第303話 泥掻き

 今回の異変では魔力察知が役に立たないので、原因の究明に対してオレができることはほとんどない。

 切り札が封じられてしまった以上、調査は優秀な人材を抱える都市運営に任せるのみだ。


 オレの役割は都市運営の補助と事後への対策。やって来るかもしれない“何か”に備えつつ、事が起きれば全力で対応する予定となっている。


 いざとなれば特級の魔物の1体や2体……いや、超頑張って5体、くらいなら、まあ、秘蔵の爆弾を放出すれば何とかなると思っている。


 覚悟は決めた。心境はもう『来るなら来い!』だ。……いや、ちょっと嘘。このまま何事もなく自然消滅してくれるのが一番いい。

 全力で爆弾を使うと被害がデカいし。具体的に言うと農地の一番外側にある田んぼに被害が出る。


 最悪を予想して行動してはいるけれど、どうかこの楽観的な願いが叶って欲しいと思う。



 さて、状況の悪化は心配だけど、この異変がいつまで続くか分からない以上、日常をおろそかにはできない。

 何もかも分からないのだ。異変が長期に渡る可能性も考慮して行動する必要がある。日々の暮らしを維持することも大切だ。


 そういう訳で、オレは大切な仕事のために都市の外へと来ていた。リーゼとタロー、アナも一緒だ。

 オレにおんぶされているリーゼが、見えてきた光景にはしゃいだ声を上げる。


「おっきなかがみ!」


 思わず微笑む。リーゼが鏡と言ったのは水の張られた田んぼだ。今日は風も穏やかで、水面にはさざ波一つない。所々で虫たちが小さな波紋を作っている程度だ。


 リーゼの感想のように、まだ何も植えられていない田んぼは、青い空を映す巨大な鏡のように見える。


 オレたちが近づいたことを、田んぼの周りにいた一人が気付いた。


「お! コーサクさーん! 準備できてるぜー!」


 よく響く声に手を挙げて応える。そう。今日は外せない大切な仕事、田植えの日だ。




 田植えの日、と言いつつも、今日で全ての田んぼに苗を植える訳じゃない。

 オレたち稲の生育の違いを調べるために、いくつか実験用の田んぼを用意し、田植えの時期を少しずつ変えている。今日はこの区画の田植えを行う予定なのだ。


 稲作は始めてから日が浅く、経験と知識はまだまだ足りない。土作りに種籾の選別、苗の育て方、各段階の水の量、それに天気と気温の影響……と、「あれ、これ総当たりしてたらオレが生きている間に終わらなくね?」と真顔になってしまうくらいには知りたいことが山積みだ。


 実際にはエイドルが温室内で疑似環境を造って事前にデータを取っているから、ある程度“理想的な組み合わせ”というのは分かっているけれど、やっぱり小規模な実験と屋外での育成には差がある。


 余裕がある内に、色々と試して行きたいところだ。収穫量が少なくても、味が良くなる育て方が見つかるかもしれないし。


 仮に失敗しても、それはそれでいい。どうすれば失敗するか、というのも大事な知識の一つだ。

 美味しい未来のために、今日も試行錯誤に励もうと思う。


 オレは田植えに参加するメンバーの顔を見回した。


「みんなおはよう。今日は天気に恵まれた田植え日和だ。怪我のないように気をつけていこう。アルド、指示はよろしく」


 オレが契約している農家アンドリューさんの息子、すっかりまとめ役が板についたアルドは軽く頷き、声を張り上げた。


「コーサクさんの言葉通りだ! 慣れて来ただろうが調子に乗ってケガすんなよ! 1班は線引き、2班は苗を並べろ! 今日もやるぞー!」


 おー! と元気のいい声が重なる。


 素早く動く若者たち。魔術要員の1班の面々が、田んぼを囲むように並んで詠唱を始めた。使われるのは水と地の魔術。土木作業で使われる地面に線を引く魔術を応用したものだ。


 ぴしゃりと水が跳ね、水を含んだ土に細い溝が刻まれていく。数分も経つ頃には、田んぼの中は碁盤ごばんの目のように縦横に区切られていた。


「準備できたな! 最初にやる奴は誰だー!」


 ほぼ全員の手が上がる。アルドは苦笑しながら端から順番に指差した。


「よし、並べ!」


 指名された者たちは苗の束を抱え、田んぼの端へと並んだ。その表情は様々。不敵な笑みを浮かべる者、真剣な顔つきの者、楽しそうに笑っている者とまとまりがない。

 ただ、高揚した雰囲気だけは共通だった。


 アルドが再び声を張る。


「苗は大切に扱え! 線が重なる場所に丁寧に植えろ! 後は自由だ! 賞品は一位になった奴・・・・・・・が手に入れる! そして喜べ! 今日はコーサクさんが高級肉を持って来てくれたぞー!」


 歓声が沸く。全員が目の色を変え始めた。

 一気に視線を浴びたオレは、持って来た大振りの革袋を掲げて見せる。


 食欲に正直なアナが革袋の下で飛び跳ねているので、中に良い肉が入っているのは一目瞭然だろう。


 さて、ところで、普通の田植えでは聞かないような単語が聞こえるのは何故なのか。それには色々と事情があった。


 まず、稲作を行う人間は基本的に若い。これは畑を継げない次男や三男、魔術適性の合わなかった職人の子ども、出稼ぎに出て来た若者などが主なメンバーだから、という理由がある。


そして、若者ばかりが集まっているとなれば、退屈な作業には遊びが入り始めるのは、まあ当然のことなのだろう。


 最初は個人間で「どちらが綺麗に、より速く苗を植えられるか」という他愛のない競争だったような気がする。

 それがいつの間にか広まり、誰かが夕食の品を賭け始め、確実に順位を付けるために詳しいルールが自然と作られ、いつの間にかそういう競技へと成長した。


 たぶん、身体強化と魔術という要素も大きいだろう。中腰で苗を植えるという重労働も、魔力に溢れる若者たちには軽いもの。さらに途中で田植え専用魔術『泥掻どろかき』が開発されたことで、体力を気遣ってのんびりと作業をする必要がなくなった。


 ちなみに『泥掻き』は『風除け』に似た魔術だ。使用すれば、泥の中でも抵抗なく動くことができる。

 水の張られた田んぼの中を高速移動する様子は、なんかもう笑えるくらいだ。


 と、アルドが合図のために手を挙げた。


「そんじゃあ一回目~、始めっ!!」


 バシャリッ、と水を撥ね飛ばし、若者たちが一斉に動き始める。


 ……稲作を始めたばかりの頃は、「こっちでも田植歌とか生まれるのかな~」なんて、オレは呑気に考えていたものだけど、今となっては聞こえるのは――


「うおおおっ、肉はもらったああ!!」

「負けるかあ!」

「高級肉は俺のものおおぉ!!」


 という参加者の気合の叫びと、


「負けるなベーン! 意地を見せろー!」

「おいおい植える場所がズレてんぞー!!」

「おっしゃ、いけー!!」


 という見学者のヤジだけだ。う~ん、なるほどー……こっち方面に進化しちゃったかあ……と、たまに思う。


 まあ、悪い状況じゃない。結果的に田植えは早く終わるし、重労働である田植えが楽しいのは良いころだろう。うん。


 そう納得して、オレはこの世界で生まれた賑やかな田植えを観戦することにした。





 時間は流れ、昼。

 田んぼの横に即席のかまどを作り、オレたちは昼の休憩をとっていた。


 昼食は炊き立てのご飯と、具材たっぷりの味噌汁、後はオレが試作を始めた糠漬けが数種類。

 若者たちの食欲は旺盛で、大量に用意した料理はすぐに腹の中へと消えていった。


 早々に食べ終わったアルドがオレの隣に来る。


「コーサクさん、リーゼちゃん喋んの上手くなったなあ」


「孤児院で少し年上の子たちに遊んでもらってるからね。どんどん覚えていくよ」


 孤児院の母ことアリシアさんに聞いたところ、リーゼの年代では成長の個人差が大きいらしく、リーゼは成長が早い方、とのことだ。

 階段を駆け上げるような成長速度に、大人のオレは日々驚いている。


 ちなみに話題に上がったリーゼ本人はお昼寝中だ。

 田植えを見て「リーゼもやる!」と目を輝かせたので、オレが半ば抱くような形で実際にやらせてみたところ、はしゃぎ疲れたようで昼ご飯を食べてすぐ眠ってしまった。


 泥の柔らかさがリーゼの琴線に触れたようだ。今はタローとアナに挟まれる形で寝息を立てている。


「ロゼッタさんは今日仕事?」


「うん、仕事。今頃は新兵を連れて近くの森に遠足かな」


 遠足、またの名を行軍訓練。フル装備の上で荷物を背負って森を進むという過酷な訓練だ。どれだけ体力があっても、慣れていない者にとって森の悪路は非常にきつい。たぶん、新兵たちは心の中で悲鳴を上げなら進んでいることだろう。


 それを理解したようで、アルドは露骨に嫌そうな表情を浮かべた。


「うっへえ、よくやるなあ。俺の友達ダチも何人か行ってるけど、俺は勘弁だぜ。土弄ってる方が性に合ってる。――ま、向こうも向こうで、『土弄りで一生を終えるなんて御免だ!』なんて大口叩いてたけどな」


 そう悪そうな顔で笑うアルドに、オレは苦笑を返した。


「まあ、楽な仕事なんてものはないよ。オレたちも兵士もどっちも大事な仕事だ。兵士は魔物からオレたちを守ってくれるし、オレたちが作るお米は、兵士が食べる食糧になる」


 魔境の攻略は年単位の計画であり、訓練中の兵士たちは実戦に出るまで何も生むことはない。

 消費するだけの彼らを支えるための稲作拡大だ。余剰な食糧がなければ兵士は維持できない。


 それは稲作に関わる全員が理解していることだ。アルドも頷いた。


「そうだな。俺らより泥だらけにあるアイツらに、せいぜい美味い飯でも食わせてやるか。――ああ、そういえばコーサクさん、春の祭どうする?」


「……あっ、そうだった。忘れてたよ」


 春の祭。この都市では夏の豊作を精霊に祈るものだ。収穫祭ほど大々的なものではないが、それでも家々では専用の装飾が施され、作物などが精霊に捧げられる。


 そういえば、魔核を得て数年しか経っていないオレは最近ようやく経験したのだが、祭の際の祈りでは、精霊に対して魔力も捧げるのが普通らしい。


 精霊に具体的な願いをし、同時に魔力を捧げる――これ、魔術と同じじゃね? と、ふと思った。


 というかたぶん、実際に魔術的な儀式の一種になっているのだろう。多くの人間の祈りは精霊に届き、精霊は世界に干渉する。


 つまり春の祭はかなり大事なイベントだ。適当に済ませてはいけない。


「……とりあえず、捧げ物には生米と、あとは餅も用意しようか」


 捧げ物といえば餅だろう。


「分かった。んじゃ臼と杵だしとくぜ」


「よろしく」


 日々の暮らしもやるべきことは盛り沢山だ。日常だからと言って、気を抜いてもいられない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る