち着いたのだった。


「食物ならありますよ! さっき捕まえてきました!」


 しかしアルラウネはあまり気にしていないのか、天真爛漫な笑顔を浮かべてそう叫ぶ。


 そして彼女が手で指し示したところを見て、クルスは絶句した。


「ぐ、ぐえぇぇぇ……」


 本来は空を飛んでいるはずだろう巨大で羽が極彩色の怪鳥が、鋭い嘴(くちばし)から泡を吹きこぼしながら、芝生の上で弱々しくのたうち回っている。

 この怪鳥はおそらく――危険度A:サンダーバード。雷を吐き出す手ごわいモンスターである。


「こ、こいつは!?」

「ささっ、どうぞ!」


 と、アルラウネはサンダーバードをまるで意に介さず、ハンモックにいたクルスの手を取った。

そっと彼をハンモックから引き起こして、手を引いてサンダーバードの下へと連れてゆく。

すると、クルスの存在を認めたサンダーバードは淀んだ瞳で鋭い視線を寄せてくる。

 長年魔物と対峙して来た身からすると、この視線は明らかな“敵意”を孕んでいた。


「大丈夫なのか?」

「えっ? ああ、大丈夫ですよ。もう間もなくだと思いますから」

「くえぇぇぇ~…………」


 突然サンダーバードは奇妙な声を上げて、芝生の上へ首を落とす。どうやら今のが最期の瞬間だったらしい。


「さっ、これでもう危なくないですよ。どうぞ、どうぞ」

「どうぞって、もしやこれが?」

「はい! 人間さんのお食事です! 全部食べちゃってもいいですからね! どうぞどうぞ!」

「どうぞって……」

「さっ、どうぞどうぞ!」

「って、このまま喰えるかっ!」


 クルスは思わず突っ込むが、当のアルラウネは不思議そうに首を傾げた。


「食べられないんですか?」

「ま、まぁ、そうだな」

「へぇ、人間って不便なんですねぇ……」


 ついさっきまで忘れていたのだが、やはりこの娘は魔物で、アルラウネである。

人間の風習を知らないと言えば当然であった。


(しかし俺のためにこいつを捕まえてくれたんだよな、この子は)


 誰かがこうして自分のために何かをしてくれる。たとえそれが少し的外れであったとしても、善意が感じられる行動は絶対に無碍にしたくはない。いや、するべきではない。


 すっかり目覚めたクルスは一度ハンモックへ戻って愛用の短剣を取る。そして絶命したサンダーバードの下へ戻り、膝を着いた。


「恵みをありがとう。頂かせてもらう」


 そう死した魔物へ感謝を告げて、クルスは解体を始めるのだった。



●●●



「料理っていってな、人間はこうして食べ物を加工して食べるんだ」

「へぇ! 面白いです!」


 サンダーバードはクルスの手際の良い解体によって何本かの骨付き肉へ変化していた。

正直なところ、この魔物を食べるのは初めてだったが、なかなかに美味い。良質なたんぱく質の塊とでもいうべきか。


 と、夢中で肉に噛り付いているクルスを、アルラウネはじーっと見つめていた。

どことなく“興味津々”のような気がしてならない。


「食べてみるか?」

「良いんですか!?」


 肉を差し出すと、アルラウネは嬉々としたリアクションを見せた。

 了承の代わりにクルスは微笑んでみせる。すると蔦が伸びて、肉へおずおずと言った様子で巻き取った。


「では、頂かせて貰います」


アルラウネは丁寧にそう言って、小さな口で、はむりと肉へ噛り付く。


「あっ……」

「どうかしたか?」

「いえ、その……こうして食べるのって、凄く良いですね。なんと言いますか、幸せな気分に……これなんなんですか?」

「たぶんその気持ちは“美味しい”ってやつだな」

「おいしい?」

「今、君が感じた気持ちを言葉で表すと、そう言うんだ」

「おいしい……美味しい……はい、わかりました! 教えてくださってありがとうございます! これからはお口で食べてみよぉっと……」


 アルラウネは本当に美味しそうな顔をして、夢中で肉に噛り付いた。


「しかし君は不思議だな。どうしてそんなに人の言葉を話せるんだ?」

「そょぇわてすね、はむはむ……」

「悪い。食べてからでいい」

「んぐっ! ありがとうございます。マンドラゴラが色々と教えてくれるからなんですよ」

「確かあのマンドラゴラは君の眷属だったな」

「はい。あの子が外で見聞きしたことを語ったくれて、そうしたらいつの間にか話せるようになっていましたね」


 魔物へ言葉を聞かせ続ければ、こうして話せるようになるものなのか。

それとも、このアルラウネが特別なのだろうか。

加えてアルラウネとマンドラゴラの関係性、そして興味深い生態。

 魔法学院で魔物学を教えている教授辺りが泣いて喜びそうな発見の数々である。しかしクルスは学者ではないので、なんとなく聞き流しつつ肉を頬張り続ける。

 それにしても先ほどからわずかに感じる“痺れるような辛さ”は何なのだろうか? 香辛料を振りかけた覚えはない。


「どうかしましたか?」

「この少しぴりっとした感じってなんだろうと思ってな」

「たぶんそれ、私の毒だと思います。トドメは毒殺でしたから」

「あー……」


 状態異常耐性万歳。きっとこの力が無かったら即死してたんだろうと思うのだった。


 やがて肉はあっという間にクルスとアルラウネの腹に収まった。そうしてクルスは装備を整え、立ち上がる。


「お出かけですか?」

「ああ。このままここにいても仕方がないからな」

「えっとじゃあ……いってらっしゃい」


 アルラウネは明らかに寂しさを堪えて、それでもクルスへそう声をかける。

相手は魔物の筈なのに、とても心惹かれるものがあった。


「あ、ああ……行ってくる」

「今夜も、その……待ってますね?」


 期待の熱い視線。クルスはアルラウネの頭をぽんぽん撫でて、


「分かった。日暮れまでには帰ると思うから」

「はい! では食料用意しておきますね!」

「ありがとう。今さらだけど、君は不思議な魔物だな」


 不思議そうにアルラウネは首を傾げる。その所作だけですごくかわいらしく見える。


「実はついさっきまで君がアルラウネだってことを忘れていたんだ。君は言葉が話せるし、人間のすることもなんとなくわかっているし」

「ありがとうございます。私も貴方とこうしてお話ができて幸せです」

「こちらこそありがとう。では、また夜に」


 アルラウネに見送られ、クルスは歩き出す。

街へ出て、ギルドへ向かい依頼を受けるためだった。特に目的は無いだが、十数年こうした生活をしてたための癖のようなものだった。


(日帰りで終えられる依頼が残っていればいいな)


 なんとなく、今夜もアルラウネに会いたい。そう思った彼は、日帰りの依頼が無くなっては困ると思い、気持ち足早に森を進んでゆく。


 と、そんな彼の背中へ“地鳴り”のような音が響いた。


「どっせーい!」


砂柱と共に響きは強いが、子供じみた甲高い声が鳴り響く。

 驚いて踵を返すと、真っ先に目に留まったのは頭にちょこんと乗った紫の花。髪は長く、顔つきはどことなく奥にいるアルラウネに似ているように見えた。

凹凸の少ない体に麻で繕ったワンピースのようなものを着ていて、ところどろ泥や砂にまみれている。


 昨晩姿を見せたアルラウネの眷属:マンドラゴラの再登場である。


「どっせーいっ! どっせーいっ! どぉーっせぇぇぇいっ!」


 マンドラゴラは必死に声を張って、昨晩と同じく妙な叫びをあげていた。たぶんこれは“バインドボイス”なのだろう。

昨日は一時、感じたものの、今は全くなんともなかった。ただ単に煩いくらいにしか感じられなかった。


「……はぁ、どうしてだ!? なんで僕の声が効かないのだ!?」

「何故っと言われても……」

「ぬぅー! こうなれば実力こうしなのだぁー!」


 飛び上がるマンドラゴラ。さすがのクルスも対処が遅れてたじろぐだけ。


「がぶっ!」

「ぐっ!?」


 かくしてクルスはマンドラゴラに腕を“はむっ!”と噛みつかれたのである。噛み方がやけに強く少し痛いが、他のモンスターの噛みつき攻撃に比べれば、甘噛みと言わざるを得ない。しかし、


「うっ……! こ、これは……!」


 視界がぼやけ、仁王立ちするマンドラゴラの姿がぐにゃりと歪んだ。

僅かに呼吸が苦しくなり、思わず膝を突いてしまう。


「どーだ!? 僕の毒で狂ってしまえ!」

「う、くっ……! 毒だと……?」

「そうなのだ! ねえ様を襲った罰なのだ! 僕の毒であのよへ逝くのだぁー!」


 耳に届くマンドラゴラの声が、異様に反響したように鳴り響き、頭が割れそうに痛かった。


 そういえばマンドラゴラの脅威はバインドボイスだけではないと思い出す。視覚・聴覚・運動機能に異常を発生させ、やがて死に至らせる“神経毒”もマンドラゴラの武器だったと、今さら思い出す。


(と、なると……)


 状況が分かればもはや焦る必要は無かった。むしろだんだんと体の不快感が消えて始めていた。

視界も明瞭になり、勝ち誇っているマンドラゴラの声も、気にならない程度になってゆく。


「よし」


 すっかり“状態異常耐性”の力によって毒の影響を無くしたクルスは立ち上がり、


「わわっ!! な、なんなのだ!? おかしいのだ!!」


 マンドラゴラは驚き、丸い瞳を見開いて、クルスを見上げている。


 もはやマンドラゴラの脅威の二大武器は武器にあらず。しかしながら、


(また叫ばれたり、噛みつかれてはたまらん。さっさと行こう)


「じゃあな。あまり悪戯をするなよ」


 一応、そう言い置いて、マンドラゴラへ背を向けて歩き出す。


「お前本当になんなのだ! どうして僕の攻撃が効かないのだ!!」

「……」

「ぬぅー! 応えるのだ! 教えるのだぁ!」

「…………」

「もういい!! にどと来るな、ばーか!」


 やがて背後からマンドラゴラの気配が消えてゆく。どうやらようやく諦めてくれたらしい。


(あれでは魔物ではなく、ただの童女だな)


 クルスは苦笑を浮かべつつ、歩き続ける。


 やがて木々の向こうに馬蹄のや、荷車の車輪の音が聞こえ始めた。半日を使って、ようやく街道の付近に出られたらしい

 もう少し進んでみると、街道を全身甲冑フルプレートアーマーで固め、立派な刀剣類を装備する隊列が、馬車を取り囲みつつ過って行く。


(聖王国討伐兵団か。随分と厳重な警戒だな。何かあったのか?)


 胸にざわつきを感じたクルスは街道に沿った森を、更に足早に進んでゆく。

 そしてたどり着いた森の近くにある宿場町もまた、聖王国討伐兵団が厳重に警戒を固めていたのだった。

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