第279話 目醒まし爆破
魔境の森の上空を“精樹大王鹿”を中心に一周する。
車体の外では“風除け”の魔術によって押し退けられた空気がごうごうと音を鳴らしていた。
地面は遥か下方。眼下には魔境の巨木が槍衾のようにそそり立っている。
大王鹿の視線は既にオレたちを捉えていた。
血走った目が車体の動きに追従してくる。大王鹿の視野は広く、真後ろに回ろうが首を軽く動かすだけで目を合わせてくる。
死角がない。
“根”を触手のように攻撃手段として使ってくることを考えると、これは全方位に対応してくると考えた方がいいな。
じゃあ、攻撃の範囲はどれくらいか。
そう考えると同時、大王鹿を縛る“根”が動いた。重量を考えればあり得ないほど速く、鞭のように襲い掛かってくる。
「ロゼ、回避っ!!」
「分かっている!!」
空中で車体がドリフトする。オレたちから十数メートル先の空中を、太く不気味な“根”が叩いた。
問題なく躱した、はずなのに、車体を激しい振動が襲った。爆発したような轟音が耳を叩く。視界の下では魔境の巨木も揺れていた。
見えない衝撃波……ソニックブーム?
「……まさか先端は音速越えてんのかよ」
武器としての鞭も先端は音速を越えてるらしいが、大王鹿のサイズでやると衝撃がとんでもない。
威力を計算するまでもなく、直撃したら終わりだ。
というか、あの大きさで音速を越えたら自分でダメージを負わないのか。
……負わないか。さっき魔力の気配も強かったしな。たぶん、“根”の先端まで魔力で強度を上げてる。
さすが特級、魔力は潤沢だ。肉体の強化もお手の物らしい。
まあ、魔力で肉体の強度を上げないと、そもそもあんな巨体は支えられない。
頭の上にデカい木が生えてるとか、普通なら首の骨が折れるって。
ふざけた巨体を持ちながら普通に動けるのが特級の強みだ。デカい奴は強い。重量だけで他の生き物に殴り勝てる。
加えて“根”による攻撃手段がある“精樹大王鹿”は、全周に範囲攻撃ができる移動要塞のようなものだ。
さて、どうするか。
「……まあ、悩むほど選択肢はないか。ロゼ、運転は頼んだ」
「うむ、任せておけ。根の攻撃には十分に距離を取る。コウ、気を付けるのだぞ?」
「もちろん。――2人とも無傷で帰らないとね」
運転席にロゼを残し、オレは車体の中央へと向かう。
壁に埋まった魔道具を操作した。――天井がゴンッ、と音を立てる。
車体の屋根の一部が開いていく。ちょうど人が一人通れるような四角形。折り畳まれた屋根がガシャリと固定された。
最後に足場が展開される。
オレは足場に登り、屋根から半身を出した。空には遮るものなどなく、視界はどこまでも広い。
“精樹大王鹿”の全身もよく見えた。
同時に巨木の葉の隙間から遠い地面がチラリと見えて、少しだけ背筋がゾワリとする。
ただ、風は感じないので高所にいる恐怖は薄かった。“風除け”の魔術のおかげだ。風に飛ばされる心配も、目が乾く心配もない。
視界は良好。心は安定。魔力は十分。
「さて、やりますか」
両脇にある小さな手すりを握り込む。そこには伝送用の魔石が埋め込まれていた。
小さな魔石を通し、中枢にある“暴食女王蟻”の魔石へとアクセス。
車体の各部に設置した魔道具たちを連結させ、たった一つの機能を全力で稼働させる。
胸の奥、オレ自身の魔核で手応えを感じた。魔力が熱く流れる。
魔道具たちが発現させたのは――“増幅”の機能。今この場にいる限り、オレの魔術は数倍の威力に跳ね上がる。
この車体そのものが、オレの爆破魔術を“増幅”する魔道具だ。
特級魔石の容量を半分食い、10を超える魔石を巻き込んだ“とっておき”。
対龍種すら想定した、破壊を振り撒く移動砲台がこの車両の真の姿だ。
「『榴弾』装填」
魔力の爆弾を生む。車体の周囲、増幅器である12台の魔道具の延長に、赤と黒の渦が固定された。
兵士たちとの模擬戦で使用した『手榴弾』より二回り以上大きい。“暴食女王蟻”の魔石を中心とした魔道具群が、自動で魔術を増幅したものだ。
爆破の魔術を浮かせたまま、“精樹大王鹿”を直視する。
大王鹿はオレたちを気にしながらも脚を止めない。魔寄せの香の匂いを追っている。
巨大な一歩が、確実に人のいる領域へと巨体を進ませていた。
大王鹿に罪はないが、これ以上進ませる訳にはいかない。
「悪いけど、力尽くで止めるぞ。――『砲撃開始』」
ボッ、と『榴弾』が撃ち出される。赤と黒の尾を引いて空を走った。
破壊の魔術が大王鹿へ流星のように迫る――着弾。
大輪の爆発が咲き、腹に響くような音が連続した。爆風で巨木の枝が波紋のように揺れる。
爆発の衝撃に、大王鹿の脚が止まった。
だが、その体に傷はない。頭上の樹は葉をいくらか散らしたものの、樹皮のような体表には血も滲んでいなかった。
超重量を支える肉体は、ただ在るだけで鉄壁の鎧となる。
生半可な攻撃では意味がない。本来なら、特級の魔物は人が真正面から戦う相手ではないのだ。
体を震わせた大王鹿が、怒りの浮かんだ眼でオレを睨む。
鹿とは思えない凶悪な口が開いた。
オオオアァァァアアァァ!!!
衝撃を伴った咆哮が魔境の空に響く。人の発音に近いような不気味な音。極大の魔力が籠った殺気が、背筋を冷たく突き抜けて行った。
森が騒めく。周囲にいた魔物たちが必死の様子で逃げ出した。
大王鹿が方向を変える。オレたち目掛けて脚を踏み出す。さあ、本番だ。
「ロゼ、大王鹿が追ってくる。なるべく森の奥に逃げて」
『了解だ』
ロゼの返事を聞いて、オレは大王鹿へと意識を集中する。
今回の目的は討伐じゃない。薬に酔った大王鹿を殴り飛ばし、目を醒まさせることが狙いだ。
相手が頑丈なのはむしろありがたい。――下手に気を遣わなくて済む。
「ようし、鹿の王様。鬼ごっこをしよう。オレを捕まえるまで目覚ましは止まないぞ」
魔術を発動する。再び車体の周囲に『榴弾』がセットされた。
「『砲撃開始』」
飛び出していく爆弾の群れ。発射したそばから補充し、撃ち出していく。
ド、ド、ド、ド、ド、と音が続く。鳴り止まない。
オレは爆破の精霊の宿主。極限の適性を持つ精霊使い。魔術に必要な魔力はごく僅かだ。
ただ魔術を使うのに集中できるのならば、特級相手だろうが持久力で渡り合ってみせる。
「さあ、追い掛けて来い」
爆発の粉塵を振り払って大王鹿が進み出る。オレから見てゆっくりと、実際には凄まじい加速で巨体が動き始める。
爆破の衝撃を正面から浴びてもなお速い。
魔境の奥へと移動しながら、オレは大王鹿に魔術を叩き付け続けた。
大王鹿と距離を保ちながら空を走り、魔境の奥地まで到達した。
異常に濃い魔力が肌を圧してくる。ドロリと濃い魔力の影響を受け、辺りの植生は混沌としていた。
その中で一番目立つのは“世界樹”とか呼びたくなるほど巨大な樹だ。遠近感が狂うような大きさで天を突いている。
目測で高さ数百メートル。魔力がなくては自重を支えきれない魔の大木だ。
大王鹿は元々、この木の根元に生息していたらしい。
追って来る大王鹿へと視線を戻す。
ひたすら爆破の魔術を当てたおかげで大王鹿にも疲労の色が見えている。脚は最初より遅くなり、眼に浮かぶ殺気も衰えた。
「ロゼ、速度このまま。ここで決める」
『了解だ。私もこの場所に長くいるのは厳しい。コウ、頼んだ』
「もちろん、頼まれた」
濃すぎる魔力は人には毒だ。ロゼは魔力が多いおかげでまだ行動できるが、普通の人間なら既に倒れているだろう。
速攻で終わらせる。
「ボム、起きろ」
胸の奥、熱を持った魔核へと呼び掛ける。
ふわりと、不定形のヒトガタがオレの体の中から現れた。
『ふわあ、おはよう。最近呼ばれることが多い気がするよ』
「多くねえよ。少なくとも今年になって初めて呼んだよ」
『そう?』
ボムは人間臭く伸びをした。精霊に寿命はなく、人とは時間の感覚が大きく違う。
丸一年眠ったとしても、ボムにとってはうたた寝くらいの認識だ。
まあ、今は戦闘に支障がなければいい。
「ボム、オレに力を寄越せ」
『いいよ』
魔核がドクンと跳ねた。
「はあっ……」
暴れそうな魔力を押さえつけ、目の前の光景を視界に収める。
狙いは大王鹿の頭部から生えた樹。その右側面。相対座標で発動場所を指定。
オレの魔核と“増幅”の魔道具群が連動する。
空が歪む。
「爆破!」
ドオンッ!! と今日一番の爆発が起きた。角のように生えた樹に横殴りの衝撃を受けて、大王鹿の首が左に揺れる。
すかさず2発目を準備する。
今度は左側。いくら巨大な魔物でも体を操るのは脳だ。頭にちょうど良く力を伝えやすい物が生えてなら、使わない手はない。短時間で脳を左右から揺らす!
起きろ脳震盪!!
「爆破!!」
衝撃により左の樹が弾かれ、当然のように繋がった大王鹿の首が連動する。連続で、急激に、大王鹿の頭部は左右に揺さぶれた。
頭蓋の中では脳が骨へと衝突したはずだ。
いくら特級の魔物でも脳ミソそのものを鍛えるのは無理だ! と思うんだけど、どうかな!?
息を飲んで大王鹿を見つめる。
興奮し、血走った眼が変わらずオレを睨んで――それから焦点を失った。
大王鹿の体から力が抜ける。巨体がゆっくりと横に倒れていった。バキバキと枝を折りながら、大王鹿が地面に倒れ込む。
盛大な土煙と共に、地響きが鳴り響いた。
『コウ、成功だな!』
「うん、これで正気に戻るといいんだけど……」
さて、どれくらいで目を覚ます――
バキキキッ!!
「は?」
倒れ伏した大王鹿から何本もの“根”が立ち昇る。“根”は周囲の巨木を薙ぎ倒しながら、無理やり大王鹿の体を起き上がらせた。
口をダラリと開けた大王鹿が立ち上がる。その目に光はない。ええ……何それ。どういう生態なの?
大王鹿の目は虚ろなままだが、“根”は威嚇するようにひゅんひゅんと動き回っている。大王鹿を気絶させたせいで、肉体の制御権が移ってしまったのか。
というか、そもそも角の代わりに生えたあの樹は何なの? 植物系の魔物? やっぱり寄生してんの?
「ロゼ……これどうしようか」
『ふむ……もう一度本体に魔術をぶつけてはどうだ? 気を失っているだけなら衝撃で目を覚ますだろう』
……そういえば、うちの奥さんは武闘派だったな。
「う~ん、まあ、やってみるかな」
行動が読めない正体不明の推定触手寄生植物よりは、まだ怒った大王鹿の方が接しやすい。
目を覚まして、ついでに薬の影響からも醒めてくれると言うことなしだ。
「じゃあボム、ちょっとだけ力を貸して」
『いいよ。それにしても、君の近くはいつも騒がしいね』
オレもそう思う。
頷いて、今回の騒がしい原因である“精樹大王鹿”(樹に乗っ取られている)に爆破の魔術をぶつけた。
張り手のように、大王鹿の顔を横殴りに衝撃が襲う。
暴れ回っていた触手がビクリと反応し、徐々に動きが弱まり始める。反対に、大王鹿の口が微かに動いた。
目の焦点が合っていく。目覚めた大王鹿がぶるぶると首を振った。
お? 目が普通っぽい。
オレが見つめる先で、大王鹿は忙しなく目と耳を動かした。こちらを襲ってくる様子は……ないようだ。
『薬の影響は抜けた、か?』
「そうみたい?」
大王鹿は何事もなかったかのように周囲の葉を食べ始めた。意外と円らな瞳だ。デカ過ぎて本能的な恐怖を感じるけど。穏やかな様子ではある。
“根”も大人しく大王鹿に巻き付いた。“精樹”という呼び名が正しいのか怪しい植物だが、この様子を見る限り普段は大人しいんだろう。たぶん。
しばらく大王鹿を観察して領地へ歩き出さないことを確認し、オレは体の力を抜いた。
オレもロゼも無傷。無茶もしていない。目標は無事に達成だ。
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