第280話 帰還

「いやはや、こんなに早く特級の魔物を鎮めてしまうとはね。君たちにの強さには驚くばかりだよ」


 お義兄さんデリスさんは称賛と困惑が混じった笑みを浮かべている。


 場所は“国守の蒼壁”にある司令室。たった今、作戦成功の報告を終えたところだ。


 “精樹大王鹿”の暴走が止まったことにより、魔境の森は元の落ち着きを取り戻し始めている。

 今は後処理として、風の魔術が得意な兵士たちが“魔寄せの香”を散らす作業に当たっていた。


 1日、2日は残り香に誘われた魔物が暴れるだろうと推測されているが、元々ここは魔境、その程度なら別に珍しいことではないらしい。

 兵士たちも平気な顔だった。逞しくて何より。


「この分なら領地へ被害が及ぶことはないだろう。2人とも、どうもありがとう」


「いえ、元々はオレたちに原因があることですから」


 誰が悪いかと言えば隣の領主が悪いのだが、騒動の中心になったのはウチのリーゼだ。

 事態の収拾はオレたちの責任だし、こんなところでリーゼに重荷を背負わせたりはしない。


 いやホント、被害が出る前に何とかできて良かった。


「お兄様、シェルブルス家はこれからどう出るでしょうか」


「そうだね……“魔寄せの香”なんて禁制品を使ってきたのを見るに、向こうにはかなり追い詰められているのだと思う。貴族間の争いにも決まり事があり、宣戦布告なしに一方的に戦いを始めることは許されていない。ましてや使用を禁じられている香を脅しに使ったとなれば……」


 デリスさんは頭痛がするように額を手で押さえた。


「今回のことを陛下に報告すれば、最悪陛下に逆らったとしてシェルブルス家には粛清部隊が送られることになる。そうなればシェルブルス家の選べる道は、国を相手に戦争をするか……私たちと交渉して今回の襲撃を公には“なかったこと”にするかだろう」


「リーゼを、私たちの娘を狙ったことを、なかったことに……ですか……」


 隣から冷たい風が吹いたように錯覚した。怒りに満ちた魔力がすぐ隣、ロゼから溢れている。


 長年の鍛錬によって戦闘の前には自然と冷静になるロゼだが、戦いが終わった今は感情を抑える必要もない。

 愛しいリーゼを狙われ、故郷が魔物に襲われかけた事実をなかったことにするというデリスさんの言葉に対し、珍しく怒りを隠そうともしなかった。


 おかげで、オレは怒るタイミングを逃した。


 自分よりも感情を露にする人間を見ると冷静になってしまうアレだ。

 ……それと、自分の好きな人が怒っている姿というのは、見ていてあまり気持ちいいものじゃない。

 ロゼもそうだろう。


 固く握り締められたロゼの手をそっと取る。


「む……」


 空色の瞳と視線が合うと、荒れていた魔力がふわりと凪いだ。

 意識して柔らかく笑う。


「久しぶりに大物と戦って疲れたから、屋敷に戻ったら甘いお菓子でも作ろうか」


「……そうだな。リーゼと一緒に作るとしよう」


 ロゼが肩の力を抜いた。いつもと反対の役回りだ。


 オレと手を繋いだまま、ロゼは再びデリスさんに質問する。


「お兄様、向こうは具体的にどう動くと思われますか?」


「積極的に国と事を構える気はないだろう。シェルブルス家の領主は、貴族としての道に外れた行為を平気で行う男だが……少なくとも自らの領地に尽くしてきたことは確かだ。領地と領民が失われるような選択はしないはず」


 そうすると、向こうの次の手はこの領地との交渉か。

 戦争を仕掛けてくるようなこともないだろう。デュークさんが今回の事件を国に報告するだけで、隣の領地は詰んでしまう状況だ。


 伝令の一人も出させずに完勝するような戦力がない限り、戦いを始めた時点で向こうは負けとなる。

 そんな戦力差があるなら、初めから魔物を使って脅すような真似はしないだろう。


 だから、向こうはどうにか国に報告されないように、デュークさんと交渉する必要がある訳だが……。


「デリスさん、隣の領地に、今回の出来事を帳消しにできるような対価を差し出す余裕はありそうですか?」


「……なくはないと思うけど、受け取ると厄介事までついて来そうなモノが多い気がするよ。最大で向こうを属領にするような選択もあるけど……治めるには難しいかな」


 聞いた限りでは、隣の領地は土地が非常に貧しいらしい。だからこそ略奪に力を入れてきたみたいだけど……属領にした場合には略奪を止めることになるため、領地の維持が非常に厳しくなる。


 デリスさんにしてみれば、向こうとの交渉はただ面倒なだけだろう。


「最終的にどうなるかは相手の出方しだいと言ったところだ。どうにもならなければ陛下に裁定を仰ぐことになるだろう」


 難しい顔から一転して、デリスさんは穏やかな笑みを見せた。


「まあ、この先は僕たちの仕事だ。コーサク君とロゼッタは十分に働いてくれた。兵士たちを代表してもう一度お礼を言うよ。どうもありがとう。後は屋敷に戻って休んでくれ」


 騒動の後始末をすると言うデリスさんを残し、オレとロゼは屋敷に帰還することにした。


 無傷ではあるが、精神的にはかなり疲れた。ああ、早くリーゼの顔を見たい。




 行きと同じように全力で空を走り、あっという間に屋敷へと到着した。むしろ帰りの方が魔力を温存する必要がない分速かった気がする。


 玄関の前まで来ると、中からは慌ただしい音がした。

 タローがいるので、オレたちが戻って来たことはもう分かっているだろう。


 ドアをノックする前に扉が開いていく。

 その小さく開いた隙間の向こうから、元気に走って来るリーゼが見えた。


「パパママ、おかえりー!」


 オレを先に呼んでくれた割に、リーゼはロゼに向かって走ってきた。

 ロゼが優しく微笑みながら小さな体を抱き上げる。


 手持ち無沙汰なので、ロゼごとリーゼを抱き締めることにした。

 リーゼはくすぐったそうに笑っている。


 この笑顔を曇らせることがなくて、本当に良かったと思う。

 特級の相手は疲れたけど、これから先も、何があってもリーゼのためなら頑張れる。



 ◆ ◇ ◆ ◇



 部屋の扉が慌てたように叩かれる。ザークショットはペンを握る手を止めた。


「入れ」


「失礼しやす」


 入って来た部下の厳しい顔を見て、ザークショットは報告の内容を理解した。

 力を抜いて椅子に身を沈める。


「聞こう」


「魔寄せの香による特級の誘導ですが……結果から言うと失敗しやした」


 部下から視線を外し、天井を見つめた。木目を眺めながら最善手を思考する。


「具体的には」


「へい……魔物の誘導は上手くいきやした。ただその魔物が……無理やり正気に戻されやした。やったのは姫の両親。――今更ですが、男親の方は特級の討伐経験もある化け物だったようです」


 ザークショットは苦く口の端を上げた。必要な情報が必要なときに揃っていることなどない。

 海で完全に風が読めることはなく、潮目を全て見通すこともできない。


 それでも選択し、責任を負うのが長の役割だった。


 ザークショットは報告を続ける部下に視線を下ろした。


「男親の綽名は『爆弾魔』。何をやらかしたのか、一部の貴族の間じゃあ話題にするのも厭われているようでした。さらに、もっと上からの口止めの指示があったようで。詳しい情報が入って来なかったのはそいつが原因のようで――」


「もういい。それで十分だ。……ジュリアを呼べ」


「……へい」


 部下が退室する。


 ザークショットは席を立ち、窓に身を寄せた。


 見下ろす先では、寒々しい色をした海が波を立てている。

 ただそれでも、幾隻もの船が漁に出ていた。日と海風に焼けた赤黒い肌の男たちが、懸命に網を引いている。

 浜では女たちが賑やかに魚を捌いていた。


 安心して漁が行えるのは暴虐鮫がいない僅かな間だけだ。

 どう足掻いても領地は貧しく、満たされることはない。だが、領民たちはこうして逞しく生きている。


 これがザークショットが生まれ育った領地だ。この光景が決して卑しいものではないと、自分たちが劣った者ではないと、頂上まで上り詰めて証明することがザークショットの抱いた夢だった。


 そう夢だった・・・


 思考は扉を叩く音で遮られる。


「親父、入るよ」


 若い娘の声が聞こえ、ザークショットの返事も聞かずに扉が開いた。


 入って来たのは勝気な目をした娘だった。美しいが、自分の容姿には無頓着なのか着飾る様子もない。

 港町にいる普通の娘のような恰好だ。赤い髪も後ろで適当に縛られている。


 ザークショットは自分の長女に向き直った。ザークショットの子供は2人。16歳のジュリアと5歳になる長男だけだ。

 妻は息子を産んで死んている。


「ジュリア、俺は失敗した。だからこれから責任を取る」


 ジュリアは口をへの字に曲げて腕を組んだ。


「そう遠くない内に隣と交渉の席を設ける。そのときに――俺の首を奴らに渡せ。そして、全て俺の独断だとして降伏しろ。奴らはお人好しで皇帝とも近い。領民たちも含め、飢え死ぬよりはマシな扱いをしてくれるはずだ」


「あんたは……!!」


 ジュリアの目が燃える。力のままに椅子を蹴り飛ばした。


 ガシャーン!! と窓から椅子が飛んで行く。


「ふざけんなよ!! そんなのぜってえ許さねえ!!」


 身を翻し、ジュリアは肩を怒らせながら部屋を出ていった。


 風通しが良くなった部屋で、ザークショットは椅子に腰を下ろした。顔に傷のある部下が入って来る。


「あっしもそれには反対ですよ」


「ふん、俺は舵取りを誤った。ならばこれで終わりだ」


「しかし、ああなったお嬢様は言うことを聞きませんぜ?」


「……交渉は俺がやる。お前は他の者達をまとめておけ。そしていざとなれば――お前が俺の首を切れ」


「そいつはご命令ですかい? できれば遠慮させてもらえませんかね」


「命令だ」


「……へい」


 領主の夢が破れようが、領民の生活は続く。続かなくてはならない。


 奪うために生きるのではなく、生きるために奪うのだ。無益な戦いはしない。


 その線引きだけは、ザークショットが持つただ一つの誇りだった。

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