街外れの妓館で身請けをした赤毛の少女が、実は公太子の忘れ形見だったとしたら……

櫛名田慎吾

 

第1章 妓館

第1話 アデリーの街角で

 年に一度の祭りで賑わうアデリーの街の中、ルアンはじわりと滲む汗を拭きながら部屋の空いている宿を探していた。


 周囲をぐるりと城壁に囲まれたこの街を、前回ルアンが訪れたのは約二年前だった。その時は以前泊まった宿が空いていて、これほど宿を探すのに苦労はしなかった。


 ところが今日は違う。どの宿もどの宿も感謝祭の混雑で空き部屋は無いという話。こんなことならこの街に来るのは来週にすればよかった、などと思っても後の祭りで、街の喧騒に反してルアンの心は沈む。


「まいったな、雑魚寝の木賃宿か……、でもあんなところに泊まるくらいなら、いっそのことさっきの荷馬車屋で馬と一緒に寝た方がまだマシか」


 ルアンはブツブツと呟いた後、黒髪を手で掻きながら小さくため息をついた。ルアンが言った雑魚寝の木賃宿、そこはルアンにとって良い思い出などがまったくない場所だった。


 この大陸の人にとって異国人の若者であるルアンはどことなく中性的に見えるのだろう、雑魚寝の宿屋で男色家の旅人に二度ほど襲われかけたことがあったのだ。


 男にしては割と細身で華奢に見えるルアンではあるものの、商人として治安の悪い場所も巡る手前、剣術も護身術も一通り以上の心得は備わっている。ルアンはその二度の身の危険は難なく退けたとはいえ、男に言い寄られる不快さなどを二度と味わいたくはなかった。


 あの時ひげ面の男色家が耳元でささやいた気味の悪い言葉を思い返して、今更ながらルアンは身震いをする。


 気を取り直して荷馬車を預けたところで馬と寝るか、もしくは多少汚くてもいいから個室で寝られる宿はないものかと思いを巡らしながら歩いていると、ルアンはいつの間にか妓館の立ち並ぶ色街の区画に入り込んでいた。


 この年で二十四になるルアンは身も心も健康な青年だ。相手をするならひげ面の中年男より妙齢の女性の方がいいに決まっている。このアデリーの街ではないけれど、旅の途中で妓館に泊まったことなど何度もある。しかし妓館に泊まるほどのふところの余裕が、今夜のルアンには無いのだった。


 いや手持ちの金はある、それもかなりの金額だ。しかしこれは遊興に使っていい金ではなかった。この金に手をつけると次の商品の買い付けに支障が出てくる、それが分かっているルアンだからこそ今日も色街を通るのは避けていたのだが……。


「そこの異国のお兄さん、こっちこっち」


「いい娘が揃ってるよ」


 そんな呼び込みに惑わされたルアンは、石造りの建物の中で微笑む妓女達の方をチラチラと見てしまう。


 肌が透けて見えるような薄い衣装に身を包んだ妓女たちは、いかにも男をたらしこむような仕草でルアンを誘惑する。当然のように若いルアンの中にはどうしようもない衝動が芽生えてしまう。


「手持ちの金は……ある。足りなければ、次の買い付けまでに何とかすればいいか。いや、ダメダメ、何をやってるんだ俺は。でも、今晩泊まるところが無いのは事実だから……いっそのこと」


 そんな迷っているルアンを見透かしたように、呼び込みの男が近づいた。


「お兄さん、迷ってないで泊まっていきなよ。安くしとくよ」


 呼び込みの男が指さす方を見ると、見事なブロンズの髪をした美人が妖艶な微笑みをルアンに向けていた。胸の大きさといい、悩ましい腰つきといい、飛びきりの美女には間違いない。さぞかし一晩のお代は高いだろうなと思いながらも、ルアンは呼び込みに尋ねる。


「いくら?」


「金貨十五枚」


「ええ!? いくらなんでも高くないか?」


「今日は祭りですから」


「……なるほどねえ」


 今日は祭りの日、需要が高まると値段が上がるのは至って普通だ。金貨十五枚といえば次の買い付けに必要な額の五分の一程度で、普通に暮らせばルアンが一ヶ月以上は楽に生活ができる金額。それを一晩で使ってしまうのはさすがに今のルアンには無理だった。とはいえ、先ほどからその妓館に客が入って行くのを見ていると、今日の祭りに浮かれた街人も多いのだろう。


「さすがに、いくらなんでも金貨十五枚は法外だよなあ」


 立ち並ぶ妓館を眺めながら、ルアンはボソリと呟いた。周囲の呼び込みの声に混じって、宴会の歓声やら、男女の楽しげな話し声やらがルアンの耳に届く。


 色欲は一度火がつくとどうにも止まらないという言葉の通り、ルアンは「そうだな金貨五枚くらいなら、まだ何とか」などと、自分の欲を正当化し始めていた。


 元々が商売人のルアンである、値切りの交渉ができない訳ではない。ところがなかなか予算が金貨五枚となると、話が纏まるものも纏まらない。金貨五枚で入れる妓館といえば、ルアンにとって「お母さん」と呼べるような女性が揃っているようなところばかりだった。


 石畳の大通りを最後まで歩き、引き返してきたところでさっき会った呼び込みの男にまた出会いそうになる。少し気恥ずかしくなったルアンは、足の向きを変えて裏道の路地へと入っていった。


「こっちの裏道にもあるのか」


 大通りのような華やかさは無いものの、裏道には裏道で小さな妓館がポツポツと営業をしていた。


 呼び込みは大通りよりも更に下品な感じで、この子は胸が大きいとか、ベッドでの腰使いが上手いとか、卑猥な言葉で女性の前へとルアンを引っ張っていく。しかしながらやはりここでも、金貨五枚で入れる妓館に、ルアンの望むような若い女性はいなかった。


 「異国のお兄さん、なんたって今は祭りの時期だからねえ」と、下品な呼び込みにさえも言われ、ため息をつきながらルアンが店先を離れる。


 もう荷馬車を預けているところで馬と寝るとするか、そうすれば金貨五枚を払わずに儲けたのと同じだ。などと商人らしいような、らしくないような発想でルアンが色街の裏道から抜け出ようとした時だった。


 ルアンの漆黒の瞳に小さな妓館が映った。こちらを見ている女性は三人、そのうち二人はどうみてもルアンより歳上の大人の女性で、薄い透き通った衣装の下には白い素肌が丸見えだった。


 ところが三人目の女の子。まさに女の子といえるくらいの年齢に見える女は、大人の女性から少し離れて座り、衣装もドレスと呼ぶには粗末な服を着ていた。


 隣に座る二人の女性がふくよかな良い身体をしているせいもあるのか、その少女の身体はいかにも細く見える。ゆらゆらと揺れるランプの灯火に映る顔を、もう少しよく見てみようとルアンが少女に近づくと、隣の女性二人があからさまに顔をしかめてこう言った。


「お兄さん、ジェリスの女なんて抱くと汚れるよ。その子はジェリスだからね」


「ジェリス? ああ、そうか」


 ジェリスとはこの国で迫害を受けている人々のこと。元々この国、テルム王国にいる人々とはどこか違っているらしく、異端とされている宗教を信じる人々だとルアンは聞いていた。


 そのジェリスの少女の前に立つと、呼び込みの男がフラリと近づく。やる気が無さそうで、いかにも胡散臭げな顔つきで男はルアンに話しかけてきた。


「お兄さん、異国の人だね。この街には祭りで?」


「いや、商売で」


「でも、今夜の女は探してると?」


 今度はニヤリ、と笑いながらルアンの方を呼び込みの男が覗き込む。ルアンは「別に女を探してる訳じゃない、寝るところを探してる」と、悔し紛れに呼び込みから目を逸らして言った。


「お客さん、異国の人だね?」


 呼び込みの二度目になる質問に、ルアンは首を縦に振る。ルアンの返事を見るや、またもや呼び込みがイヤらしそうにニヤリと笑った。


「じゃあお客さんなら、この子でもいいでしょう。ジェリスだからって気にするかい?」


 ジェリス、と指をさされた少女は少しうつむいたまま、上目遣いに目だけをルアンに向けた。


「ちょっとお兄さん、ジェリスなんて止めて、ウチらと遊ぼうよ」


「そうそう、そんな小汚い女を抱いたら心も汚れるよ」


「うるせえ、黙ってろお前ら。このジェリスの女から片付けねえと、もう半月もコイツは客を取ってねえんだ!」


 呼び込みの男は汚い言葉遣いで横やりをいれた二人の妓女を叱る。ルアンはその言葉を耳にしながら、ジェリスと呼ばれた少女の顔を覗き込んだ。


 そのあどけなさの残る顔からは、歳はおそらく二十歳前くらいだろうと想像できる。身体の線は細くて、座っている姿からみて背も高くはなさそうだ。身につけている衣装や痩せ気味の体型から推測すると、隣の女二人と比べて日頃から十分な扱いを受けてはいないのだろうと、ルアンには思えた。


 少しだけ顔を上げた少女の鳶色の瞳と目が合う。ルアンはその白い頬にうっすらとある一筋の傷に目がいった。


 ほのかに揺れるランプの明かりに浮かぶその傷は、可哀想に耳の下の方から顎の手前まで一直線に繋がっている。少女はルアンの視線の先に気づいたのか、右頬の傷を隠すように顔を少し右側に傾けた。右を向いた少女の髪にランプの明かりが反射する。その髪の色は少し赤みがかっていて、妓女には珍しく肩から首筋を隠す程度の短めの髪型をしていた。


「金貨二枚」


 気がつけば呼び込みの男が隣に立っていて、そっとルアンの耳元でささやく。


「え?」


「金貨二枚だ。高いかい? 高くはねえでしょう。コイツはジェリスだけど、そんなことはあんまり異国のお兄さんには関係ねえでしょう? 若いし、頬の後ろに生傷はあっても綺麗な顔立ちをしてるし、金貨二枚は安いでしょう」


 ニヤニヤとした笑顔を浮かべて、呼び込みの男はルアンに迫った。


「この子、半月も客を取ってないって聞こえたけど?」


「まあそうだね。ジェリスを抱こうなんていう物好きはこの国になかなかいねえし、他にもいろいろとあってね。でも今日は祭りだ、お兄さんみたいな異国の人も来ると思ってたんだよ。どうです? 信じている神様やら何やらを気にしない異国の人ならいいでしょう? へへへ」


 呼び込みの男が見せるイヤらしい笑いは気に食わなかったけれど、確かに一晩泊まって金貨二枚は安いとルアンは思った。


 一呼吸ほど悩んだルアンが服の中の巾着袋を取り出すのと同時に、二人の女の方からは舌打ちの音が響き、呼び込みの男からは「イヒヒ」という下卑た笑いが漏れた。

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