第276話 鮫を背負う略奪者

 海を見下ろす高台に建つ屋敷。その屋敷の一室で、一人の男が鋭く舌打ちをした。


 高価だが実用的で飾り気のない服に身を包んだ男だ。領地の収益を示す書類を手に、魔物でも逃げだすような怒りの表情を浮かべている。


 男はこの部屋の主であり、この屋敷の主であり、そして“海賊領”と呼ばれるシェルブルス領の主でもあった。


「帝都のクソどもが」


 男は書類を放り投げ、革張りの椅子に乱暴に腰かけた。右手を額に当て、指先でコツコツと頭を叩く。


 考えるのは自らの領地についてだ。思考に深く意識を沈め、領地の未来を模索し始める。問題は山積みだった。


 シェルブルス家は若い家だ。3代しか代を重ねておらず、まともな歴史などというものはない。

 血筋に誇るものもない。元々はただの漁師だった家系だ。それが不漁により海賊を始め、他所から富を奪いながら成長したのがシェルブルス領だ。


「そうだ。略奪こそが唯一、俺たちの持つ伝統だ」


 思考を整理するための癖で男は呟く。


「この領地は略奪で興り、略奪で回っている。だってのに、それを止めろだと?」


 男は忌々し気に唇を歪める。


 前皇帝までは略奪した大量の金の一部を国に納めることで、国も見て見ぬふりをしていた。

 だが、新しい皇帝は違う。略奪行為は国全体の力を下げるとして、禁止する命令を出したのだ。


「未だ糞爺どもを掌握することもできねえくせに、よく言ったぜ若造が」


 男に皇帝に対する忠誠心などなかった。国を敵に回すと面倒だから表向き従ってきただけだ。


 確かに、新しい若き皇帝は男から見ても優秀だ。帝国を改善しようとしている。だが、その行為には大きな摩擦も伴った。

 若き皇帝の政策には、優秀であれば平民でも国の役職に就けるようにする、というものがあった。それは貴族の座る椅子が減るということだ。


 結果、元より平民など喋る家畜程度にしか考えていない古い貴族たちが、あの手この手で皇帝の足を引っ張っている。


 例え、その行為が国の害になっても関係なく。


「権力にしがみつく下種どもが。この機会に俺の力も削ぎに来やがったな」


 男は皇帝の命令の裏に、他の貴族たちの思惑を嗅ぎ取った。

 シェルブルス家は若い。だが、度重なる略奪と塩の利権の奪取により、国内でも有数の資産を持つようになっている。


 そして当然のように、シェルブルス家に反発する貴族は多かった。血の尊さを重んじる貴族たちにとっては、そもそもシェルブルス家は貴族ではないのだ。

 薄汚い海賊風情が、とシェルブルス家は同じ貴族からも蔑まれている。


「血と魔力しか誇るもののない無能ども。絶対に俺が食い散らしてやる」


 男は獰猛に歯を剝きだした。


 男にとって他のほとんどの貴族は無能だ。自らの権力に酔い、平民を見下し、まともに領地を治めることもしない。


 無能を晒し続ける貴族たちが偉そうにふんぞり返っていることが、男には心の底から許せなかった。


「何が尊い血だ。何が歴史ある貴族だ。そんなものは獲れた雑魚より役に立たねえ。上に立つのに相応しいのはこの俺だ」


 激しい自尊心が男を燃やす。


 男は貴族という存在が嫌いだった。苦しみも知らずのうのうと生きる特権階級というのもが憎いほどに嫌いだった。


 シェルブルス家の伝統は略奪だ。それは他者から奪うことでしか生きていけないからだ。


 領内は岩だらけで平坦な土地も少なく、強い海風による塩害で作物はまともに育たない。

 漁業は巨大な海獣の機嫌によって容易く左右される。安定して獲ることはできず、魚だけでは人は生きていけなかった。

 シェルブルス領は貧しく過酷な土地だ。


 それを、ただ良い土地に産まれた貴族たちが、生きる厳しさも知らずに見下してくる。男にはそれが我慢できない。


「俺が奪う。お前らが持て余している土地も、民も、金も、俺がもっと上手く使ってやる」


 ギラギラと男が双眸を光らせる。


 実際に、男は優秀だった。他の領地から恐れられているが、領民からの人気は高い。

 外から奪い、自らの土地を富ませる。男は原始的な長としての役割を全うしていた。


 男は領地を守るために、他者から奪うために次の手を思考する。


「やはり“血”が要る――」


 男は机に載ったベルを手に取り鳴らした。


 少し遅れて入って来たのは傷だらけの体をした細身の男だ。


「ザークショット様、お呼びで?」


「ああ。魔寄せの香と魔払いの香を両方出せ」


「……念のために確認しときますが、本気ですかい?」


「本気だ。――ディシールド領を脅すぞ」


 領主――ザークショットは本気の口調で部下に答えた。


「あの領地が特級の魔物を討伐してから10数年。密偵の情報では魔境の奥から新たな特級の魔物が近づいているようだ。魔寄せの香でそれを呼ぶ」


「魔払いの香を使って欲しければ、黒髪の姫を寄越せって脅すわけですかい……。どっちも次に入るかどうかって希少な品ですが?」


「気にする余裕などあるものか。他の領地から奪うことが明確に禁止された今、下手に続ければ国から潰される。兵を向ける際には他の貴族どもが乗ってくるはずだ。大義名分は取られ、この領地に対抗できる兵力はない。かといって、略奪を止めればこの領地は死ぬ」


「……まあ、塩と魚だけじゃあ、領地を支えるには足りませんね」


「そうだ。止まった先にあるのは死だけ。動くならまだ余力がある今しかない。ディシールド領の姫を奪うぞ。初代皇帝の血を引き、封石が必要なほどの魔力を持つ娘だ。他の貴族どもと交渉する強力な手札になる」


 ザークショットは血に拘る貴族が嫌いだ。だが、血統が持つ力は嫌というほど知っている。手に入るのであれば、利用しない手はなかった。


「ザークショット様。姫の両親は2人とも元銀級の冒険者ですが……邪魔になる場合はどうしますか?」


「ああ、父親は二つ名を得るほどの冒険者だったか」


 ザークショットは微かに目を細めた。


「交渉できる機会があるなら金を積め。無理なら――殺せ」


 変わらぬ声色でザークショットは続ける。


「どれだけ強くとも人は人だ。邪魔になるなら兵を出して囲んで殺せ。兵の犠牲は問わん」


「へい。了解しました」


 細身の男は頭を下げた。


 ザークショットは双眸を燃やす。


「まだ、こんなところでは止まれん。他の貴族どもを食らい、俺たちは上に行くぞ」


 宣言するザークショットの背後には、壁一面を覆う絵が掲げられている。青と黒を基調とした絵だ。


 描かれているのは無数の傷を持つサメ。シェルブルス領の海を支配する“暴君鮫”だ。あらゆる魚を食い荒らし、船すら噛み千切る巨大な特級の魔物。


 “暴君鮫”は近海を泳ぐだけで漁獲量が減る海の災厄であり、同時に他の海獣の侵入を防ぐ守り神でもある。


 シェルブルス家の象徴たる“暴君鮫”を背に、ザークショットは歯を剥き出しに唇を吊り上げた。


 ザークショットに正義はない。ただ、己と領地のために奪うのみだ。

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